織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
飛んでる娘
1
琵琶湖に突き出た丘の上に華麗な楼閣(ロウカク)がそびえている。
その豪華さは、この世のモノとは思えない程、素晴らしく、とても、言葉では表現できない程、美しかった。
五年前まで、人家もまばらな辺鄙(ヘンピ)な土地が今、誰もが注目する都となっていた。
安土(アヅチ)である。
尾張(愛知県)出身の英雄、織田信長は破竹の勢いで、群がる敵を打ち倒し、清須から岐阜、岐阜から京都へと進出したが、京都に留まる事なく、琵琶湖畔の安土の地に本拠地を置き、城下町を建設した。丘の上に石垣を積み上げ、五層建ての豪華な御殿を築き、それを天主と命名した。
城下には家臣たちの屋敷が並び、各地から集まって来た商人や職人たちが、新しい町を作っていた。町々は活気に溢れ、人々は城下の象徴である輝く天主を見上げながら、信長のお陰でようやく、戦乱の日々も終わったと安堵の日々を送っていた。
梅雨の上がった夏晴れの朝、職人たちの町への入り口に当たる鎌屋の辻と呼ばれる大通りの四つ角で、見るからに変わった二人の娘が深刻そうな顔付きで話し込んでいた。
二人共、足丸出しの丈(タケ)の短い単衣(ヒトエ)を着て、腰に巻いた白い帯の結び目を横に垂らしている。長い髪には蝶々のようなリボンを結び、旅支度をしているつもりか、小さな包みを背負って、杖(ツエ)を持っていた。
一人は赤い朝顔模様の単衣に赤いリボン、もう一人は青い朝顔模様の単衣に青いリボンを付け、好みの色は違うが、顔付きも体付きもそっくりだった。
「じゃア、気イ付けてネ」と赤いリボンの娘が跳びはねた。
「あんたもネ」と青いリボンの娘も跳びはねた。
「うまくやりましょ、ネ」
二人はうなづくと、天主を見上げてから、手の平をポンとたたき合って別れた。
青いリボンの娘は京都へと続く街道に向かい、赤いリボンの娘はしばらく、青いリボンの娘を見送っていたが、首から下げた十字架をそっと握るときびすを返した。
赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。
鎌屋の辻を二町(ニチョウ、約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。
東に行けば、百々(ドド)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中の摠見寺(ソウケンジ)がある。さらに登って、黒鉄(クロガネ)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。
西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(ナヤ)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(ハシバ)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。
赤いリボンの娘は大通りに出ると東に曲がり、両側に並ぶ店をキョロキョロ眺めながら歩いていた。
「あっ、アレだ!」と飛び上がると『我落多(ガラクタ)屋』と書かれた看板のある店へと向かった。
この大通りにはふさわしくない、みすぼらしい店構えだったが、店の後ろに建つ屋敷は対照的に素晴らしかった。二階もあり、欄干(ランカン)の付いた廊下と瓦葺(カワラブ)きの屋根が目立っていた。
「ヘンなの‥‥‥」と言いながら、娘は薄汚れた暖簾をくぐって店内に入った。
娘を追っていた山伏は、我落多屋に入って行った娘をチラッと見ながら、我落多屋の前を通り過ぎて曲がり角で姿を消した。それを追っている薬売りは何気なく、我落多屋を覗くと首をかしげてから、山伏が隠れている反対側の曲がり角を曲がって行った。
我落多屋の店内は名前が示す通り、まるで、ゴミ溜めのように、所狭しとガラクタが積み重なっていた。
娘がボンヤリと立ち尽くしていると、店の奥から番頭らしい男が現れて、ニコニコしながら近づいて来た。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
番頭は笑顔を浮かべたまま、ジロジロと娘の姿を上から下まで眺め回した。
肌が透けるように白く、目鼻立ちがクッキリしていて、長い髪と瞳は朽葉(クチバ)色だった。髪に南蛮(ナンバン)渡りのリボンを結び、着物の襟元(エリモト)からは十字架が覗いている。キリシタンに違いないが、それだけでなく、南蛮人との混血のようだった。
キリシタンは安土では珍しくなかった。信長自身はキリシタンにならなかったが、キリシタンを保護し、城下にはセミナリオ(学校)まであり、奇妙な鐘の音と異国の音楽が城下に鳴り響いていた。キリシタンは珍しくなかったが、混血娘は珍しかった。
「アノ、売れるの、このガラクタ?」と娘は首をかしげながら、ガラクタの山を指差した。
ボロボロになった鎧(ヨロイ)や兜(カブト)、穴の開いた菅笠(スゲガサ)、ヒビの入った瓶(カメ)や食器類、破れた着物、錆び付いた農具、割れた石仏など、あらゆる物が無造作に積んであった。しかし、すべてがまともではなかった。
「はあ?」と娘の白くスラッとした足を眺めていた番頭は顔を上げた。
「アラ、ごめんなさい。ガラクタだなんて」娘は申し訳なさそうな顔をして番頭を見た。
「いえ、いいんですよ。誰が見てもガラクタです、こんなモン」番頭はニヤニヤしながら、ガラクタを蹴飛ばした。
「売れるの、ほんとに?」
「こんなガラクタでも、喜んで買ってくれる人がいるんですよ」
「ふーん、ヘンなの」
「世の中は様々ですからね。捨てる神もいれば、拾う神もいるんです。怒る神もいるし、泣く神もいるし、笑う神もいるんですよ」
番頭は急に笑いだし、急に真顔に戻ると、「ところで、御用とは?」と聞いて来た。
「あたしネ、噂を聞いて来たんだよ」
娘は手にした杖で、壊れた鼓(ツヅミ)をたたいた。
ポコンと情けない音がした。
「ほう、どんな?」
「このお店に持ってけば、どんなガラクタでも買ってくれるって。お足(銭)に困ったら、高利貸しのトコなんか行かないで、どんなモンでもいいから我落多屋さんに持ってけば、思ってた以上のお足に替えてくれるっていうのよ」
「はい、その噂は本当ですよ。お足に困っておられるんですか? 御立派なお足を持ってらっしゃるのに」
番頭はニタニタしながら、娘の足を見ていた。
「今年の流行(ハヤ)りですかな? その短い着物は」
「そうよ。涼しくっていいの」
娘は得意気に腰を振りながら、一回りして見せた。
「お見事。で、何を買い取りましょうか?」
「あたし、違うのよ。売りに来たんじゃないの」と娘はまた、杖で鼓をたたいた。
「アノ、もう一つの噂、アレも本当なの?」
「何ですかな、アレとは?」
「このお店がネ、裏でネ、コッソリとネ、盗品を扱ってるっていう‥‥‥」
「ちょっと、ちょっと、待って下さい」番頭は手を上げて、娘の言葉をさえぎった。
「まったく困ったもんですな。一体、誰が、そんな噂を流すんでしょうか? うちは盗品など一切、扱っておりません」
「でも、みんな言ってるモン。我落多屋さんの御主人、夢遊(ムユウ)様の暮らし振りはハデ過ぎるって。遊んでばっかいるって。お店も安土だけじゃなくて、あっちこっちにあって、一流の商人や偉いお侍さんたちとも付き合ってるんはおかしいって。ガラクタだけを扱って、あんな贅沢できるはずないって。きっと、裏で高価な盗品の取り引きしてるに違いないって言ってるモン」
「嘘つくな。そんな事、誰も言っておらんわ」
番頭はとうとう怒ってしまい、ガラクタを思い切り蹴飛ばした。ガラクタの山が崩れ、娘の足元に土瓶(ドビン)が落ちて来て粉々に砕けた。
「キャッ!」と悲鳴を上げながら、娘は跳びはねた。
店の奥から、手拭いを被った娘が顔を出し、「久六(ヒサロク)さん、何やってんの?」と聞いて来た。
「また、売り物を壊したんでしょ?」と娘は番頭の久六とリボンの娘を見比べた。
「違うわ。このお嬢さんがな、ムチャクチャな事を言いよるんじゃ」
久六はリボンの娘をジロッと睨んだ。
娘はうつむき、小声で謝った。
「可哀想じゃない。泣いちゃうわよ」
「おさや、お前に任せるわ。わしゃ、若え娘っ子は苦手じゃ」
おさやと呼ばれた娘はリボンの娘に近づき、「どうしたの?」と優しく聞いた。
久六は壊れた土瓶を片付けながら、娘の足をチラチラと見ていた。
「ある人を捜してほしいの」と娘はおさやに言っていた。
「人捜し?‥‥‥ごめんなさい。うちでは、そういう事はやってないのよ」
「いえ、違うの。アノ‥‥‥実はネ、このお店が盗品を扱ってると聞いて」
「誰から、そんな嘘っぱちを聞いたんじゃ?」と久六が口を出した。
「そうよ。誰がそんな事を言ったの?」
娘は黙ってしまった。
「おさや、おめえはそういう流行りの着物は着ねえのか?」と久六はおさやの足元を見ながら言った。
「なに言ってんのよ」
「おめえの足は太えからダメか?」
「なんですって?」
「涼しいらしいぞ、な」
リボンの娘はうなづいた。
「今、そんな事、話してたんじゃないでしょ。何を話してたか忘れちゃったじゃない」
「アノー、実はネ、盗賊なの。捜したい人って」娘は何でもない事のように言った。
「トーゾク?」とおさやは聞き直した。
「はい。イシカワゴエモン様」
娘は大きな目をして、おさやと久六を交互に見つめていた。
久六はたまげた顔をして、わけもなく首を揺らせていた。
「石川五右衛門か‥‥‥確かに、盗賊じゃ」と言うとおさやに目配せした。
「確かにネ、有名な盗賊だわ」とおさやも言って、娘のリボンを見つめていた。
「どうしても、捜さなくちゃなんないの」娘は強い口調で言った。右手は胸元の十字架を握り締めていた。
「何か、深いわけがありそうネ?」とおさやは心配そうに言い、
「まあ、噂は噂として、何やら困ってるようじゃな」と久六はニカッと笑った。
「とりあえず、上がってもらえ」
おさやに案内されて娘は奥の客間に移った。
畳が敷いてあり床の間もあり、花入れにはシャガの花が一輪、飾ってあった。
「へえ、お店と大違い」
娘は部屋の中を眺め回し、窓から外を覗いた。
ちょっとした庭があり、紫陽花(アジサイ)の花が見事に咲いていた。裏の方からセミの声が聞こえて来る。今日も暑くなりそうだった。
鼻歌に合わせて尻を振りながら、娘が庭を眺めていると、久六がこの店の主人である藤兵衛という男を連れて来た。年は四十前後で背は低いが、ガッシリとした体格の男で、娘に向かって丁寧に頭を下げた。
「アノ、このお店の旦那様は夢遊様だと聞いてるけど‥‥‥」と娘は不思議そうに聞いた。
「確かに、我落多屋の大旦那は夢遊様です。大旦那様は何かと忙しいのでな、わたしがこの店を任されているというわけです」
「遊ぶのに忙しいの?」
藤兵衛はニヤリと笑って、「まあ、そういう事じゃな」と腰を下ろした。
「石川五右衛門を捜してるそうじゃの?」
久六は娘に笑いかけ、腰を振りながら店の方に消えて行った。
「はい。見つけてもらえます?」
娘は藤兵衛の前に座り、期待を込めて身を乗り出したが、藤兵衛は首を振った。
「ほう」と言いながら、藤兵衛は目を丸くして娘を眺めた。
見るからに変わった娘だった。目の色が違った。髪の色も違う。そして、着ている着物は短か過ぎた。膝を丸出しにして、チョコンと座っている。藤兵衛は慌てて、膝から視線をそらすと、「そなた、どっから来たんじゃ?」と堅苦しい顔をして聞いた。
「どっからって、安土に住んでるもん。前は高槻(タカツキ)にいたけど」
「成程、キリシタンじゃな」
「ネエ、五右衛門様、捜してくれるの?」
「難しいな。五右衛門が京都を中心に盗賊を働いていたのは、もう十年以上も昔の事じゃ。ここのお殿様(信長)が京都を治めるようになってから、五右衛門も身の危険を感じて姿を消してしまった。多分、今、京都の近辺にはおらんじゃろう」
藤兵衛は眉間(ミケン)にしわを寄せて、手に持った扇子(センス)で肩をたたいていた。
「どこ、行っちゃったの?」
娘は急に心配顔になって、うなだれた。
「分からんのう。そなた、まだ若いようじゃが、五右衛門の事を知っておるのか?」
娘は顔を上げると首を振った。
「じゃろうの。五右衛門が暴れ回っていた頃はまだ、子供じゃったからの。しかし、また、どうして、五右衛門を捜してるんじゃ?」
「お仕事、頼みたいの」と娘は思いつめたような顔をして言った。
「なんじゃと、五右衛門に仕事? 盗みでも頼むのか?」
娘は大きくうなづいた。
「一体、そなた、何を考えてるんじゃ?」
「父の仇(カタキ)討ち」
娘の名はマリアと言った。
番頭の久六が思った通り、南蛮人との混血だった。父親は善次郎といい、南蛮流の技術を身に付けた大工で、母親はクララといい、ポルトガル人の商人と日本人の娘との間に生まれた混血娘だった。マリアは四分の一、ポルトガル人の血が入っている混血だった。
マリアの父親は京都の宮大工だったが、二十年前、親方と共に京都で最初の南蛮寺を建ててから、キリスト教に惹かれて改宗し、南蛮の技術を身に付けた。その熱心さは宣教師たちに認められ、各地に教会を建てる時、常に善次郎が中心になって活躍した。五年前に新しく建てられた京都の南蛮寺を建てたのも善次郎で、安土のセミナリオを建てたのも善次郎だった。
マリアはセミナリオの近くにある孤児院で働いていた。その孤児院は高槻から来たキリシタン、ドミニカが始めたもので、戦によって孤児になった幼い子供たちが収容されていた。朝から晩まで、マリアは休む間もなく、孤児たちの面倒を見ていた。
セミナリオが完成すると善次郎はその腕を見込まれて、信長に呼ばれ、城内での仕事を頼まれた。城内でどんな仕事をしていたのか、マリアに話してくれなかったが、多額の報酬を貰ったと喜んでいた。ところが、三日前、何者かに殺されてしまった。その仇を石川五右衛門に討って貰いたいと言う。
「どうして、そこに石川五右衛門が出て来るのか、わしにはどうも分からんが」と藤兵衛は鼻の脇をかきながら、マリアの白い膝をチラッと見た。
「五右衛門様は昔ネ、パードレ(宣教師)様をお助けになったの。京都に最初の南蛮寺を建てる時、五右衛門様は色々と助けてくれたってお父様がいつも話してくれたよ。それにネ、五右衛門様は毎年、必ず、南蛮寺に多額の寄付をしてくれるのよ。あたしは五右衛門様に会った事ないけど、お父様は会った事あるの。五右衛門様ならきっと、仇を討ってくれると思って、それでネ、捜してるの」
「ほう、五右衛門がヤソ教に寄付をしていたとはのう、初耳じゃ」
「本当の事よ。ここのお殿様が助けてくれるまで、パードレ様はまるで、乞食のような暮らし、してたんだって。もし、五右衛門様が助けてくれなかったら、南蛮寺を建てる事はできなかっただろうってお父様は言ってたよ」
「成程のう。五右衛門がそんな奴じゃったとは知らなかったわ。世間の噂ほど、悪い奴じゃなさそうじゃの」
「ステキな人だと思うわ、きっと」
マリアは夢見るような目をして、床の間に掛けられた水墨画を眺めていた。掛け軸には、ひょうきんな顔をした二人の坊さんが山奥で睨めっこをしている絵が描かれてあったが、マリアにはステキな五右衛門の姿が見えるようだった。
「うむ。ところで、そなたの父親はなぜ、殺されたんじゃ?」
「分かんないの」とマリアは首を振った。
「城内で仕事をしていたと言ったのう。城内で何かがあったんじゃないのか?」
「分かんない。でも、お殿様から御褒美として黄金の小判をいただいたって言ってたよ。でも、その小判は盗まれちゃった」
「物取りの仕業か‥‥‥」
「はい‥‥‥五右衛門様なら分かるかも」
「もしかしたらな」
「お願い、五右衛門様を捜して」
「うーむ。捜してやりたいがの」
マリアはすがるような目で藤兵衛を見つめていた。その目は涙であふれていた。気が強そうに見えても、まだ、父親の死から立ち直っていないようだった。
「そなたがどうしてもと言うのなら、京都の我落多屋に行ってみるといい。京都の店は五右衛門が活躍していた頃からあったからのう。あそこに行けば何か分かるかもしれん」
「京都‥‥‥」
マリアは不安そうにうつむいた。目から涙がポトリとこぼれ落ちた。
「心配しなくも、うちの若い者が明日、京都に行く事になっておる。一緒に行けばいい」
「はい‥‥‥お願いします」
マリアは南蛮渡りの洒落(シャレ)たハンカチで涙を拭くと、目を輝かせて喜んだ。
赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。
鎌屋の辻を二町(ニチョウ、約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。
東に行けば、百々(ドド)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中の摠見寺(ソウケンジ)がある。さらに登って、黒鉄(クロガネ)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。
西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(ナヤ)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(ハシバ)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。
赤いリボンの娘は大通りに出ると東に曲がり、両側に並ぶ店をキョロキョロ眺めながら歩いていた。
「あっ、アレだ!」と飛び上がると『我落多(ガラクタ)屋』と書かれた看板のある店へと向かった。
この大通りにはふさわしくない、みすぼらしい店構えだったが、店の後ろに建つ屋敷は対照的に素晴らしかった。二階もあり、欄干(ランカン)の付いた廊下と瓦葺(カワラブ)きの屋根が目立っていた。
「ヘンなの‥‥‥」と言いながら、娘は薄汚れた暖簾をくぐって店内に入った。
娘を追っていた山伏は、我落多屋に入って行った娘をチラッと見ながら、我落多屋の前を通り過ぎて曲がり角で姿を消した。それを追っている薬売りは何気なく、我落多屋を覗くと首をかしげてから、山伏が隠れている反対側の曲がり角を曲がって行った。
我落多屋の店内は名前が示す通り、まるで、ゴミ溜めのように、所狭しとガラクタが積み重なっていた。
娘がボンヤリと立ち尽くしていると、店の奥から番頭らしい男が現れて、ニコニコしながら近づいて来た。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
番頭は笑顔を浮かべたまま、ジロジロと娘の姿を上から下まで眺め回した。
肌が透けるように白く、目鼻立ちがクッキリしていて、長い髪と瞳は朽葉(クチバ)色だった。髪に南蛮(ナンバン)渡りのリボンを結び、着物の襟元(エリモト)からは十字架が覗いている。キリシタンに違いないが、それだけでなく、南蛮人との混血のようだった。
キリシタンは安土では珍しくなかった。信長自身はキリシタンにならなかったが、キリシタンを保護し、城下にはセミナリオ(学校)まであり、奇妙な鐘の音と異国の音楽が城下に鳴り響いていた。キリシタンは珍しくなかったが、混血娘は珍しかった。
「アノ、売れるの、このガラクタ?」と娘は首をかしげながら、ガラクタの山を指差した。
ボロボロになった鎧(ヨロイ)や兜(カブト)、穴の開いた菅笠(スゲガサ)、ヒビの入った瓶(カメ)や食器類、破れた着物、錆び付いた農具、割れた石仏など、あらゆる物が無造作に積んであった。しかし、すべてがまともではなかった。
「はあ?」と娘の白くスラッとした足を眺めていた番頭は顔を上げた。
「アラ、ごめんなさい。ガラクタだなんて」娘は申し訳なさそうな顔をして番頭を見た。
「いえ、いいんですよ。誰が見てもガラクタです、こんなモン」番頭はニヤニヤしながら、ガラクタを蹴飛ばした。
「売れるの、ほんとに?」
「こんなガラクタでも、喜んで買ってくれる人がいるんですよ」
「ふーん、ヘンなの」
「世の中は様々ですからね。捨てる神もいれば、拾う神もいるんです。怒る神もいるし、泣く神もいるし、笑う神もいるんですよ」
番頭は急に笑いだし、急に真顔に戻ると、「ところで、御用とは?」と聞いて来た。
「あたしネ、噂を聞いて来たんだよ」
娘は手にした杖で、壊れた鼓(ツヅミ)をたたいた。
ポコンと情けない音がした。
「ほう、どんな?」
「このお店に持ってけば、どんなガラクタでも買ってくれるって。お足(銭)に困ったら、高利貸しのトコなんか行かないで、どんなモンでもいいから我落多屋さんに持ってけば、思ってた以上のお足に替えてくれるっていうのよ」
「はい、その噂は本当ですよ。お足に困っておられるんですか? 御立派なお足を持ってらっしゃるのに」
番頭はニタニタしながら、娘の足を見ていた。
「今年の流行(ハヤ)りですかな? その短い着物は」
「そうよ。涼しくっていいの」
娘は得意気に腰を振りながら、一回りして見せた。
「お見事。で、何を買い取りましょうか?」
「あたし、違うのよ。売りに来たんじゃないの」と娘はまた、杖で鼓をたたいた。
「アノ、もう一つの噂、アレも本当なの?」
「何ですかな、アレとは?」
「このお店がネ、裏でネ、コッソリとネ、盗品を扱ってるっていう‥‥‥」
「ちょっと、ちょっと、待って下さい」番頭は手を上げて、娘の言葉をさえぎった。
「まったく困ったもんですな。一体、誰が、そんな噂を流すんでしょうか? うちは盗品など一切、扱っておりません」
「でも、みんな言ってるモン。我落多屋さんの御主人、夢遊(ムユウ)様の暮らし振りはハデ過ぎるって。遊んでばっかいるって。お店も安土だけじゃなくて、あっちこっちにあって、一流の商人や偉いお侍さんたちとも付き合ってるんはおかしいって。ガラクタだけを扱って、あんな贅沢できるはずないって。きっと、裏で高価な盗品の取り引きしてるに違いないって言ってるモン」
「嘘つくな。そんな事、誰も言っておらんわ」
番頭はとうとう怒ってしまい、ガラクタを思い切り蹴飛ばした。ガラクタの山が崩れ、娘の足元に土瓶(ドビン)が落ちて来て粉々に砕けた。
「キャッ!」と悲鳴を上げながら、娘は跳びはねた。
店の奥から、手拭いを被った娘が顔を出し、「久六(ヒサロク)さん、何やってんの?」と聞いて来た。
「また、売り物を壊したんでしょ?」と娘は番頭の久六とリボンの娘を見比べた。
「違うわ。このお嬢さんがな、ムチャクチャな事を言いよるんじゃ」
久六はリボンの娘をジロッと睨んだ。
娘はうつむき、小声で謝った。
「可哀想じゃない。泣いちゃうわよ」
「おさや、お前に任せるわ。わしゃ、若え娘っ子は苦手じゃ」
おさやと呼ばれた娘はリボンの娘に近づき、「どうしたの?」と優しく聞いた。
久六は壊れた土瓶を片付けながら、娘の足をチラチラと見ていた。
「ある人を捜してほしいの」と娘はおさやに言っていた。
「人捜し?‥‥‥ごめんなさい。うちでは、そういう事はやってないのよ」
「いえ、違うの。アノ‥‥‥実はネ、このお店が盗品を扱ってると聞いて」
「誰から、そんな嘘っぱちを聞いたんじゃ?」と久六が口を出した。
「そうよ。誰がそんな事を言ったの?」
娘は黙ってしまった。
「おさや、おめえはそういう流行りの着物は着ねえのか?」と久六はおさやの足元を見ながら言った。
「なに言ってんのよ」
「おめえの足は太えからダメか?」
「なんですって?」
「涼しいらしいぞ、な」
リボンの娘はうなづいた。
「今、そんな事、話してたんじゃないでしょ。何を話してたか忘れちゃったじゃない」
「アノー、実はネ、盗賊なの。捜したい人って」娘は何でもない事のように言った。
「トーゾク?」とおさやは聞き直した。
「はい。イシカワゴエモン様」
娘は大きな目をして、おさやと久六を交互に見つめていた。
久六はたまげた顔をして、わけもなく首を揺らせていた。
「石川五右衛門か‥‥‥確かに、盗賊じゃ」と言うとおさやに目配せした。
「確かにネ、有名な盗賊だわ」とおさやも言って、娘のリボンを見つめていた。
「どうしても、捜さなくちゃなんないの」娘は強い口調で言った。右手は胸元の十字架を握り締めていた。
「何か、深いわけがありそうネ?」とおさやは心配そうに言い、
「まあ、噂は噂として、何やら困ってるようじゃな」と久六はニカッと笑った。
「とりあえず、上がってもらえ」
おさやに案内されて娘は奥の客間に移った。
畳が敷いてあり床の間もあり、花入れにはシャガの花が一輪、飾ってあった。
「へえ、お店と大違い」
娘は部屋の中を眺め回し、窓から外を覗いた。
ちょっとした庭があり、紫陽花(アジサイ)の花が見事に咲いていた。裏の方からセミの声が聞こえて来る。今日も暑くなりそうだった。
鼻歌に合わせて尻を振りながら、娘が庭を眺めていると、久六がこの店の主人である藤兵衛という男を連れて来た。年は四十前後で背は低いが、ガッシリとした体格の男で、娘に向かって丁寧に頭を下げた。
「アノ、このお店の旦那様は夢遊様だと聞いてるけど‥‥‥」と娘は不思議そうに聞いた。
「確かに、我落多屋の大旦那は夢遊様です。大旦那様は何かと忙しいのでな、わたしがこの店を任されているというわけです」
「遊ぶのに忙しいの?」
藤兵衛はニヤリと笑って、「まあ、そういう事じゃな」と腰を下ろした。
「石川五右衛門を捜してるそうじゃの?」
久六は娘に笑いかけ、腰を振りながら店の方に消えて行った。
「はい。見つけてもらえます?」
娘は藤兵衛の前に座り、期待を込めて身を乗り出したが、藤兵衛は首を振った。
「ほう」と言いながら、藤兵衛は目を丸くして娘を眺めた。
見るからに変わった娘だった。目の色が違った。髪の色も違う。そして、着ている着物は短か過ぎた。膝を丸出しにして、チョコンと座っている。藤兵衛は慌てて、膝から視線をそらすと、「そなた、どっから来たんじゃ?」と堅苦しい顔をして聞いた。
「どっからって、安土に住んでるもん。前は高槻(タカツキ)にいたけど」
「成程、キリシタンじゃな」
「ネエ、五右衛門様、捜してくれるの?」
「難しいな。五右衛門が京都を中心に盗賊を働いていたのは、もう十年以上も昔の事じゃ。ここのお殿様(信長)が京都を治めるようになってから、五右衛門も身の危険を感じて姿を消してしまった。多分、今、京都の近辺にはおらんじゃろう」
藤兵衛は眉間(ミケン)にしわを寄せて、手に持った扇子(センス)で肩をたたいていた。
「どこ、行っちゃったの?」
娘は急に心配顔になって、うなだれた。
「分からんのう。そなた、まだ若いようじゃが、五右衛門の事を知っておるのか?」
娘は顔を上げると首を振った。
「じゃろうの。五右衛門が暴れ回っていた頃はまだ、子供じゃったからの。しかし、また、どうして、五右衛門を捜してるんじゃ?」
「お仕事、頼みたいの」と娘は思いつめたような顔をして言った。
「なんじゃと、五右衛門に仕事? 盗みでも頼むのか?」
娘は大きくうなづいた。
「一体、そなた、何を考えてるんじゃ?」
「父の仇(カタキ)討ち」
娘の名はマリアと言った。
番頭の久六が思った通り、南蛮人との混血だった。父親は善次郎といい、南蛮流の技術を身に付けた大工で、母親はクララといい、ポルトガル人の商人と日本人の娘との間に生まれた混血娘だった。マリアは四分の一、ポルトガル人の血が入っている混血だった。
マリアの父親は京都の宮大工だったが、二十年前、親方と共に京都で最初の南蛮寺を建ててから、キリスト教に惹かれて改宗し、南蛮の技術を身に付けた。その熱心さは宣教師たちに認められ、各地に教会を建てる時、常に善次郎が中心になって活躍した。五年前に新しく建てられた京都の南蛮寺を建てたのも善次郎で、安土のセミナリオを建てたのも善次郎だった。
マリアはセミナリオの近くにある孤児院で働いていた。その孤児院は高槻から来たキリシタン、ドミニカが始めたもので、戦によって孤児になった幼い子供たちが収容されていた。朝から晩まで、マリアは休む間もなく、孤児たちの面倒を見ていた。
セミナリオが完成すると善次郎はその腕を見込まれて、信長に呼ばれ、城内での仕事を頼まれた。城内でどんな仕事をしていたのか、マリアに話してくれなかったが、多額の報酬を貰ったと喜んでいた。ところが、三日前、何者かに殺されてしまった。その仇を石川五右衛門に討って貰いたいと言う。
「どうして、そこに石川五右衛門が出て来るのか、わしにはどうも分からんが」と藤兵衛は鼻の脇をかきながら、マリアの白い膝をチラッと見た。
「五右衛門様は昔ネ、パードレ(宣教師)様をお助けになったの。京都に最初の南蛮寺を建てる時、五右衛門様は色々と助けてくれたってお父様がいつも話してくれたよ。それにネ、五右衛門様は毎年、必ず、南蛮寺に多額の寄付をしてくれるのよ。あたしは五右衛門様に会った事ないけど、お父様は会った事あるの。五右衛門様ならきっと、仇を討ってくれると思って、それでネ、捜してるの」
「ほう、五右衛門がヤソ教に寄付をしていたとはのう、初耳じゃ」
「本当の事よ。ここのお殿様が助けてくれるまで、パードレ様はまるで、乞食のような暮らし、してたんだって。もし、五右衛門様が助けてくれなかったら、南蛮寺を建てる事はできなかっただろうってお父様は言ってたよ」
「成程のう。五右衛門がそんな奴じゃったとは知らなかったわ。世間の噂ほど、悪い奴じゃなさそうじゃの」
「ステキな人だと思うわ、きっと」
マリアは夢見るような目をして、床の間に掛けられた水墨画を眺めていた。掛け軸には、ひょうきんな顔をした二人の坊さんが山奥で睨めっこをしている絵が描かれてあったが、マリアにはステキな五右衛門の姿が見えるようだった。
「うむ。ところで、そなたの父親はなぜ、殺されたんじゃ?」
「分かんないの」とマリアは首を振った。
「城内で仕事をしていたと言ったのう。城内で何かがあったんじゃないのか?」
「分かんない。でも、お殿様から御褒美として黄金の小判をいただいたって言ってたよ。でも、その小判は盗まれちゃった」
「物取りの仕業か‥‥‥」
「はい‥‥‥五右衛門様なら分かるかも」
「もしかしたらな」
「お願い、五右衛門様を捜して」
「うーむ。捜してやりたいがの」
マリアはすがるような目で藤兵衛を見つめていた。その目は涙であふれていた。気が強そうに見えても、まだ、父親の死から立ち直っていないようだった。
「そなたがどうしてもと言うのなら、京都の我落多屋に行ってみるといい。京都の店は五右衛門が活躍していた頃からあったからのう。あそこに行けば何か分かるかもしれん」
「京都‥‥‥」
マリアは不安そうにうつむいた。目から涙がポトリとこぼれ落ちた。
「心配しなくも、うちの若い者が明日、京都に行く事になっておる。一緒に行けばいい」
「はい‥‥‥お願いします」
マリアは南蛮渡りの洒落(シャレ)たハンカチで涙を拭くと、目を輝かせて喜んだ。
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