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織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
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2024/03/19 (Tue) 13:29
Posted by 酔雲
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抜け穴








 夢遊らが柏原の砦で織田軍を相手に戦っていた頃、安土城下に珍しい男がやって来た。

 山奥から迷い出て来た熊のような男が鉄砲をかついで、狼のようにウーウー唸りながら、天主をジッと見つめている。

 秋晴れの青空の下、天主は神々しく輝いていた。

「すげえモンじゃのう、え?」と連れの者たちに振り返ると吠えた。

 連れは三人の若い男と一人の若い娘だった。若い男はノッポとデブとチビの奇妙な組み合わせで、三人とも鉄砲だけでなく、太い竹竿(タケザオ)を束ねてかついでいた。毛皮を着込み、目を点にして、口をポカンと開けたまま、馬鹿面をして天主を見上げていた。

 若い娘も毛皮を着込み、髪に青いリボンを結び、丈の短い着物を着て、腰に刀を差している。娘だけが天主を見ても驚くわけでもなく、キョロキョロと辺りを見回していた。

「眩しいのう」とノッポは目の上に手をかざしながら言った。

「本願寺の極楽より、信長の極楽の方が綺麗じゃのう」とチビは背伸びしながら言った。

「勝てるわけねえわ」とデブはつぶやいた。

「あの城の中に黄金が一万枚もあんのか?」と熊のような男は青いリボンの娘に聞いた。

「噂ではネ」と娘はうなづいた。

 その娘はマリアそっくりだった。

 熊のような男の名は鈴木孫一、通称、雑賀(サイカ)の孫一で知られた本願寺の鉄砲大将だった。マリアそっくりなのは当然、ジュリアである。

 雑賀の騒ぎが一段落し、ジュリアから聞いた抜け穴の事を下調べするために、孫一は安土にやって来た。黄金一万枚を盗み取ってやろうと意気込んでやって来たが、琵琶湖上の船の上から天主を見ると、「すげえ! すげえ!」と連発し、これが信長の城かとただ感心するばかりだった。

 孫一は信長の岐阜の城下は見た事があった。岐阜にも天主があったが、これ程、華麗なものではなかった。信長が新しい城下を安土に作ったという噂は聞いていたが大した事はないと決めつけていた。ところが、実際に天主を間近に見て、ハッキリ言って、腰を抜かしてしまう程、驚いた。

 石山本願寺も華麗な建物だったが、信長の天主に比べたら、地味で古臭い感じがした。この天主は今、この世で一番新しく、一番素晴らしい建物だと孫一は思い、それを建てた信長という男の偉大さを認め始めていた。

 今まで、信長は本願寺の敵だった。本願寺の門徒である孫一は、『打倒!信長』に命を懸けて来た。しかし、本願寺は信長に敗れてしまった。今の本願寺は大いなる敵を失い、不満や愚痴の飛び交う内部抗争に終始していた。孫一はそんな本願寺に愛想を尽かし始めていた。そんな時、信長の天主を見たのだった。その衝撃は大きかった。孫一は黄金を盗む事など忘れて、ただ、その美しさに見とれていた。

「ネエ、あそこのお団子、スッゴク、おいしいのよ。ネ、食べましょ」とジュリアが団子屋を指さして言った。

「ほんとか?」とデブが涎(ヨダレ)を拭きながら、孫一を見た。

「そういや、腹減ったのう。名物の団子でも食って行くか」

 一行は団子屋の暖簾をくぐった。
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抜け穴








 孫一が安土を去った次の日、夢遊が新五と勘八を連れて帰って来た。

 皆、疲れ切った顔付きで、フラフラした足取りだった。

「御無事でしたか?」と藤兵衛がホッとした顔付きで聞いたが、夢遊は手を振っただけで、二階に上がってしまった。

 藤兵衛は新五と勘八を捕まえて、伊賀の様子を聞いた。

 夢遊は二階の縁側に寝そべって、天主をジッと睨み、「許さねえ」と独り言をつぶやいた。

 お茶を持って、おさやがやって来て、「庄助さん、戦死しちゃたんですか?」と夢遊に聞いた。

「ああ。家族を皆殺しにされてのう、奴は死ぬ気で織田軍に突っ込んで行ったわ。壮絶な死に様じゃった」

「そう‥‥‥庄助さんが‥‥‥」

「堺の源太も死んだ。奴も両親を殺されてな‥‥‥ひでえもんじゃ。伊賀の国は地獄絵さながらのむごたらしさじゃ」

「そうですか‥‥‥噂で石川五右衛門が殺されたって聞いたものですから、みんな、心配してたんですよ」

「わしが殺された?」

「はい。何とかの砦が落ちて、伊賀の忍びが全員、殺されたって。その中に盗賊の石川五右衛門もいたって噂になりました」

「誰がそんな噂を流したんじゃ?」

「お殿様だと思いますけど‥‥‥」

「嘘ッパチじゃ。まさか、わしの首まで晒されたんじゃあるめえな?」

 おさやは首を振った。

「あの、お澪様がまだ、お帰りになっていませんが大丈夫なのですか?」

「まだ、帰ってねえ?」

 夢遊は思い出したかのように小野屋の方を見て、不思議そうに首をかしげた。

「ジュリアが安土に来ました」とおさやは言った。

 夢遊はお澪の事を考えていて、よく聞いていなかった。

「なに?」とおさやの方を向いて、聞き直した。

「ジュリアが雑賀の孫一と一緒に安土に来たんです」

「孫一が来たのか?」

 秋になり、おさやは袷の着物を着ていたが、相変わらず、丈が短く、膝が丸出しだった。

「はい。一昨日、来て、抜け穴を調べてから、昨日、このお店に来て、大旦那様の事とマリアの事を聞いて帰って行きました」

「そうか‥‥‥孫一の奴が出て来たか。それで、ジュリアは捕まえたんじゃろうな?」

「それが消えちゃったんです」

「消えた? どういう事じゃ?」

「分かりません。昨日の夜、孫一が抜け穴の所に行った後、ジュリアは孫一の家来の者と二人で旅籠屋に残ったんです。銀次さんに頼まれて、あたしが捕まえに行ったんですけど、ジュリアはいなくて、孫一の家来が気絶してました。その後、どこに行ったのか、まったく分からないんです」

「どういう事じゃ‥‥‥また、新しい奴が現れたのか?」

「さあ‥‥‥」とおさやは首をかしげながら、手を広げた。

「ジュリアと一緒だった新堂の小太郎はまだ、伊賀にいるはずじゃ。小太郎の奴以外にジュリアを追ってる者などいねえはずじゃが‥‥‥分からんのう。なあ、おさや、もう少し、足を開いてくれんか。よく、見えんわ」

「エッ」とおさやは夢遊の視線を追って、慌てて膝を閉じると両手でふさいだ。

「やっぱり、藤兵衛様の言った通りだったわ」とおさやは夢遊を睨んだ。

「奴も覗いたのか?」

「違います。藤兵衛様は誰かが覗くから気を付けろって言ってくれたんです」

「ふーん、つまんねえ事を言う奴じゃ。とにかく、銀次を呼んでくれ」

「はい」とおさやは膝を押さえたまま、立ち上がると下がって行った。
遅い春








 抜け穴の事も、狂った信長の事も、帰って来ないお澪の事も、しばらく忘れて、一ケ月間、夢遊は淡路島で暴れ回っていた。暴れたと言っても、人殺しをしていたのではない。信長の大量殺戮を見た後、夢遊はその反発もあって、絶対に人を殺すなと命じていた。

 十一月の半ば、めぼしい財宝を奪って夢遊は安土に帰って来た。

 紅葉も枯れ落ち、荒涼とした冬景色の中、天主だけが憎々しげに輝いていた。天主を眺めながら、夢遊は穏やかな顔をして、いつものようにフラフラと歩いていたが、いつものように、娘たちに声を掛ける事もなく我落多屋へと帰った。

 夢遊の帰りを首を長くして待っている男がいた。

 新堂の小太郎だった。小太郎は夢遊が淡路島に向かった二日後、我落多屋に現れ、それからずっと、近くにある大津屋という旅籠屋に滞在しながら、夢遊の帰りを待っていた。

 夢遊が帰って来た事を知るとさっそく、小太郎はやって来た。人が変わったのか、遊び人という格好で酒をぶら下げていた。

「景気よさそうじゃの」と夢遊はその姿に呆れた。

 花柄模様の派手な袷(アワセ)に白鞘(サヤ)の刀を差して、丈の長い羽織を引っかけ、夢遊の格好とそっくりだった。

「伊賀の掟が消えたからのう。掟なしの生き方がこんなにも面白えとは知らなかったわ。遅すぎた春を今、存分に楽しんでるというわけじゃ」

「仲間があれだけ殺されたというのに、いい気なもんじゃ。無一文じゃなかったのか?」

「ナニ、柏原の砦から銀を少々、拝借した」

「ふん。盗っ人の真似か?」

「いや。柏原まで助っ人に出掛けた報酬じゃ」

「その銀で遊び惚けてるのか?」

「そうよ。毎晩、若え娘っ子に囲まれてな、飲めや歌えと浮かれてるのよ」

 おさやがお椀とちょっとした肴(サカナ)を持って来た。

「セニョリータ、なかなかの別嬪(ベッピン)じゃのう」と小太郎はおさやを見て、ニタッと笑った。

「ありがとうございます。でも、そんなお世辞は大旦那様から毎度、聞かされて慣れてますので、何とも思いませんわ。どうぞ、ごゆっくり」

「くノ一か?」と小太郎はおさやの後ろ姿を眺めながら小声で言った。

「ただの奉公娘じゃ」

「わしに隠す事はねえ。あの足の運びは素人じゃねえわ。まあ、いいか、まず、一献じゃ」

 二人は酒を酌み交わした。
遅い春








 小野屋に顔を出すと、お澪は夢遊の顔を見るなり驚いた。目を丸くして、何も言わずに夢遊の手を引っ張って、屋敷の裏にある茶室に連れて行った。

 戸を締め切って、誰もいない事を確認してから、「あなた、大丈夫だったの?」とようやく、口を開いた。

「大丈夫だが、一体、どうしたんじゃ?」

「あなたが柏原の砦にいたって噂を聞いて、あたし、とても心配だったのよ。藤兵衛様に聞いても、あなたがどうなったのか教えてくれないし、柏原の砦は皆殺しにされたんでしょ? よく無事だったわネ」

 お澪は夢遊の顔をマジマジと見つめた。

 夢遊は思わず、お澪を抱き締めた。

「柏原の砦が皆殺しにされたって?」

 夢遊はお澪を抱いたまま、不思議そうな顔をして聞いた。

「そういう噂よ、伊賀の忍びは全滅したって。石川五右衛門も殺されたって」

「信長が流した嘘の噂じゃ。砦は皆殺しになんかなっておらん。信長の兵が攻め込んだ時はモヌケの殻だったはずじゃ。比自山の砦だってそうじゃ。信長の兵をさんざ悩ませておいて、最後にはオサラバしたんじゃよ」

「そうだったの‥‥‥よかった」

 お澪は夢遊から離れると、改めて、夢遊の姿を眺めて、嬉しそうに笑った。

 夢遊も嬉しそうに笑ったが、「ちょっと待て」と考え顔になった。「お澪殿、どうして、わしが石川五右衛門じゃと知っておるんじゃ?」

「新堂の小太郎様から聞いたの。あたし、ビックリしちゃったわ。あなたがあの有名な盗賊だなんて信じられなかった。でも、我落多屋さんの性格からすると、あなたが五右衛門様なら、納得がいくと思ったわ」

「そうか、バレちまったらしょうがねえ。だが、お澪殿、この事は内緒にしておいてくれ」

「分かってるわよ。誰にもしゃべってません」

「オブリガード(ありがとう)」

 二人は向かい合って座ると、改めて、お互いの顔を見つめて笑いあった。

「しかし、小太郎の野郎、何でもペラペラしゃべりやがって、許せん」

「小太郎様もつい、しゃべってしまったのよ。あたしが夢遊様の事をしつこく聞いたから、つい、ポロッとネ。小太郎様も砦は皆殺しになって、五右衛門様も死んだかもしれないって言ってたわ」

「あの野郎、嘘ばかり付きやがって」

「でも、よかったわ、あなたが無事で」

「わしが盗賊と分かっても、お澪殿の気持ちは変わらんのか?」

「変わらないわよ。前よりも、ずっと好きになったみたい」

「へえ、そなたは変わってるのう」

「小田原にも、あなたみたいな人がいるのよ。盗賊じゃないけど、北条氏を陰で守ってる凄い人がネ」

「風摩の小太郎か?」
鴬燕軒








 遊女屋の豪遊の後、孫一は度々、我落多屋にやって来た。いつも、新堂の小太郎が一緒だったが、夢遊が石川五右衛門だという事は隠してくれた。

 小太郎の話によると、孫一は天主の黄金の事はすっかり諦めたようだった。うまくすれば、黄金一万枚を盗み取る事ができるかもしれないが、その後が恐ろしいという。小太郎から悲惨な伊賀の有り様を聞き、黄金を手に入れるよりも信長を敵に回すほうが恐ろしい。敵に回すよりも信長の力を利用したいと考えているようだった。

 孫一が帰る時、小太郎も雑賀に向かった。孫一が一緒に来いというので、安土も飽きたし、雑賀に行くという。ジュリアが見つかったら、必ず、呼んでくれと念を押して船に乗って行った。

 夢遊も二人が去った後、天王寺屋了雲とお澪を連れて堺に向かった。堺では夢遊もお澪も仕事があったので、昼は別々だったが、夜はいつも一緒にいた。ここでも、遊び人として夢遊の名は有名だった。しかし、妻子のいる長浜からは遠く、夢遊は安心して、大っぴらに付き合っていた。小太郎ではないが、遅い春を充分に楽しんでいた。

 一月近く、堺に滞在した二人は十二月の半ばに安土に帰り、夢遊は我落多屋にも顔を出さずに、久し振りに妻子の待つ長浜に帰った。

 妻と子の機嫌を取りながら、留守を守る羽柴藤吉郎秀吉の家臣たちとお茶会や連歌会などをして過ごしていた。

 夢遊の妻はおれんといい京都の商人の娘だった。一緒になって十七年になるが、夢遊の正体を知らなかった。十六歳になるおなつという娘と十三歳になるおふゆという娘、九つの五助と五つの六助と四人の子供がいた。以前は京都に住んでいたが、藤吉郎が長浜に城を築いた六年前より、こちらに移っていた。

 母子は立派な屋敷に住んでいた。しかし、主人の夢遊がいる事は少なく、おれんは子育てをしながら、夢遊の愚痴ばかりこぼしていた。愚痴を言う相手は近所に住んでいる藤吉郎の家臣、浅野弥兵衛の妻、おややだった。おややの姉は藤吉郎の妻、お祢(ネ)だったので、三人はよく集まっては亭主の悪口を言っているらしかった。

 夢遊はお澪の事をしばらく忘れて、子供たちと一緒に遊び、おれんに何を言われても怒らないで、ジッと我慢の日々を送っていた。

 十二月の二十日、藤吉郎が姫路より帰り、安土で信長に因幡(イナバ)と淡路島を平定した事を報告した。藤吉郎は信長のために驚く程の土産を持って帰って来たと長浜でも噂になった。

 信長から褒美(ホウビ)として八種類の名物のお茶道具を貰った藤吉郎は、二十二日に長浜に帰って来た。城下に夢遊がいる事を知ると、さっそく、夢遊を城内に呼んで、信長から貰ったお茶道具を披露した。

「どうじゃ、凄いじゃろう。おぬしらのお陰じゃ」

 藤吉郎は機嫌がよかった。菊花模様の派手な羽織を着て、目の前に並べた名物茶道具を眺めながら、猿のような顔をクシャクシャにしていた。

「おぬしらが因幡の米を買い占めてくれたお陰で、鳥取城は以外にも早く落ちたわ」

「ナニ、米の取り引きのお陰であくでえ商人が分かり、獲物を捜す手間が省けたわ」

 夢遊もお茶道具を眺めながら、ニヤリと笑った。
鴬燕軒








 年が明けると、各地から大勢の者たちが信長に新年の挨拶を告げるため、安土の城下に押しかけて来た。百々(ドド)橋を渡って摠見寺から天主へと続く道は人の列で溢れ、石垣が崩れて死者や怪我人まで出るという賑わいだった。

 挨拶に訪れたのは武士は勿論の事、京都から公家衆や僧侶までもが大勢の供を引き連れてやって来た。城下の宿屋はすべて埋まり、寺院も宿所(シュクショ)に宛てがわれたが、それでも足らず、民家も解放しなければならなかった。我落多屋の二階もお澪の屋敷も遠くからやって来た武士に利用された。

 城下の賑わいをよそに、夢遊とお澪の二人は静かな別宅『鴬燕軒』で、二人だけの新年を祝っていた。

 赤々と燃える囲炉裏の端で、南蛮渡りの絨毯(ジュウタン)の上に座り込んで、お澪の手料理をつまみながら夢遊は御機嫌だった。二人とも暖かそうで豪華な綿入れを着込んでいた。

 お澪は夢遊に甘えながら、夢遊が今まで、どんな事をして来たのか、しきりに聞きたがった。すでに、お澪は夢遊の正体を知っているので、思い出話を聞かせてやった。

「わしはのう、伊賀の石川村で生まれたんじゃ。今はもう村はなくなってしまったがな」

 夢遊はお澪の顔を眺めながら、少し顔を歪めて酒を飲んだ。

「御両親は無事だったの?」

 お澪は夢遊に寄り添いながら、酌(シャク)をした。

「もう、ずっと前に死んでるわ。わしの親父は貧しい百姓じゃった。わしは五男でのう。幼い頃から宮大工のもとに奉公に出されたんじゃ。知っての通り、伊賀は忍びで有名じゃ。いや、有名じゃったと言うべきか‥‥‥わしも一流の忍びになりたかったんじゃ。あちこちに武術道場があっての、忍びの術を教えていた。わしも習いたかったが道場に通う銭がなかったんじゃよ。わしは十五の時、国を飛び出した。偉くなって帰って来てやると決心してのう。わしはまず、京都に行ったんじゃ。何とか、京都にたどり着いたが、銭はねえし腹は減るしで最悪じゃった。わしが初めて、盗っ人の真似をしたのは京都じゃ。相手が誰だったか思い出せんが、わしは荷物を引ったくると必死になって逃げた。山の中で荷物を開けると一貫文(イッカンモン)近くの銭が入っていた。わしは京都を後にして東へと向かったんじゃ。別に当てがあったわけじゃねえが、足の向くまま、気の向くままに駿河の国まで行ってのう、駿府(スンプ、静岡市)の場末の木賃宿で、妙な奴と出会ったんじゃ。奴との出会いが、その後のわしの生き方を変えたとも言える」

「へえ、誰なの、その人?」お澪は興味深そうに聞いて来た。

 夢遊はお澪の顔を覗き込みながら、「誰じゃと思う?」と笑った。

「さあ、誰かしら? 駿河と言えば、今川氏でしょ。でも、場末の木賃宿で会ったんじゃ関係ないわよね。大泥棒にでも会ったの?」

「大泥棒かもしれんのう。国を盗んでおるからの」

「その人、武将なのね?」

「木下藤吉郎じゃ。今の羽柴筑前守(チクゼンノカミ)じゃよ」

 夢遊はそう言うと、お澪の口を吸った。

「まあ、そんな古いお付き合いだったの。驚いたわ」

 お澪は夢遊の懐(フトコロ)に手を差し入れた。

 夢遊はお澪を膝の上に抱き上げると、「湯に入るか?」と言った。

 お澪は恥ずかしそうにうなづいた。

 夢遊はお澪を抱きかかえたまま、中庭を通り抜けて湯殿に向かった。下人や下女がいるわけではないので、夢遊が井戸の水を汲んで沸かして運んだ湯だった。

 夢遊はお澪を下ろすと帯を解いて綿入れを脱がせた。綿入れの下は裸だった。
東からの風



 夢遊は配下を引き連れ、備中(ビッチュウ、岡山県西部)に向かった。

 お澪は小野屋に戻り、いつもの生活に戻った。我落多屋の藤兵衛と小野屋の与兵衛は、夢遊がいなくなった事を手を取り合って喜んだ。

 正月の十五日、信長は安土の馬場で盛大に爆竹(バクチク)を鳴らして馬揃えを行なった。信長を初めとして馬廻(ウママワリ)衆や小姓(コショウ)衆がきらびやかに着飾って、自慢の馬を乗り回した。

 お澪は与兵衛を連れて見物に出掛けたが、夢遊がいないので、何となく面白くなかった。

 正月の末、信長の家来となった雑賀の孫一が宿敵の土橋若大夫を攻め殺したとの知らせが届き、信長は側近の野々村三十郎を検使として雑賀に送った。

 お澪は西の空を眺め、夢遊の無事ばかりを祈っていた。時には一人で鴬燕軒(オウエンケン)に行き、見事に咲き誇る梅の花を眺めたりもしたが、余計、寂しさがつのるばかりだった。しかし、二月になるとそれ所ではなくなって来た。

 武田勝頼(カツヨリ)の妹婿の木曽義昌が信長に寝返った事から、関東の情勢が変わりつつあった。

 二月の三日、信長は武田家を滅ぼすための出陣命令を下した。同盟を結んでいる徳川家康に駿河口より、北条氏政に関東口より甲斐に攻め込む事を依頼し、飛騨口からは金森長近に攻め込ませた。十二日に岐阜城主である信長の長男、信忠が美濃と尾張の兵を引き連れて東に向かった。

 信長が出陣したのは三月の五日だった。坂本城の明智十兵衛も細川藤孝、筒井順慶らと信長に従って甲斐の国へと出陣した。

 お澪は信長の後を追うように岐阜に向かった。岐阜の小野屋で詳しい状況を聞くと木曽谷に向かった信長を追う事なく、尾張の熱田から船に乗って小田原へと向かった。

 三月十一日、武田勝頼は天目山麓に追い詰められ、自害して果て、甲斐の名門武田家は滅び去った。

 そんな事は知らず、夢遊は備中の国で暴れていた。毛利家と取り引きしている商人を片っ端から襲って財宝を盗み取り、高松城下では商人の蔵に溜め込んである米をすべて焼き払った。羽柴藤吉郎が姫路から大軍を率いてやって来ると、敵の城に夜襲を掛けて城攻めも手伝い、安土に帰って来たのは、桜の花も散ってしまった四月の初めだった。

 お澪が首を長くして待っているに違いないと土産を持って小野屋に行ったが、お澪はいなかった。

 与兵衛に聞くと、お澪は小田原に帰らなければならなくなったと言う。武田家が滅び、信長が上野(コウヅケ)の国(群馬県)まで進出して来たため、北条家は信長と戦わなくてはならなくなった。お澪は今月から姫路の店に行く予定だったが、関東で戦が始まれば、もう、こっちには戻って来ないだろうと冷たい顔をして言った。

 気落ちした夢遊は我落多屋に帰らず、池田町の遊女屋に向かった。孫一と馬鹿騒ぎして以来だった。遊女たちに歓迎されて大騒ぎしたが、お澪を失った虚しさを癒す事はできなかった。夢遊は思い切って、拠点を小田原に移そうかと本気で考えた。しかし、今更、藤吉郎と別れて関東に行く決心は着かなかった。

閑古鳥




 夢遊とお澪が再会を喜びあった翌日、雑賀から孫一が新堂の小太郎を連れて、信長の戦勝祝いを告げるために安土にやって来た。

 ジュリアが戻って来た事を知った小太郎が、ジュリアに会いたがっていると新五が鴬燕軒に知らせに来た。

「奴はどんな様子じゃ?」

 夢遊は湯漬けをかっ込みながら聞いた。

「相変わらずです。大旦那様の真似をして、若い娘に声を掛けまくってますよ」

「馬鹿な事を言うな。いつ、わしがそんなアホらしい事をした」

 お澪が夢遊の隣でクスクスと笑っていた。

「すみません。女将さんに会う前の大旦那様のように‥‥‥」

「一々、そんな事、説明せんでもいいわ」と言った後、「ジュリアの方はどうなんじゃ?」と夢遊はお澪に聞いた。

「小太郎様の事はジュリアから聞いてるわ。大好きなおじさんが伊賀に行ったまま帰って来ないって、時々、寂しそうな顔をしてたわネ」

「そうか‥‥‥悪いが、新五、また山に行ってジュリアを連れて来てやれ」

 夕方になると、太郎と共に抜け穴を調べるため、夢遊はお澪を鴬燕軒に残して我落多屋に帰った。

我落多屋の暖簾をくぐろうとすると二階から、「兄貴、ジュリアはどこ行ったんじゃ?」と叫ぶ小太郎の声が聞こえた。

 夢遊は通りに戻ると二階を見上げ、「待ってろ。もうすぐ、来るわ」と答えた。

 藤兵衛は夢遊を見ると顔をしかめたが、何も言わなかった。

 夢遊は二階に上がり、小太郎の格好を眺めた。確かに、新五の言う通り、相変わらず、夢遊の真似をしていた。

 小太郎は夢遊に飛び付き、「ジュリアはどこじゃ?」とまた、聞いて来た。

「昨日、マリアに会うために山に登ったんじゃ。新五が呼びに行ったから、そろそろ帰って来るじゃろう」

「そろそろって、いつじゃ?」

「日暮れ前には来るじゃろう」

「もうすぐ、会えるんじゃな?‥‥‥待ち遠しいのう」

 小太郎はジッと待っている事ができず、大通りに出て、行ったり来たりしていた。

 夢遊は二階から、滑稽な小太郎の姿を眺めては笑っていた。

「大旦那様にそっくりですよ」と一緒に見ていたおさやが言った。

「わしはあんなブザマじゃねえわ」

「小太郎様が大旦那様の事を兄貴って呼んでるので、みんな、ほんとの兄弟だって思ってますよ」

「まったく、困ったもんじゃの」

 突然、大声が聞こて来たと思ったら、小太郎がジュリアを抱き上げて、大通りを走って来た。ジュリアは小太郎の腕の中でキャーキャー騒ぎ、小太郎はわけの分からない事を叫んでいた。

「馬鹿じゃねえのか、あいつら。みっともねえ」

 夢遊もおさやも呆れた顔で、小太郎とジュリアを見下ろしていた。

 道行く人たちが驚いているのも構わず、小太郎はわめきながら、大通りを左に曲がって行った。

「奴はあのまま、紀州屋まで行くのか?」

「紀州屋じゃなくて、大津屋ですよ」

「ほう、また大津屋に戻ったのか?」

「ジュリアが帰って来たと聞いて、孫一様と別れたみたいです」

「そうか‥‥‥まあ、好きにさせておけ」
天狗




 五月二十一日、徳川家康と穴山梅雪は長谷川藤五郎の案内で京都と堺を見物するため、安土を発って上洛した。

 家康を見送ると、信長は堀久太郎を使者として備中の藤吉郎のもとへ送った。信長自身もまもなく出陣するに違いないが、小田原から風摩小太郎はやって来なかった。

 夢遊とお澪は、間に合わないのではないかとハラハラしながら待っていた。

 鴬燕軒の庭園に咲く紫陽花(アジサイ)が雨に濡れている。

 夢遊とお澪は紫陽花を眺めながら、茶室でお茶を飲んでいた。

「早いわネ。もうすぐ半年になるのネ」とお澪が池を眺めながら言った。

「何が半年なんじゃ?」と夢遊は屋根から落ちる雨垂れを見ていた。

「夢のようなお正月からよ」

「そうか、もう、そんなに経つのか‥‥‥今だって、わしは夢のようじゃぞ」

 夢遊は、涼し気な単衣(ヒトエ)を着て雨を見ているお澪を見た。

「あたしだってそうだけど、いつまで続くのかしら?」

 お澪は夢遊をチラッと見てから、天目(テンモク)茶碗の中のお茶を覗いた。

「仕事が終わったら、小田原に帰るのか?」と夢遊は聞いた。

「帰らなければならないわ。信長様が死んだら、向こうは忙しくなるもの」

「そうじゃな。わしも忙しくなるのう。しかし、また、会えるじゃろう」

「そうネ、会えるわよネ」

 お澪は立ち上がって、縁側に出た。

「ネエ、このおうちはずっとこのままにしておいてネ。あたしたちの愛の巣なんだから」

「愛の巣か‥‥‥うむ、そうしよう。そなたとの約束をまだ、果たしてねえからのう」

「なあに、約束って?」

「満開の梅を眺めながら、一緒に風呂に入る事じゃ」

「そうだったわネ」とお澪は笑って湯殿を眺めた。「来年の春、実現するかしら?」

「梅が咲いたら、迎えに行くさ」

「小田原まで?」

「どこまでも」

「待ってるわ。あたしも来られたら来る」

 翌日、風摩太郎が父親、小太郎を連れてやって来た。二人とも山伏の姿をしていた。

 夢遊が思わず、頭を下げてしまう程、風摩小太郎は貫録があり、目に見えない凄みが感じられた。

 小太郎は挨拶の後、夢遊から状況を聞くと、大きくうなづいた。

「そなたの事は太郎から聞いた。そなたが羽柴殿の陰である事も聞いた。そなたは羽柴殿を信長の後継者とするため、弔い合戦をやらせるつもりでいるとか?」

 小太郎は落ち着いた静かな目で、夢遊を見ていた。

「はい。そのつもりです」と夢遊は答えた。

 夢遊は小太郎という男の人間的な大きさに圧倒されていた。

「うむ。わしらの目的は信長を殺すだけじゃ。信長が死ねば、わしらは引き上げる。その後、十兵衛が勝とうと羽柴殿が勝とうが、わしらは手出しはしない。ただ、十兵衛のもとにも甲賀者がかなりいる。気を付ける事じゃ」

 もうすぐ日が暮れるというのに、小太郎父子はすぐに、明智十兵衛の城下、坂本へと向かった。
時は今




 午前中は何とか持ったが、とうとう、昼頃から雨が降り出した。

 夢遊とお澪が安土に帰って来たのは、二十九日の昼過ぎだった。

 雨の中、二人は船から降り、お澪は鴬燕軒へ向かい、夢遊は我落多屋に帰った。

 夢遊が暖簾をくぐると、藤兵衛が帳場から慌てて飛び出して来て、「一体、どうなってるんです?」と聞いて来た。

 夢遊は藤兵衛に答えず、帳場を抜けて屋敷の台所へと向かった。おさやから酒を一杯もらうと、それをうまそうに飲み干し、濡れた着物を着替えてから、藤兵衛を二階に誘った。

 縁側から天主を睨みながら、「奴は動いたか?」と聞いた。

 藤兵衛はうなづいた。

「今朝、小姓(コショウ)衆二、三十騎率いて上洛しました。十兵衛の方はどうなってるんです?」

 藤兵衛はイライラしていた。

 夢遊は藤兵衛を落ち着かせてから、「ようやく、決心を固めた。今晩、あるいは明日の夜、決行されるじゃろう」と答えて、笑った。

「今晩か明日の晩ですって?」

 藤兵衛は口をポカンと開け、呆(アキ)れ顔で夢遊の横顔を眺めた。

「まったく、のんきなもんですな。間に合わなくなっても知りませんよ」

「大丈夫じゃ。備中には知らせた。藤吉郎がうまくやるじゃろう。京都の事は風摩に任せ、皆、備中に送った。わしも備中に行くが、向こうは準備完了じゃ」

「向こうは完了でも、こっちはこれからでしょ」と藤兵衛は夢遊の袖を引っ張った。

 夢遊は藤兵衛の手を振り払うと部屋に入った。

「ウォーッ」と叫ぶと大の字になって寝そべり、わざとのんきそうに、「店じまいの方はどうじゃ?」と聞いた。

「もう、ほとんど山に運びましたよ。後は、わしらが逃げるだけです」

 藤兵衛は怒ったような顔をして、夢遊の側に座り込んだ。

「おぬしの家族も逃がしたか?」

「ええ。昨日、実家の方に送りました」

「よし。新堂の小太郎はどうしてる?」

「すっかり新婚気取りで、ジュリアとイチャイチャしてますよ」

「ほう。家を借りたのか?」

「ええ。どこかに逃げられたら困りますからね。借りてやりました」

「マリアは山か?」

「ええ」

「マリアとジュリアにも手伝わせてやれ」

「なんですって? まったく、わしは素人衆の指揮を取るんですか?」

「運ぶだけじゃ。孫一の鉄砲隊がついてる」

「いくら、運ぶだけとはいえ、敵が襲撃して来たら、どうなる事やら」藤兵衛はまいったという顔付きで首を振っていた。

 夢遊は上体を起こすと、初めて真面目な顔をして藤兵衛を見た。

「とにかく、山にいるマリアと去年の修行者を呼んで待機していてくれ。わしはこれから、小太郎に話して来る。そして、奴をすぐに雑賀に飛ばす。奴の足でも雑賀まで行くとなれば二日は掛かろう。孫一が船を奪って安土に来るのは、早くて来月の四日あたりじゃな」

「それまで、待っていろと?」

「いや。それまでに十兵衛が攻めて来たらまずい。おぬしの判断で、やれると思ったら、天主から長谷川屋敷の下まで運んでおいてくれ。そこまで運べば、後は小太郎と孫一に任せてもかまわん」

「孫一は信じられませんよ」

「孫一が横取りしようとしたら逆らうな。後で取りに行けばいい事じゃ」

藤兵衛はうなづいた。「船で逃げるにしろ、そのまま、雑賀までは帰れんからのう。どこかで荷を下ろさなくてはならん」

「そうじゃ。陸路を襲えばいいんじゃ」

「しかし、奴らには鉄砲がありますよ」

「無理なら奴らの蔵を狙えばいい。天主から盗むよりは楽なはずじゃ。決して、無理はするな」

「分かりました」

 夢遊は新堂の小太郎の家に向かった。
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