織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
鴬燕軒
1
遊女屋の豪遊の後、孫一は度々、我落多屋にやって来た。いつも、新堂の小太郎が一緒だったが、夢遊が石川五右衛門だという事は隠してくれた。
小太郎の話によると、孫一は天主の黄金の事はすっかり諦めたようだった。うまくすれば、黄金一万枚を盗み取る事ができるかもしれないが、その後が恐ろしいという。小太郎から悲惨な伊賀の有り様を聞き、黄金を手に入れるよりも信長を敵に回すほうが恐ろしい。敵に回すよりも信長の力を利用したいと考えているようだった。
孫一が帰る時、小太郎も雑賀に向かった。孫一が一緒に来いというので、安土も飽きたし、雑賀に行くという。ジュリアが見つかったら、必ず、呼んでくれと念を押して船に乗って行った。
夢遊も二人が去った後、天王寺屋了雲とお澪を連れて堺に向かった。堺では夢遊もお澪も仕事があったので、昼は別々だったが、夜はいつも一緒にいた。ここでも、遊び人として夢遊の名は有名だった。しかし、妻子のいる長浜からは遠く、夢遊は安心して、大っぴらに付き合っていた。小太郎ではないが、遅い春を充分に楽しんでいた。
一月近く、堺に滞在した二人は十二月の半ばに安土に帰り、夢遊は我落多屋にも顔を出さずに、久し振りに妻子の待つ長浜に帰った。
妻と子の機嫌を取りながら、留守を守る羽柴藤吉郎秀吉の家臣たちとお茶会や連歌会などをして過ごしていた。
夢遊の妻はおれんといい京都の商人の娘だった。一緒になって十七年になるが、夢遊の正体を知らなかった。十六歳になるおなつという娘と十三歳になるおふゆという娘、九つの五助と五つの六助と四人の子供がいた。以前は京都に住んでいたが、藤吉郎が長浜に城を築いた六年前より、こちらに移っていた。
母子は立派な屋敷に住んでいた。しかし、主人の夢遊がいる事は少なく、おれんは子育てをしながら、夢遊の愚痴ばかりこぼしていた。愚痴を言う相手は近所に住んでいる藤吉郎の家臣、浅野弥兵衛の妻、おややだった。おややの姉は藤吉郎の妻、お祢(ネ)だったので、三人はよく集まっては亭主の悪口を言っているらしかった。
夢遊はお澪の事をしばらく忘れて、子供たちと一緒に遊び、おれんに何を言われても怒らないで、ジッと我慢の日々を送っていた。
十二月の二十日、藤吉郎が姫路より帰り、安土で信長に因幡(イナバ)と淡路島を平定した事を報告した。藤吉郎は信長のために驚く程の土産を持って帰って来たと長浜でも噂になった。
信長から褒美(ホウビ)として八種類の名物のお茶道具を貰った藤吉郎は、二十二日に長浜に帰って来た。城下に夢遊がいる事を知ると、さっそく、夢遊を城内に呼んで、信長から貰ったお茶道具を披露した。
「どうじゃ、凄いじゃろう。おぬしらのお陰じゃ」
藤吉郎は機嫌がよかった。菊花模様の派手な羽織を着て、目の前に並べた名物茶道具を眺めながら、猿のような顔をクシャクシャにしていた。
「おぬしらが因幡の米を買い占めてくれたお陰で、鳥取城は以外にも早く落ちたわ」
「ナニ、米の取り引きのお陰であくでえ商人が分かり、獲物を捜す手間が省けたわ」
夢遊もお茶道具を眺めながら、ニヤリと笑った。
「米を買い取った銭はそっくり頂いたのか?」
「いや、それ以上じゃ」
「そうか、よかったの。次の目標は備中(ビッチュウ、岡山県)の高松城じゃ。米はもう刈り入れの時期に買い取ってある」
「抜け目がねえのう」
「だが、まだ、隠し持ってる奴がいる。そいつらの米を処分してくれ」
「城攻めはいつじゃ?」
「そうじゃのう。三月頃となろう」
藤吉郎は木箱の中から天目(テンモク)茶碗を出して、手に取って眺めた。
「三月か‥‥‥忙しいのう」
「北陸勢には負けられんからのう」
「権六(ゴンロク、柴田勝家)の奴か?」
「そうじゃ、奴には絶対に負けんぞ。忙しいかもしれんが、正月の半ばには備中に飛んでくれ」
「ああ、そいつは構わんがの‥‥‥」
藤吉郎は夢遊の顔を見ながら、「なんじゃ?」と聞いた。
「上様の事じゃ。最近、おかしいと思わねえか?」
「伊賀攻めの事じゃな?」
「伊賀攻めもそうじゃが、おぬし、安土城内に建てた摠見寺を見たか?」
「上様もとうとうデウス(神)になったらしいの」
藤吉郎は天目茶碗を夢遊に手渡した。
「狂って来たんじゃねえのか?」
夢遊は茶碗の中を覗いてから、逆さにして底を眺めた。
「おいおい、いくら、わしとおぬしの仲でも、それは言い過ぎじゃ‥‥‥しかし、確かにおぬしの言う通り、安土の城内は不気味な雰囲気が漂っておった。皆が上様を恐れ、ビクビクしておる。わしが馬鹿話をしても、顔を引きつらせてるばかりで笑う者などおらん。いかんぞ、あれでは」
「このまま行けば、わしは信長に逆らうようになるかもしれんぞ」
「気持ちは分かるがの、やめろ。上様に逆らえば皆殺しにされるぞ」
藤吉郎は肩衝(カタツキ)のお茶入れを手に取った。
「分かっておる。分かっておるが信長のお陰で伊賀の国は全滅したんじゃぞ。何万もの罪もねえ者たちが抵抗もしねえのに殺された。わしは許せんのじゃ。絶対に許せんのじゃよ。おぬし、わしが盗っ人になった理由を覚えておるか? もう二十年以上も昔の事じゃが」
「ああ、覚えておるとも。『世直し』をするためじゃろう」
「そうじゃ。信長のお陰で、この辺りは平和になった。わしはおぬしの陰として働き、信長を支援して来た。しかし、もう、信長には付いてはいけん。おぬしがこのまま、信長に従うというのなら、おぬしとも敵味方になるかもしれんな」
夢遊は藤吉郎の顔を見ながら、天目茶碗をソッと置いた。
「おいおい、急に何を言う。おぬしはそう簡単に言うがの、わしは上様の部将として、ようやく、ここまで来たんじゃ。今更、上様を裏切る事などできんわ。摂津守(セッツノカミ、荒木村重)のようにはなりたくねえからの」
「おぬしが上様に変わればいい」と夢遊は竹の茶杓(チャシャク)を眺めながら言った。
「馬鹿言うな。そんな話、聞いてられるか」
藤吉郎はお茶入れを置くと、夢遊から茶杓を奪い取った。
「いいか、五右衛門、おぬしがそれ以上言うなら、わしらの仲もこれまでじゃと思え。今すぐ、ここから出て行ってくれ」
「分かったよ。わしも今、迷ってるんじゃ。昔とは違う。家族もいるし大勢の手下もいる。世直しのためとはいえ、奴らを道連れにする事はできん。だがの、やらなければならん時が来たら、わしは奴らを犠牲にしてでもやってしまうじゃろう。その事は分かってくれ」
藤吉郎は夢遊の顔をジーッと見つめてから、うなづき、ニコッと笑った。
「さて、ややこしい話は終わりじゃ。このお茶道具を目利き(鑑定)してくれ。どんなイワレがあるんじゃ?」
夢遊は新しい道具を目利きした後、それを使って藤吉郎が点てたお茶を御馳走になった。
「さてと、お祢(ネ)の機嫌でも取りに行くかの」
藤吉郎は苦笑して、夢遊に手を振ると去って行った。
藤吉郎も偉くなり、妻の機嫌を取りながらも、毎日、忙しく走り回っていた。正月を長浜で迎える事なく、四日後の二十六日には姫路に戻って行った。
夢遊も半月余り家族と共に過ごした長浜を後にして、安土に帰った。
我落多屋に行くとマリアがいた。山の砦も年末年始は休みとなった。正月の十四日までは皆、家族のもとに帰る事が許されていた。マリアは行く所もないので、勘八に連れられて我落多屋に来たのだった。
「ジュリアはどこに行ったの?」とマリアは夢遊を迎えると聞いて来た。
「どこのセニョリータかと思ったら、マリアか。やけに女っぽくなったのう」
「アラ、ほんと?」
マリアは無邪気に喜んだ。暖かそうな綿入れを着ていたが、相変わらず、足は丸出しだった。
「ほんとさ。今度、わしと遊ぼう」
「ダメ。天主の黄金を取って来てくれたら、いっぱい遊んであげる」
「まだ、諦めんのか?」
「諦めないよ。あたし、オスピタルを建てなければならないんだモン」
夢遊はマリアを二階に誘った。
マリアは縁側に出て、天主を見つめた。
夢遊も天主を見ながら、「あそこから黄金を盗み、オスピタルを建てるという考えは立派じゃが、実際問題として、そんな事ができると思うか?」とマリアに聞いた。
「できるよ」とマリアは力強くうなづいた。「ジュリアが見つかれば抜け穴は抜けられるモン。夢遊様が手伝ってくれれば絶対にうまく行く」
「よし、うまく行ったとしよう。黄金を盗まれて、あそこの主は黙ってると思うか?」
「いいえ」とマリアは首を振った。そして、その顔はだんだんと蒼ざめていった。
「お殿様は絶対に許さないのネ」
「そうじゃ。抜け穴を利用して黄金が盗まれたとなれば、信長はまず、抜け穴に関係した者たちを皆殺しにするじゃろう。家族も含めてな。当然、善次郎の娘であるお前とジュリアは狙われる。黄金を盗んだとしても、オスピタルを建てる前に、首と胴は離れる事になろう」
「そんな‥‥‥」
「勿論、わしらだって皆殺しになる」
「それじゃア、抜け穴を通る事ができたとしても、黄金は盗めないの?」
「それなりの覚悟をすればできる」
夢遊は部屋に入ると火鉢(ヒバチ)の側に座り込んだ。
「覚悟?」とマリアも夢遊を追って、火鉢にあたった。
「黄金を盗んだらな、信長の領内から全員が引き上げるんじゃ。勿論、我落多屋も全部閉めるし、山の砦も引き払う」
「そこまでしなくちゃなんないの?」
「そうじゃ。信長の前から完全に消えなければならんのじゃ」
「どこ、行くの?」
「分からん。わしらは年中、旅をしてるからいいが、家族の者たちは大変じゃ。見も知らぬ土地に行き、新しい暮らしを始めなければならん。黄金一万枚は確かに大金じゃ。しかしな、それだけの犠牲を払ってまで、やるべきかどうか分からんな」
「いいよ。この安土じゃなくてもいい。どこか遠い所でもいい。あたし、やっぱりオスピタルを建てる、絶対に」
「頑固な奴じゃのう」
「あたしはやる。ジュリアと二人でやるよ。ネエ、ジュリアはどこ行ったのよ?」
「銀次が捜しておる。今、お前の親父が住んでた家で暮らしてるわ。行って、自分で聞く事じゃな」
マリアは懐かしい家に飛んで行った。後を追うように勘八も善次郎の家に向かった。
「あの二人、大丈夫かしら?」とおさやが二階に来て心配した。
「おめえら、足が寒くねえのか?」
「寒いけど平気ですよ」
おさやは自分の足を眺めた。
「観音様がクシャミをするぞ」
「アラ、どうしよう?」とおさやは火鉢の側に来て笑った。
「火鉢をまたいでも構わんぞ」
「いやですわ、大旦那様ったら」
「おめえは好きな男はおらんのか?」
「いるけど、あたしはダメなんです」
おさやは座ると火鉢に手をかざしながら、うつむいた。
「どうして?」
「その人、おかみさんがいるんですよ」
「ほう。おめえも大変なようじゃな」
「お澪様の気持ちがよく分かります。でも、お澪様の相手は大旦那様でしょ。あたしの相手は大旦那様とは違って真面目すぎるんです」
「そいつは大変じゃ。正月を一緒に過ごす事もできんというわけか?」
「無理です、絶対」
「そうか‥‥‥来年になったら、すぐに忙しくなるぞ。好きな男に会えんのなら、親の所に顔を出してやれ」
「いえ。今年は両親を安土に呼ぶ事にしたんです。ここの賑わいと天主を一度、見たいと言ってるものですから」
「藤兵衛に頼んで、いい旅籠屋に泊めてやれ」
「はい。もう、頼んでいただきました」
「今年の正月も賑やかな事じゃろう。信長の事じゃ、また派手な催しをするに違えねえ。いい思いをさせてやれよ」
「はい。ありがとうございます」
「すまんが新五の奴を呼んでくれ」
おさやがいなくなってから、すぐに新五は現れた。
「お帰りなさいませ。長浜のおかみさんは大丈夫でしたか?」
「まいったわ。誰が知らせるのか、細けえ事まで、すっかり知っておったぞ」
「それは、それは大変な事で‥‥‥」
「殺されそうになったわ‥‥‥ところで、見つかったか?」
「はい、裏通りに手頃なのが」
「どの辺じゃ?」
「八幡社の近くです」
「八幡社か、少し遠いのう」
「しかし、あの辺りまで行かないと大旦那様は有名ですから、また、すぐに噂が立ちますよ」
「うむ、そうじゃな。あの辺りなら、わしを知ってる者もいるめえ。よし、見に行くか」
夢遊は長浜に家族の住む自宅を持っていたが、他には家を持っていなかった。安土、京都、堺、姫路と我落多屋の店はあるが、家はなく、いつも、それぞれの我落多屋の主人の屋敷に居候(イソウロウ)していた。安土の我落多屋の裏にある屋敷は藤兵衛の家族が暮らし、二階は夢遊が使っていたが居候には違いなかった。
お澪と会うのに二階は使いづらく、ちょくちょく、お澪の屋敷に行くわけにもいかなかった。お澪の屋敷は中庭にあり、そこに行くには与兵衛の屋敷の横を通らなくてはならない。与兵衛も藤兵衛と同じように、夢遊とお澪が噂になっている事を快く思ってはいなかった。夢遊は考えた末に離れた所に家を買って、お澪と会う事に決め、新五に捜せと命じていた。
夢遊はその家が気に入った。以前、住んでいたのは京都にある酒屋の隠居で、若い娘と一緒に暮らしていたという。茶の湯を嗜(タシナ)み、信長の家臣たちに指導していたが、贋物(ニセモノ)のお茶道具を売ったかどで、信長に睨まれて夜逃げしたらしかった。
大通りから引っ込んだ裏通りにあり、まだ新しく、作りも凝っていた。門の上に『鴬燕軒(オウエンケン)』と書かれた額が掲げてあって、門の脇には廐(ウマヤ)があり、奥の方には蔵もある。
母屋(オモヤ)は土間の台所と囲炉裏のある板の間があり、その奥に畳を敷いた八畳間が二部屋あった。
中庭には井戸と厠(カワヤ)があり、板塀の向こうに、佗(ワ)びた四畳半の茶室のある庭園があった。庭園には見事な枝振りの梅の木が植えられ、鯉が泳いでいる池もあった。お茶会の前に風呂を御馳走したとみえて、立派な湯殿(ユドノ)も建っていた。湯殿を覗いてみると桧(ヒノキ)作りの大きな湯舟があった。四人は楽に入れそうな大きさだった。
「こいつはいい」と夢遊は思わず、ニンマリした。
敷地はそれ程広くはないが、住み心地のよさそうな家だった。年末年始をお澪と二人だけで、コッソリと暮らすのに最適な家だった。
夢遊は新五に必要な家具と食料を揃えるように命じると我落多屋に戻り、山のような土産を持って小野屋に向かった。
「いや、それ以上じゃ」
「そうか、よかったの。次の目標は備中(ビッチュウ、岡山県)の高松城じゃ。米はもう刈り入れの時期に買い取ってある」
「抜け目がねえのう」
「だが、まだ、隠し持ってる奴がいる。そいつらの米を処分してくれ」
「城攻めはいつじゃ?」
「そうじゃのう。三月頃となろう」
藤吉郎は木箱の中から天目(テンモク)茶碗を出して、手に取って眺めた。
「三月か‥‥‥忙しいのう」
「北陸勢には負けられんからのう」
「権六(ゴンロク、柴田勝家)の奴か?」
「そうじゃ、奴には絶対に負けんぞ。忙しいかもしれんが、正月の半ばには備中に飛んでくれ」
「ああ、そいつは構わんがの‥‥‥」
藤吉郎は夢遊の顔を見ながら、「なんじゃ?」と聞いた。
「上様の事じゃ。最近、おかしいと思わねえか?」
「伊賀攻めの事じゃな?」
「伊賀攻めもそうじゃが、おぬし、安土城内に建てた摠見寺を見たか?」
「上様もとうとうデウス(神)になったらしいの」
藤吉郎は天目茶碗を夢遊に手渡した。
「狂って来たんじゃねえのか?」
夢遊は茶碗の中を覗いてから、逆さにして底を眺めた。
「おいおい、いくら、わしとおぬしの仲でも、それは言い過ぎじゃ‥‥‥しかし、確かにおぬしの言う通り、安土の城内は不気味な雰囲気が漂っておった。皆が上様を恐れ、ビクビクしておる。わしが馬鹿話をしても、顔を引きつらせてるばかりで笑う者などおらん。いかんぞ、あれでは」
「このまま行けば、わしは信長に逆らうようになるかもしれんぞ」
「気持ちは分かるがの、やめろ。上様に逆らえば皆殺しにされるぞ」
藤吉郎は肩衝(カタツキ)のお茶入れを手に取った。
「分かっておる。分かっておるが信長のお陰で伊賀の国は全滅したんじゃぞ。何万もの罪もねえ者たちが抵抗もしねえのに殺された。わしは許せんのじゃ。絶対に許せんのじゃよ。おぬし、わしが盗っ人になった理由を覚えておるか? もう二十年以上も昔の事じゃが」
「ああ、覚えておるとも。『世直し』をするためじゃろう」
「そうじゃ。信長のお陰で、この辺りは平和になった。わしはおぬしの陰として働き、信長を支援して来た。しかし、もう、信長には付いてはいけん。おぬしがこのまま、信長に従うというのなら、おぬしとも敵味方になるかもしれんな」
夢遊は藤吉郎の顔を見ながら、天目茶碗をソッと置いた。
「おいおい、急に何を言う。おぬしはそう簡単に言うがの、わしは上様の部将として、ようやく、ここまで来たんじゃ。今更、上様を裏切る事などできんわ。摂津守(セッツノカミ、荒木村重)のようにはなりたくねえからの」
「おぬしが上様に変わればいい」と夢遊は竹の茶杓(チャシャク)を眺めながら言った。
「馬鹿言うな。そんな話、聞いてられるか」
藤吉郎はお茶入れを置くと、夢遊から茶杓を奪い取った。
「いいか、五右衛門、おぬしがそれ以上言うなら、わしらの仲もこれまでじゃと思え。今すぐ、ここから出て行ってくれ」
「分かったよ。わしも今、迷ってるんじゃ。昔とは違う。家族もいるし大勢の手下もいる。世直しのためとはいえ、奴らを道連れにする事はできん。だがの、やらなければならん時が来たら、わしは奴らを犠牲にしてでもやってしまうじゃろう。その事は分かってくれ」
藤吉郎は夢遊の顔をジーッと見つめてから、うなづき、ニコッと笑った。
「さて、ややこしい話は終わりじゃ。このお茶道具を目利き(鑑定)してくれ。どんなイワレがあるんじゃ?」
夢遊は新しい道具を目利きした後、それを使って藤吉郎が点てたお茶を御馳走になった。
「さてと、お祢(ネ)の機嫌でも取りに行くかの」
藤吉郎は苦笑して、夢遊に手を振ると去って行った。
藤吉郎も偉くなり、妻の機嫌を取りながらも、毎日、忙しく走り回っていた。正月を長浜で迎える事なく、四日後の二十六日には姫路に戻って行った。
夢遊も半月余り家族と共に過ごした長浜を後にして、安土に帰った。
我落多屋に行くとマリアがいた。山の砦も年末年始は休みとなった。正月の十四日までは皆、家族のもとに帰る事が許されていた。マリアは行く所もないので、勘八に連れられて我落多屋に来たのだった。
「ジュリアはどこに行ったの?」とマリアは夢遊を迎えると聞いて来た。
「どこのセニョリータかと思ったら、マリアか。やけに女っぽくなったのう」
「アラ、ほんと?」
マリアは無邪気に喜んだ。暖かそうな綿入れを着ていたが、相変わらず、足は丸出しだった。
「ほんとさ。今度、わしと遊ぼう」
「ダメ。天主の黄金を取って来てくれたら、いっぱい遊んであげる」
「まだ、諦めんのか?」
「諦めないよ。あたし、オスピタルを建てなければならないんだモン」
夢遊はマリアを二階に誘った。
マリアは縁側に出て、天主を見つめた。
夢遊も天主を見ながら、「あそこから黄金を盗み、オスピタルを建てるという考えは立派じゃが、実際問題として、そんな事ができると思うか?」とマリアに聞いた。
「できるよ」とマリアは力強くうなづいた。「ジュリアが見つかれば抜け穴は抜けられるモン。夢遊様が手伝ってくれれば絶対にうまく行く」
「よし、うまく行ったとしよう。黄金を盗まれて、あそこの主は黙ってると思うか?」
「いいえ」とマリアは首を振った。そして、その顔はだんだんと蒼ざめていった。
「お殿様は絶対に許さないのネ」
「そうじゃ。抜け穴を利用して黄金が盗まれたとなれば、信長はまず、抜け穴に関係した者たちを皆殺しにするじゃろう。家族も含めてな。当然、善次郎の娘であるお前とジュリアは狙われる。黄金を盗んだとしても、オスピタルを建てる前に、首と胴は離れる事になろう」
「そんな‥‥‥」
「勿論、わしらだって皆殺しになる」
「それじゃア、抜け穴を通る事ができたとしても、黄金は盗めないの?」
「それなりの覚悟をすればできる」
夢遊は部屋に入ると火鉢(ヒバチ)の側に座り込んだ。
「覚悟?」とマリアも夢遊を追って、火鉢にあたった。
「黄金を盗んだらな、信長の領内から全員が引き上げるんじゃ。勿論、我落多屋も全部閉めるし、山の砦も引き払う」
「そこまでしなくちゃなんないの?」
「そうじゃ。信長の前から完全に消えなければならんのじゃ」
「どこ、行くの?」
「分からん。わしらは年中、旅をしてるからいいが、家族の者たちは大変じゃ。見も知らぬ土地に行き、新しい暮らしを始めなければならん。黄金一万枚は確かに大金じゃ。しかしな、それだけの犠牲を払ってまで、やるべきかどうか分からんな」
「いいよ。この安土じゃなくてもいい。どこか遠い所でもいい。あたし、やっぱりオスピタルを建てる、絶対に」
「頑固な奴じゃのう」
「あたしはやる。ジュリアと二人でやるよ。ネエ、ジュリアはどこ行ったのよ?」
「銀次が捜しておる。今、お前の親父が住んでた家で暮らしてるわ。行って、自分で聞く事じゃな」
マリアは懐かしい家に飛んで行った。後を追うように勘八も善次郎の家に向かった。
「あの二人、大丈夫かしら?」とおさやが二階に来て心配した。
「おめえら、足が寒くねえのか?」
「寒いけど平気ですよ」
おさやは自分の足を眺めた。
「観音様がクシャミをするぞ」
「アラ、どうしよう?」とおさやは火鉢の側に来て笑った。
「火鉢をまたいでも構わんぞ」
「いやですわ、大旦那様ったら」
「おめえは好きな男はおらんのか?」
「いるけど、あたしはダメなんです」
おさやは座ると火鉢に手をかざしながら、うつむいた。
「どうして?」
「その人、おかみさんがいるんですよ」
「ほう。おめえも大変なようじゃな」
「お澪様の気持ちがよく分かります。でも、お澪様の相手は大旦那様でしょ。あたしの相手は大旦那様とは違って真面目すぎるんです」
「そいつは大変じゃ。正月を一緒に過ごす事もできんというわけか?」
「無理です、絶対」
「そうか‥‥‥来年になったら、すぐに忙しくなるぞ。好きな男に会えんのなら、親の所に顔を出してやれ」
「いえ。今年は両親を安土に呼ぶ事にしたんです。ここの賑わいと天主を一度、見たいと言ってるものですから」
「藤兵衛に頼んで、いい旅籠屋に泊めてやれ」
「はい。もう、頼んでいただきました」
「今年の正月も賑やかな事じゃろう。信長の事じゃ、また派手な催しをするに違えねえ。いい思いをさせてやれよ」
「はい。ありがとうございます」
「すまんが新五の奴を呼んでくれ」
おさやがいなくなってから、すぐに新五は現れた。
「お帰りなさいませ。長浜のおかみさんは大丈夫でしたか?」
「まいったわ。誰が知らせるのか、細けえ事まで、すっかり知っておったぞ」
「それは、それは大変な事で‥‥‥」
「殺されそうになったわ‥‥‥ところで、見つかったか?」
「はい、裏通りに手頃なのが」
「どの辺じゃ?」
「八幡社の近くです」
「八幡社か、少し遠いのう」
「しかし、あの辺りまで行かないと大旦那様は有名ですから、また、すぐに噂が立ちますよ」
「うむ、そうじゃな。あの辺りなら、わしを知ってる者もいるめえ。よし、見に行くか」
夢遊は長浜に家族の住む自宅を持っていたが、他には家を持っていなかった。安土、京都、堺、姫路と我落多屋の店はあるが、家はなく、いつも、それぞれの我落多屋の主人の屋敷に居候(イソウロウ)していた。安土の我落多屋の裏にある屋敷は藤兵衛の家族が暮らし、二階は夢遊が使っていたが居候には違いなかった。
お澪と会うのに二階は使いづらく、ちょくちょく、お澪の屋敷に行くわけにもいかなかった。お澪の屋敷は中庭にあり、そこに行くには与兵衛の屋敷の横を通らなくてはならない。与兵衛も藤兵衛と同じように、夢遊とお澪が噂になっている事を快く思ってはいなかった。夢遊は考えた末に離れた所に家を買って、お澪と会う事に決め、新五に捜せと命じていた。
夢遊はその家が気に入った。以前、住んでいたのは京都にある酒屋の隠居で、若い娘と一緒に暮らしていたという。茶の湯を嗜(タシナ)み、信長の家臣たちに指導していたが、贋物(ニセモノ)のお茶道具を売ったかどで、信長に睨まれて夜逃げしたらしかった。
大通りから引っ込んだ裏通りにあり、まだ新しく、作りも凝っていた。門の上に『鴬燕軒(オウエンケン)』と書かれた額が掲げてあって、門の脇には廐(ウマヤ)があり、奥の方には蔵もある。
母屋(オモヤ)は土間の台所と囲炉裏のある板の間があり、その奥に畳を敷いた八畳間が二部屋あった。
中庭には井戸と厠(カワヤ)があり、板塀の向こうに、佗(ワ)びた四畳半の茶室のある庭園があった。庭園には見事な枝振りの梅の木が植えられ、鯉が泳いでいる池もあった。お茶会の前に風呂を御馳走したとみえて、立派な湯殿(ユドノ)も建っていた。湯殿を覗いてみると桧(ヒノキ)作りの大きな湯舟があった。四人は楽に入れそうな大きさだった。
「こいつはいい」と夢遊は思わず、ニンマリした。
敷地はそれ程広くはないが、住み心地のよさそうな家だった。年末年始をお澪と二人だけで、コッソリと暮らすのに最適な家だった。
夢遊は新五に必要な家具と食料を揃えるように命じると我落多屋に戻り、山のような土産を持って小野屋に向かった。
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