織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
飛んでる娘
2
朝から日差しが強かった。
琵琶湖はキラキラと輝き、船は気持ちよさそうに湖上を走っていた。
「あたしネ、初めてよ、お船に乗るの」
琵琶湖から望む天主を眺めながら、マリアはキャッキャッとはしゃいでいた。
「ステキねえ、スッゴク綺麗」と何度も言っては溜め息を付いた。
琵琶湖から眺める天主はまた格別だった。青空の中、強い日差しを浴びて、神々しく輝いている。まさに、全能の神が住んでいる御殿を思わせた。
マリアと共に京都に向かうのは勘八(カンパチ)という若者だった。
勘八は我落多屋の使い走りで、年中、安土と京都、あるいは堺を行ったり来たりしていた。足が速いのが自慢で、革の鉢巻をして、腰に脇差を差し、縦縞模様の帷子(カタビラ)の裾をはしょっていた。
勘八は珍しそうにマリアを眺め、しきりにヤソ教の事やマリアの身の上を聞いて来た。
「あたしが十歳の時、お母様は亡くなったの」とマリアは琵琶湖を眺めながら言った。
「それじゃア、一人ぼっちなのか?」
勘八は風に揺れるマリアの朽葉(クチバ)色の髪を眺めながら聞いた。今日は黄色いリボンで髪を縛っていた。
マリアはうなづいた。
「でもネ、あたしにはデウス(神)様がついてるモン。一人ぼっちじゃないの」
「そうか‥‥‥デウス様か」
「京都で生まれたのよ、あたし。でも、生まれてすぐ、堺に移ったから、全然、覚えてないの」
「へえ、京都で生まれて、堺で育って、そして、安土に来たのか?」
マリアは首を振った。
「堺にいたのは五つまでよ。その後、また京都に戻って来たの‥‥‥それから、八つの時、高槻に行ったの。お母様が亡くなったのは高槻だった。高槻には去年の春までいたの。それからよ、安土に来たのは」
「へえ、高槻にもいたのか、俺も一度、あそこに行った事がある。あそこは、まさにキリシタンの都だな。安土以上に南蛮人が多くいたのは驚いたわ」
「お殿様(高山右近)がキリシタンだから、大勢のキリシタンが集まって来るの。お父様はあそこで、教会堂やパードレ様のお屋敷をいっぱい建てたのよ。安土のセミナリオだって、お父様が建てたんだから」
「大したもんだな。そういえば、セミナリオに双子の混血娘がいるって噂を聞いた事あるけど、お前の事じゃないのか?」
マリアは驚いたように勘八を見たが、すぐに琵琶湖の方に目をやり、「違うよ」と否定した。
「あたしじゃない。確かに双子の娘がいたけど、九州の方に行ったはずよ」
「九州か、そいつはまた遠くに行ったもんだな。九州の方にはキリシタンが大勢いるらしいな。混血娘っていうのも大勢いるのか?」
「いるよ。高槻にもいっぱいいるの。パードレ様はネ、大勢の南蛮人を連れて、この国にやって来るの。何年か過ごして帰ってくけど、必ず、混血の子を残して行くのよ。あたしのお母様もそうだった」
「南蛮人は日本の女子(オナゴ)に子供を産ませて、ほったらかしにして去って行くのか?」
「仕方ないのよ。長い船旅は危険が多いし、連れてきたいけど、連れてけないのよ」
「南蛮の国か‥‥‥遠いんだろうな」
「あたしも行ってみたい。お爺様のお国へ」
船は坂本の港で荷物の積み降ろしを済ませてから、大津へ向かった。
大津で船を降りると二人は京都へと歩いた。ここまで来れば、京都は目と鼻の先だった。
二人の後を例の山伏と薬売りが追っていたが、二人はまったく気づかなかった。
逢坂(オウサカ)山を越える時、山伏が突然、二人を襲って来た。たまたま、辺りに旅人の姿はなく、突然の襲撃に驚いたが、勘八は冷静だった。相手が一人だけだったので、勘八はマリアを守りながら、山伏の錫杖(シャクジョウ)を避け、腰の脇差を抜いて相手をした。
マリアは杖を振り回しながら、勘八がやられてしまうと悲鳴を上げて助けを求めたが、以外にも勘八は強かった。錫杖を弾き飛ばしてしまうと、山伏は悪態をついて逃げ去って行った。
勘八は山伏を追おうとしたが諦め、しゃがみ込んでいるマリアの所にもどると、「あいつは何者だ?」と聞いた。
マリアは荒い息をして、首を振るだけだった。
「奴は同じ船に乗っていた。俺たちを付けていたのかもしれん」
「あたし、知らない。そんなの知らないモン」
「そうか‥‥‥まあ、いい」
背負っていた荷物が脇にずり落ちて、着物の胸がはだけ、ピンと張った乳房が顔を出していた。
勘八は眩しそうに乳房を眺めながら、「お前に用があれば、また、現れるだろう」と言った。
「そんな‥‥‥」
「大丈夫だ。もうすぐ、京に入る。人目のある中で襲って来る事はあるまい」
「そうネ‥‥‥」
「直した方がいい」と勘八が指さすとマリアは慌てて胸を隠して立ち上がった。
「勘八さんがあんな強いなんて知らなった」
マリアはニコッと笑うと、着物を直して、荷物を背負い直した。
「俺は使い走りだからな。時には大事な書状を持って走る事もあるんだ。これでも、一応、武芸の心得はあるんだよ」
「そうなの‥‥‥見直しちゃった」
「見直したついでに、惚れてくれればありがたいがな」
「エッ?」
「冗談だ」
粟田(アワタ)口から京都に入った二人は通玄寺(ツウゲンジ)脇の木戸を抜けて、三条通りを西へと向かった。
何度も戦乱を経験して来た京都の町人たちは、自らの力で都を守るため、町全体を囲むように堀を掘り土塁(ドルイ)を築き、非常時に備えていた。しかし、信長が将軍足利義昭を京都から追い出してからは平和が続き、堀と土塁は無用の長物と化しつつあった。
「まあ、綺麗!」とマリアが叫んだ。
右手に安土の天主に負けない程、華麗な御殿が見えた。
「二条御所だ」と勘八は言った。
「安土のお殿様が親王(シンノウ)様のために建てたんだ」
「凄いネ」
「確かに凄い。今のお殿様は怖い物なしじゃ。何でもできる」
二条御所を右に眺めながら、二人は歩いた。
新町通りを左に曲がると、通りの両側に小さな店がいくつも並び、道行く人も多くなった。
勘八は目を光らせて、さっきの山伏の姿を捜していたが、見つける事はできなかった。山伏に代わって、目付きの悪い薬売りが後を付けているのに気づいた。警戒していたが、いつの間にか消えていまい、何でもなかったのかと胸を撫で下ろした。
「あたし、知ってるよ、この通り」とマリアが勘八の手を引いた。
「高槻から安土に行く時ネ、京都に寄ったの。その時、ここ、通ったような気がする。確か、この先に南蛮寺があるんでしょ?」
「当たり‥‥‥寄ってくか?」
「当然よ‥‥‥南蛮寺もお父様が建てたのよ。完成した時はモウ凄かったよ。大勢の信者さんたちが集まってネ、お祈りを捧げたの。その頃、あたし、高槻にいたんだけど、お殿様(高山右近)に連れられてネ、大勢の信者さんたちと一緒に京都に来たの。あの時はほんと、素晴らしかったよ」
マリアはそう言うと南蛮寺の方に駈け出して行った。勘八は慌てて後を追った。
最後まで付き合うつもりでいたが、マリアはいつまでもひざまづいたまま、祈りを続けていた。勘八はマリアを残して礼拝堂から外に出ると、中庭にある椅子に腰を下ろした。
南蛮寺は三階建てで、一階に礼拝堂があり、二階と三階は宣教師たちの住まいになっていた。
勘八が扇子をあおぎながら南蛮寺を見上げていると、二階の欄干(ランカン)から赤ひげの南蛮人が顔を出して勘八を見つめた。何か文句あるのかと睨むと、南蛮人はニヤッと笑い、「ボア・タルデ」と手を振った。
相手が何を言ったのか分からず、「暑いのう」と勘八は答えて、扇子をあおいだ。
赤ひげの南蛮人は、さらに、わけの分からない事を言うと姿を消した。
「まるで、異国だな」と勘八は一人つぶやいた。
「ここなら、あの山伏も出て来るまい」
流れる汗を拭きながら、急にニヤニヤして、「マリアはいい女子(オナゴ)だ」とうなづいた。
一時(イットキ、約二時間)後、マリアが涼しい顔をして礼拝堂から出て来た時、勘八は椅子に持たれたまま、居眠りをしていた。
「アラ、待っててくれたの?」とマリアは驚いた。
マリアの声にビクッとして起きると勘八は寝ぼけた顔で、「終わったのか?」と足に止まった蚊をたたいた。
「ええ。ずっと、待っててくれたの? 我落多屋さんで待ってればよかったのに」
「お前、我落多屋の場所、知ってるのか?」
「知ってるよ。この通りを真っすぐ行って、四条通りの所にあるんでしょ」
「なんで、知ってるんだ?」
「あそこの我落多屋さんの旦那様は宗仁(ソウニン)様っていうんでしょ。いつも、絵を描いてるお坊さんみたいな人でしょ。お父様の知り合いなの。宗仁様はネ、この南蛮寺を建てる時も色々と協力してくれたらしいよ」
「早く、それを言え。このクソ暑い中、待ちくたびれたわ」
「ごめんなさい」
マリアは素直に謝った。
可憐なマリアの顔を見ながら、「いいんだ」と勘八は笑った。
マリアもニコッと笑った。
「なあ、さっき、南蛮人から、ボア・タルデって言われたけど、どういう意味なんだ?」
「挨拶よ。こんにちわって言ったの」
「なんだ、そうか。俺は馬鹿にされたんかと思った」
「違うよ。日本人は南蛮人が近づいてくと怖がって逃げちゃうけど、同じ人間なのよ。南蛮人はネ、もっと日本の事を色々と知りたいと思ってるの。言葉が通じなくても、気持ちは通じるのよ。もっと、親しくした方がいいと思う」
「同じ人間か‥‥‥うちの大旦那様はいい加減な南蛮言葉を使って、南蛮人とよく話をしてるんだ。そばで聞いてても俺にはサッパリ分かんねえ。後で、大旦那様に聞いてみると、大旦那様もほとんど分かんねえって。でも、気持ちは分かるって言ってたっけ」
「夢遊(ムユウ)様が?」
「そう。面白え人だよ」
「そうネ。安土にいなかったけど、今、どこにいるの?」
「播磨(ハリマ)の国(兵庫県)だよ」
「フーン、忙しいのネ」
「忙しいんだか、どうだか。いつも、フラフラ遊んでるようだ」
「みたいネ」
京都の我落多屋も安土の我落多屋と同じく、店の中はガラクタだらけだった。家の作りは間口が狭く奥行きの長いウナギの寝床で、安土のように二階はなく、建物はずっと古かった。最近、隣の土地を買い取ったため、台所の奥が広くなっていて、中庭には茶室と離れが建っていた。
マリアは去年の春、この店に来た事があった。父親に連れられて、八年間暮らした高槻を後にして安土に向かう時だった。
我落多屋の主人、宗仁はマリアの父親が殺されたと聞くと、「信じられん」と何度も坊主頭をたたいていた。
「何があったんじゃ?」
マリアは説明した。
「勿体ない事じゃ。あれだけの腕を持ちながら、物取りに殺されてしまうとはのう。安土の仕事が終わったら、善次郎殿にこの店を直して貰おうと思っていたんじゃ‥‥‥惜しい事をした」
「この店を南蛮風にするつもりだったんですか?」と勘八が首をかしげながら聞いた。
「ああ。二条御所に負けない位、立派な店にしようと思っていたんじゃ」
「何を言ってるんです。こんな狭い土地にあんな物が建てられるわけないじゃないですか」
「土地は狭いが、立派な屋敷を建てるつもりじゃった。せめて、安土に負けん程のな」
「安土のお屋敷は綺麗だったよ」とマリアは言った。「でも、お店の方はみすぼらしいよ」
「まあ、それは商売柄仕方がない。立派な店構えにすると、貧しい者たちは遠慮して入って来なくなるからの」
「そうネ‥‥‥宗仁様、五右衛門様を捜してくれるよネ?」
「石川五右衛門か‥‥‥捜すのは難しいがの。善次郎殿の仇を討つとなれば、捜さなくてはならんの」
「石川五右衛門は善次郎さんを知ってるんでしょ」と勘八は言った。「それなら、殺された事を知れば、どこかから現れるんじゃないんですか?」
「うむ。知れば現れるじゃろうが、五右衛門が今、この辺りにいる気配はないからの」
「宗仁様は五右衛門様を知ってるの?」とマリアが目を輝かせた。
「わしらがこの店を始めた頃、五右衛門はこの京都で暴れておったんじゃ。奴に直接会った事はないが、奴の手下がこの店に盗品を持って来た事はある。五右衛門の手下と名乗ったわけじゃないがの。盗まれた物を見れば、すぐに分かった」
「そう。それじゃア、宗仁様も五右衛門様の顔は分かんないのネ?」
「ああ、分からん。五右衛門の人相書は何度も目にしたが、その度に顔が違っておった。どれが本当の顔なのか、一向に分からんわ」
「お父様は五右衛門様に会った事あるよ。お父様が生きてれば、五右衛門様の顔が分かるのに‥‥‥」
「確かにそうじゃが、お父様が生きていれば、五右衛門を捜す事もあるまい」
「そりゃそうだけど‥‥‥」
「すぐにとは言えんが、手掛かりくらいはつかめるじゃろう。しばらく、待っていてくれ」
「お願いします」
マリアは我落多屋の客間に滞在して、店の仕事を手伝っていた。朝と晩、南蛮寺に通ってお祈りをする以外、外出する事もなく、店に奉公しているおはるという娘と一緒に店番をしていた。
勘八は安土に帰る事なく、マリアの身辺を守っていた。
「親父さんを殺した奴は、お前の命も狙ってるかもしれん。この前の山伏がそうだったのかもしれん。お前にもしもの事があったら俺は店にいられなくなる」
そう言って、勘八はマリアのそばを離れなかった。山伏と出会う度に警戒していたが、あの時の山伏が現れる事はなかった。
マリアは店番をして、実際に我落多屋がやっている事を知った。
貧しい者がガラクタを持ってやって来ると、番頭の彦一は品定めをして銭に替えてやるわけだが、ガラクタその物の値打ちよりも相手の事情によって銭を渡しているようにしか思えなかった。
乞食のようなお婆さんが、そこらで拾った石コロを持って来た時も追い返す事なく、真面目な顔をして石コロを眺め、事情を聞きながら、銭を十枚も渡していた。お婆さんは何度もお礼を言って帰って行った。
「この石コロが十文(モン)の価値があるの?」とマリアは不思議そうに聞いた。
「あのお婆さんはなかなかの目利きでな。この石も磨いて飾っておくと、百文くらいで売れる事もあるんだよ」
彦一は石コロをおはるに渡した。
「でも、ほとんど、売れないわ」とおはるは笑って、ガラクタの山に石を投げ捨てた。
「ネエ、こんな事してて儲かるの?」
「物を買い取るばかりじゃ儲からん。買い取った物を売らなくてはな」
「このガラクタが売れるとは思えない」
「ここに並べてあるのは、ハッキリ言って飾りだよ」
「飾り? これが?」
「うむ。そこに並べてある物を見て、貧しい者たちは自分の持っている物も売れると思って、店にやって来るんだ」
「それじゃア、このお店は貧しい人たちを助けるためにやってるの?」
「そうだよ。知らなかったのか?」
「だって、そんな事をしてたら、いくらお足(銭)があっても足らないじゃない」
「だから、裏で盗品を扱ってるんだよ、内緒だがな。おはる、向こうの物を見せてやれ」
マリアはおはるに連れられて土間の隣にある板の間の部屋に入った。そこにも所狭しと様々な品が並んでいたが、それらは皆、まともな品々だった。
「これもみんな、貧しい人たちから買い取った物なの?」とマリアは品物を眺めながら聞いた。
「そうよ。でも、ここにある物も安く売っちゃうから、儲けなんて全然ないのよ。値打ちのある物は蔵の中にしまってあるの」
「蔵の中に?」
「そう。かなり高価な物がネ。そういう物はお店に並べても売れないわ。一流の商人や武将たちが相手ネ。旦那様がお茶会などにお呼ばれした時、それとなく、相手にこんな物が手に入ったけど、どうかって言って話をまとめるのよ。あたしなんかには価値が分からないけど、こんな小さなお茶入れが、何百貫(カン)もする事があるわ」
「何百貫も‥‥‥」とマリアを大きな目をさらに大きくして驚いた。
「そう。全然、桁(ケタ)が違うのよ。そんな取り引きをしてるから、貧しい人たちにお足をばらまいても平気なの」
「へえ、凄いネ‥‥‥そういう値打ち物って盗品なの?」
「そうよ」
「泥棒がここに売りに来るの?」
「こそ泥みたいな人なら直接来るけど、大した物は持って来ないわ。値打ちのある物を持って来るのはかなりの大物よ」
「石川五右衛門みたいな?」
「そう。そういう人は、手下の者をよこして、旦那様を呼び出すの。旦那様はどこかで、その大物と会って話をつけるのよ」
「怖くないの? そんな所に出掛けて行って」
「怖いと思うけど、旦那様はいつも、平気な顔して出掛けて行くわ」
「へえ‥‥‥」
「ああ見えても、昔はお侍だったらしいから、結構、強いのかもしれないわ」
「そう‥‥‥もしかしたら、宗仁様は五右衛門様と会った事あるんじゃないの?」
「さあ、分からないわ。最近、石川五右衛門の名前は聞かないもの。もしかしたら、大旦那様なら会った事あるかもしれないわネ」
「夢遊様が?」
おはるはうなづいた。
「夢遊様は今、播磨の国にいるんでしょ。いつ、帰って来るの?」
「分からないわ。でも、月末近くにはここに来るはずよ。上京の大文字屋さんとお茶会をするとか言ってたわ」
「月末か‥‥‥」
「待ってみたら?」
「そうネ」
マリアは毎日、おはると一緒に店番をしていたが、盗っ人が盗品を売りに来る事はなかった。
大津で船を降りると二人は京都へと歩いた。ここまで来れば、京都は目と鼻の先だった。
二人の後を例の山伏と薬売りが追っていたが、二人はまったく気づかなかった。
逢坂(オウサカ)山を越える時、山伏が突然、二人を襲って来た。たまたま、辺りに旅人の姿はなく、突然の襲撃に驚いたが、勘八は冷静だった。相手が一人だけだったので、勘八はマリアを守りながら、山伏の錫杖(シャクジョウ)を避け、腰の脇差を抜いて相手をした。
マリアは杖を振り回しながら、勘八がやられてしまうと悲鳴を上げて助けを求めたが、以外にも勘八は強かった。錫杖を弾き飛ばしてしまうと、山伏は悪態をついて逃げ去って行った。
勘八は山伏を追おうとしたが諦め、しゃがみ込んでいるマリアの所にもどると、「あいつは何者だ?」と聞いた。
マリアは荒い息をして、首を振るだけだった。
「奴は同じ船に乗っていた。俺たちを付けていたのかもしれん」
「あたし、知らない。そんなの知らないモン」
「そうか‥‥‥まあ、いい」
背負っていた荷物が脇にずり落ちて、着物の胸がはだけ、ピンと張った乳房が顔を出していた。
勘八は眩しそうに乳房を眺めながら、「お前に用があれば、また、現れるだろう」と言った。
「そんな‥‥‥」
「大丈夫だ。もうすぐ、京に入る。人目のある中で襲って来る事はあるまい」
「そうネ‥‥‥」
「直した方がいい」と勘八が指さすとマリアは慌てて胸を隠して立ち上がった。
「勘八さんがあんな強いなんて知らなった」
マリアはニコッと笑うと、着物を直して、荷物を背負い直した。
「俺は使い走りだからな。時には大事な書状を持って走る事もあるんだ。これでも、一応、武芸の心得はあるんだよ」
「そうなの‥‥‥見直しちゃった」
「見直したついでに、惚れてくれればありがたいがな」
「エッ?」
「冗談だ」
粟田(アワタ)口から京都に入った二人は通玄寺(ツウゲンジ)脇の木戸を抜けて、三条通りを西へと向かった。
何度も戦乱を経験して来た京都の町人たちは、自らの力で都を守るため、町全体を囲むように堀を掘り土塁(ドルイ)を築き、非常時に備えていた。しかし、信長が将軍足利義昭を京都から追い出してからは平和が続き、堀と土塁は無用の長物と化しつつあった。
「まあ、綺麗!」とマリアが叫んだ。
右手に安土の天主に負けない程、華麗な御殿が見えた。
「二条御所だ」と勘八は言った。
「安土のお殿様が親王(シンノウ)様のために建てたんだ」
「凄いネ」
「確かに凄い。今のお殿様は怖い物なしじゃ。何でもできる」
二条御所を右に眺めながら、二人は歩いた。
新町通りを左に曲がると、通りの両側に小さな店がいくつも並び、道行く人も多くなった。
勘八は目を光らせて、さっきの山伏の姿を捜していたが、見つける事はできなかった。山伏に代わって、目付きの悪い薬売りが後を付けているのに気づいた。警戒していたが、いつの間にか消えていまい、何でもなかったのかと胸を撫で下ろした。
「あたし、知ってるよ、この通り」とマリアが勘八の手を引いた。
「高槻から安土に行く時ネ、京都に寄ったの。その時、ここ、通ったような気がする。確か、この先に南蛮寺があるんでしょ?」
「当たり‥‥‥寄ってくか?」
「当然よ‥‥‥南蛮寺もお父様が建てたのよ。完成した時はモウ凄かったよ。大勢の信者さんたちが集まってネ、お祈りを捧げたの。その頃、あたし、高槻にいたんだけど、お殿様(高山右近)に連れられてネ、大勢の信者さんたちと一緒に京都に来たの。あの時はほんと、素晴らしかったよ」
マリアはそう言うと南蛮寺の方に駈け出して行った。勘八は慌てて後を追った。
最後まで付き合うつもりでいたが、マリアはいつまでもひざまづいたまま、祈りを続けていた。勘八はマリアを残して礼拝堂から外に出ると、中庭にある椅子に腰を下ろした。
南蛮寺は三階建てで、一階に礼拝堂があり、二階と三階は宣教師たちの住まいになっていた。
勘八が扇子をあおぎながら南蛮寺を見上げていると、二階の欄干(ランカン)から赤ひげの南蛮人が顔を出して勘八を見つめた。何か文句あるのかと睨むと、南蛮人はニヤッと笑い、「ボア・タルデ」と手を振った。
相手が何を言ったのか分からず、「暑いのう」と勘八は答えて、扇子をあおいだ。
赤ひげの南蛮人は、さらに、わけの分からない事を言うと姿を消した。
「まるで、異国だな」と勘八は一人つぶやいた。
「ここなら、あの山伏も出て来るまい」
流れる汗を拭きながら、急にニヤニヤして、「マリアはいい女子(オナゴ)だ」とうなづいた。
一時(イットキ、約二時間)後、マリアが涼しい顔をして礼拝堂から出て来た時、勘八は椅子に持たれたまま、居眠りをしていた。
「アラ、待っててくれたの?」とマリアは驚いた。
マリアの声にビクッとして起きると勘八は寝ぼけた顔で、「終わったのか?」と足に止まった蚊をたたいた。
「ええ。ずっと、待っててくれたの? 我落多屋さんで待ってればよかったのに」
「お前、我落多屋の場所、知ってるのか?」
「知ってるよ。この通りを真っすぐ行って、四条通りの所にあるんでしょ」
「なんで、知ってるんだ?」
「あそこの我落多屋さんの旦那様は宗仁(ソウニン)様っていうんでしょ。いつも、絵を描いてるお坊さんみたいな人でしょ。お父様の知り合いなの。宗仁様はネ、この南蛮寺を建てる時も色々と協力してくれたらしいよ」
「早く、それを言え。このクソ暑い中、待ちくたびれたわ」
「ごめんなさい」
マリアは素直に謝った。
可憐なマリアの顔を見ながら、「いいんだ」と勘八は笑った。
マリアもニコッと笑った。
「なあ、さっき、南蛮人から、ボア・タルデって言われたけど、どういう意味なんだ?」
「挨拶よ。こんにちわって言ったの」
「なんだ、そうか。俺は馬鹿にされたんかと思った」
「違うよ。日本人は南蛮人が近づいてくと怖がって逃げちゃうけど、同じ人間なのよ。南蛮人はネ、もっと日本の事を色々と知りたいと思ってるの。言葉が通じなくても、気持ちは通じるのよ。もっと、親しくした方がいいと思う」
「同じ人間か‥‥‥うちの大旦那様はいい加減な南蛮言葉を使って、南蛮人とよく話をしてるんだ。そばで聞いてても俺にはサッパリ分かんねえ。後で、大旦那様に聞いてみると、大旦那様もほとんど分かんねえって。でも、気持ちは分かるって言ってたっけ」
「夢遊(ムユウ)様が?」
「そう。面白え人だよ」
「そうネ。安土にいなかったけど、今、どこにいるの?」
「播磨(ハリマ)の国(兵庫県)だよ」
「フーン、忙しいのネ」
「忙しいんだか、どうだか。いつも、フラフラ遊んでるようだ」
「みたいネ」
京都の我落多屋も安土の我落多屋と同じく、店の中はガラクタだらけだった。家の作りは間口が狭く奥行きの長いウナギの寝床で、安土のように二階はなく、建物はずっと古かった。最近、隣の土地を買い取ったため、台所の奥が広くなっていて、中庭には茶室と離れが建っていた。
マリアは去年の春、この店に来た事があった。父親に連れられて、八年間暮らした高槻を後にして安土に向かう時だった。
我落多屋の主人、宗仁はマリアの父親が殺されたと聞くと、「信じられん」と何度も坊主頭をたたいていた。
「何があったんじゃ?」
マリアは説明した。
「勿体ない事じゃ。あれだけの腕を持ちながら、物取りに殺されてしまうとはのう。安土の仕事が終わったら、善次郎殿にこの店を直して貰おうと思っていたんじゃ‥‥‥惜しい事をした」
「この店を南蛮風にするつもりだったんですか?」と勘八が首をかしげながら聞いた。
「ああ。二条御所に負けない位、立派な店にしようと思っていたんじゃ」
「何を言ってるんです。こんな狭い土地にあんな物が建てられるわけないじゃないですか」
「土地は狭いが、立派な屋敷を建てるつもりじゃった。せめて、安土に負けん程のな」
「安土のお屋敷は綺麗だったよ」とマリアは言った。「でも、お店の方はみすぼらしいよ」
「まあ、それは商売柄仕方がない。立派な店構えにすると、貧しい者たちは遠慮して入って来なくなるからの」
「そうネ‥‥‥宗仁様、五右衛門様を捜してくれるよネ?」
「石川五右衛門か‥‥‥捜すのは難しいがの。善次郎殿の仇を討つとなれば、捜さなくてはならんの」
「石川五右衛門は善次郎さんを知ってるんでしょ」と勘八は言った。「それなら、殺された事を知れば、どこかから現れるんじゃないんですか?」
「うむ。知れば現れるじゃろうが、五右衛門が今、この辺りにいる気配はないからの」
「宗仁様は五右衛門様を知ってるの?」とマリアが目を輝かせた。
「わしらがこの店を始めた頃、五右衛門はこの京都で暴れておったんじゃ。奴に直接会った事はないが、奴の手下がこの店に盗品を持って来た事はある。五右衛門の手下と名乗ったわけじゃないがの。盗まれた物を見れば、すぐに分かった」
「そう。それじゃア、宗仁様も五右衛門様の顔は分かんないのネ?」
「ああ、分からん。五右衛門の人相書は何度も目にしたが、その度に顔が違っておった。どれが本当の顔なのか、一向に分からんわ」
「お父様は五右衛門様に会った事あるよ。お父様が生きてれば、五右衛門様の顔が分かるのに‥‥‥」
「確かにそうじゃが、お父様が生きていれば、五右衛門を捜す事もあるまい」
「そりゃそうだけど‥‥‥」
「すぐにとは言えんが、手掛かりくらいはつかめるじゃろう。しばらく、待っていてくれ」
「お願いします」
マリアは我落多屋の客間に滞在して、店の仕事を手伝っていた。朝と晩、南蛮寺に通ってお祈りをする以外、外出する事もなく、店に奉公しているおはるという娘と一緒に店番をしていた。
勘八は安土に帰る事なく、マリアの身辺を守っていた。
「親父さんを殺した奴は、お前の命も狙ってるかもしれん。この前の山伏がそうだったのかもしれん。お前にもしもの事があったら俺は店にいられなくなる」
そう言って、勘八はマリアのそばを離れなかった。山伏と出会う度に警戒していたが、あの時の山伏が現れる事はなかった。
マリアは店番をして、実際に我落多屋がやっている事を知った。
貧しい者がガラクタを持ってやって来ると、番頭の彦一は品定めをして銭に替えてやるわけだが、ガラクタその物の値打ちよりも相手の事情によって銭を渡しているようにしか思えなかった。
乞食のようなお婆さんが、そこらで拾った石コロを持って来た時も追い返す事なく、真面目な顔をして石コロを眺め、事情を聞きながら、銭を十枚も渡していた。お婆さんは何度もお礼を言って帰って行った。
「この石コロが十文(モン)の価値があるの?」とマリアは不思議そうに聞いた。
「あのお婆さんはなかなかの目利きでな。この石も磨いて飾っておくと、百文くらいで売れる事もあるんだよ」
彦一は石コロをおはるに渡した。
「でも、ほとんど、売れないわ」とおはるは笑って、ガラクタの山に石を投げ捨てた。
「ネエ、こんな事してて儲かるの?」
「物を買い取るばかりじゃ儲からん。買い取った物を売らなくてはな」
「このガラクタが売れるとは思えない」
「ここに並べてあるのは、ハッキリ言って飾りだよ」
「飾り? これが?」
「うむ。そこに並べてある物を見て、貧しい者たちは自分の持っている物も売れると思って、店にやって来るんだ」
「それじゃア、このお店は貧しい人たちを助けるためにやってるの?」
「そうだよ。知らなかったのか?」
「だって、そんな事をしてたら、いくらお足(銭)があっても足らないじゃない」
「だから、裏で盗品を扱ってるんだよ、内緒だがな。おはる、向こうの物を見せてやれ」
マリアはおはるに連れられて土間の隣にある板の間の部屋に入った。そこにも所狭しと様々な品が並んでいたが、それらは皆、まともな品々だった。
「これもみんな、貧しい人たちから買い取った物なの?」とマリアは品物を眺めながら聞いた。
「そうよ。でも、ここにある物も安く売っちゃうから、儲けなんて全然ないのよ。値打ちのある物は蔵の中にしまってあるの」
「蔵の中に?」
「そう。かなり高価な物がネ。そういう物はお店に並べても売れないわ。一流の商人や武将たちが相手ネ。旦那様がお茶会などにお呼ばれした時、それとなく、相手にこんな物が手に入ったけど、どうかって言って話をまとめるのよ。あたしなんかには価値が分からないけど、こんな小さなお茶入れが、何百貫(カン)もする事があるわ」
「何百貫も‥‥‥」とマリアを大きな目をさらに大きくして驚いた。
「そう。全然、桁(ケタ)が違うのよ。そんな取り引きをしてるから、貧しい人たちにお足をばらまいても平気なの」
「へえ、凄いネ‥‥‥そういう値打ち物って盗品なの?」
「そうよ」
「泥棒がここに売りに来るの?」
「こそ泥みたいな人なら直接来るけど、大した物は持って来ないわ。値打ちのある物を持って来るのはかなりの大物よ」
「石川五右衛門みたいな?」
「そう。そういう人は、手下の者をよこして、旦那様を呼び出すの。旦那様はどこかで、その大物と会って話をつけるのよ」
「怖くないの? そんな所に出掛けて行って」
「怖いと思うけど、旦那様はいつも、平気な顔して出掛けて行くわ」
「へえ‥‥‥」
「ああ見えても、昔はお侍だったらしいから、結構、強いのかもしれないわ」
「そう‥‥‥もしかしたら、宗仁様は五右衛門様と会った事あるんじゃないの?」
「さあ、分からないわ。最近、石川五右衛門の名前は聞かないもの。もしかしたら、大旦那様なら会った事あるかもしれないわネ」
「夢遊様が?」
おはるはうなづいた。
「夢遊様は今、播磨の国にいるんでしょ。いつ、帰って来るの?」
「分からないわ。でも、月末近くにはここに来るはずよ。上京の大文字屋さんとお茶会をするとか言ってたわ」
「月末か‥‥‥」
「待ってみたら?」
「そうネ」
マリアは毎日、おはると一緒に店番をしていたが、盗っ人が盗品を売りに来る事はなかった。
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