織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
チャランポラン
1
マリアが京都の我落多屋で夢遊を待っていた頃、夢遊は安土に帰っていた。
フラフラした足取りで、船から下りると、「セニョリータ(お嬢さん)、元気だったかい? 一緒にお茶でも飲まない?」と道行く娘に声を掛けながら、のんびりと歩いていた。
アワビと松タケが大きく描かれた派手な単衣(ヒトエ)に白鞘(シロサヤ)の長い刀を差し、茶筅髷(チャセンマゲ)を高く結っていた。背が六尺近くもあるのに、さらに高く見えた。
声を掛けられた娘はニコッと笑い、「また、今度ネ」と手を振った。
「セニョーラ(奥さん)、遊ばない?」と今度は人妻に声を掛けた。
人妻は顔を赤らめ、「やあネ、昼間っから」と笑って、夢遊の背中をポンとたたいた。
夢遊はすれ違う者たちに陽気に声を掛けながら、我落多屋の暖簾をくぐった。
「アラ、大旦那様、お帰りなさい」とおさやが笑顔で迎えた。
「ほう。おめえ、色っぽくなったじゃねえか」
おさやはマリアのように流行りの丈の短い単衣を着ていた。マリアのようにスラッとした足ではなかったが、なかなか色っぽい足だった。
「ほんと?」とおさやは嬉しそうに一回りして見せた。
「いい女子(オナゴ)じゃ。今度、わしと遊ぼう」
夢遊はおさやの尻を撫でると店を抜けて、屋敷の二階へ向かった。
藤兵衛よりマリアの事を聞き、南蛮大工の善次郎が殺された事を知ると驚き、「なぜじゃ?」と藤兵衛を問い詰めた。
「物取りの仕業かと娘は言ってましたが‥‥‥なんでも、殿様から頂戴した金の小判を盗まれたとか」
「物取りか‥‥‥確かに、善次郎は城内の仕事をしておったがのう‥‥‥どうも臭えな」
「娘は石川五右衛門に仇(カタキ)を討ってもらうと言っています」
「ほう、五右衛門は盗賊をやめて、仇討ちを請け負ってるのか?」
「知りませんよ、そんな事。仇を討って、奪われた金貨を取り戻してほしいと娘は言ってました」
「いくら盗まれたんじゃ?」
「金貨五枚」
「五十両か、大金じゃな。それだけの報酬を貰ったとなると、かなり、重要な仕事をしたという事になるのう」
夢遊は派手な単衣の胸をはだけ、扇子で風を入れた。
「もしや、口封じでは?」と藤兵衛が声をひそめて言った。
「うむ、その可能性はある」と夢遊はうなづいた。「最近の信長は気分次第で何をしでかすか分からねえからの。しかし、勿体ねえ事じゃな。あれだけの腕を持った大工はざらにはいねえ」
「善次郎が何をしてたのか調べてみますか?」
「そうじゃな。それで、娘は今、京都にいるのか?」
「はい。勘八の奴がついてます」
よしと言うように夢遊はうなづいた。「安土に来たのは知ってたが、まだ、会ってはおらん。いい年頃になったじゃろうの?」
「はい、十七になったとか。ちょっと変わってますが、綺麗なお嬢様でした」
「十七か‥‥‥綺麗になったか‥‥‥」
夢遊はニヤニヤしながら、何度もうなづいていた。
「何を考えてるんです?」と藤兵衛が横目で睨んだ。
「ナニ、善次郎の死んだかみさんを思い出したんじゃ。ベルダーデ(美人)じゃった」
「みっともないから、娘には手を出さないで下さいよ」
「何を言う。わしにはお澪(ミオ)殿がおる。十七の小娘なんかに手を出すか」
「どうだか」と言って、藤兵衛は首を振った。
「わしが若い娘が苦手なのは知っておろう」
「大旦那様が苦手なのは、おかみさんと二人の娘さんだけでしょ。後は女子(オナゴ)とみれば、まったく、見境なんかありゃしない」
「人聞きの悪い事を言うな。ところで、話は変わるがの」と夢遊は顔を和らげ、「お澪殿は今、おられるか?」と照れ臭そうに聞いた。
「はい、おられます。ただ、明日、伊勢の方に行くとか聞いておりますが」
藤兵衛は急に不機嫌そうな顔をした。
「ナニ、明日、出掛けるのか? そいつは大変じゃ。わしはちょっと、行って来るわ」
藤兵衛の顔色など、まったく気にもせず、夢遊はニヤけた顔をして、かたわらの風呂敷包みをぶら下げると部屋から出て行った。
「まったく、困ったもんじゃ」と藤兵衛はつぶやいた。
夢遊はすぐに戻って来て、藤兵衛を見ると、「何か言ったか?」と聞いた。
「いえ、何も。お澪様によろしくお伝え下さい」
「おう、分かっておる。善次郎の事じゃがな、奴には娘が二人いたはずじゃ、双子の娘がのう。もう一人はどこ行ったんじゃ?」
「さあ、ここに来たのはマリアという娘だけでしたが」
「その事も調べてくれ」
「分かりました」
「アデウス(それじゃあ)、アミーゴ(友よ)」と手を振ると、いそいそしながら出掛けて行った。
お茶を持って来たおさやは、「アレ、大旦那様はもう、お出掛けですか?」と不思議そうに藤兵衛に聞いた。
「小野屋さんに飛んで行ったわ」
藤兵衛はチラッとおさやの足を見た。
「アレまあ、さっそくですか?」
おさやは座るとお盆を藤兵衛の前に置いた。
「困ったもんじゃ」
「お澪様は別嬪(ベッピン)ですもの、大旦那様が熱を上げるのも仕方ありませんわ」
「いい年してみっともないわ。お澪様は娘と言ってもいい年頃じゃ」
「それだけ、大旦那様はお若いんですよ。町の娘たちにも人気あるんですよ。みんな、大旦那様を見るとキャーキャー騒いでます」
「『セニョリータ、アマベル(可愛い)ね。お茶、飲まない?』いい年して、よくそんな事が言えるわ」
「フフフ、その言葉、今、流行ってるみたいですよ。あたしも、さっき、そう声掛けられました。大旦那様かと思ったら、若い男の子が三人だった。大旦那様みたいに派手な格好をしてネ。サマになってなかったけど、あれで、カッコいいと思ってるんですよ。うちの大旦那様は流行の最先端を行ってるのよ」
「確かにな。若い娘と遊ぶのは構わんがの、あれはどうも本気じゃ。しかも、相手が悪い」
「お澪様って、小野屋さんの跡取り娘なんでしょ。大旦那様と一緒になれば、お店が大きくなっていいんじゃないですか」
「馬鹿言うな。大旦那には、ちゃんと、おかみさんがいるわ。それに、小野屋というのは我落多屋なんか比べものにならん程、大きいんじゃ」
「小野屋さんって京都にも堺にもお店があるんでしょ?」
「ある。しかし、それだけじゃない。本拠地は小田原にあって、北条氏の御用商人じゃ。出店は各地にあって、その数は三十は下らないという」
「出店が三十もあるんですか?」
「らしいな。小野屋の主人は代々、女子でな、尼僧になって生涯、所帯を持たないという。お澪様は五代目を継ぐ事になってるそうじゃ」
「お澪様が尼さんに‥‥‥勿体ないわ」
「勿体ないが仕方ない。うちの大旦那様が惚れてもどうにもならんわ」
「大旦那様もお可哀想に‥‥‥」
「まあ、明日、お澪様は伊勢の方に出掛けるらしいから、しばらくは安心じゃな」
藤兵衛はおさやの持って来たお茶を飲み、「おや、こいつは上物じゃな」と唸った。
「大旦那様のお土産です。お澪様に差し上げるとか言ってました。味見をするから、点(タ)ててくれって言ったのに、味見もなさらずに行ってしまったわ」
「お澪様へのお土産か‥‥‥結構な事じゃな」
「あたしも味見していいですか?」
「どうぞ」
おさやはうまそうにお茶を飲んだ。
「ところで、なんじゃな、その着物、短かすぎなくはないか?」
藤兵衛は丸出しのおさやの膝を見ながら言った。
「アラ、そうかしら? みんな、こんなモンですよ」
「立ってる時はいいがの、座ると膝が丸出しじゃ。覗かれるぞ」
「いやネエ。そんなの一々、覗く人なんていませんよ」
「いないかもしれんが、刺激が強すぎる。そんな格好で店に出てはいかん」藤兵衛は真面目くさった顔して言った。
「藤兵衛様は遅れてますよ。大旦那様は似合うって褒めてくれましたわ」
「大旦那様はスケベじゃ。ケツを丸出しにしても褒めるじゃろう」
「いやだわ。藤兵衛様の方がスケベですよ、ケツだなんて。そういうの、むっつりスケベって言うんです。たまには若い娘でも口説いた方がいいですよ」
「何を言う。わしには家庭というものがある」
「家庭は家庭、恋は恋ですよ。あたし、藤兵衛様なら口説かれてもいいと思ってるのに」
おさやはそう言うとお盆を持って、わざと片膝を立てて立ち上がった。藤兵衛の目に、着物の奥の茂みがハッキリと見えた。ポカンとしている藤兵衛を見ながら、おさやはケツを振り振り去って行った。
その頃、夢遊は小野屋の離れに上がり込んで、憧れのお澪と二人きりで会っていた。
小野屋は我落多屋の向かい側の店だった。店を建てる時、夢遊はお澪の事を知らなかったが、小野屋が小田原北条氏とつながりがあるという事は知っていた。向かいに小野屋があれば、関東の情報も得られるだろうと喜んで店を建てた。
安土の小野屋は相模(神奈川県)の漆器(シッキ)を中心に関東の様々な品を扱っている店だった。店の規模もそれ程大きくなく、主人の与兵衛もあまり目立つ男ではなかった。夢遊としても近所付き合いをする程度で、特に付き合いがあるわけでもなかった。
ところが、今年の三月、お澪がやって来ると夢遊はお澪に一目惚れしてしまった。毎日のように小野屋に出掛けて行き、お澪と会い、口説いていたが、そう簡単に落ちる娘ではなかった。小野屋の跡を継ぐだけあって、若いわりにはしっかりしていて、頭もよく、一筋縄では行かなかった。相手が手ごわいとなると夢遊はますます燃え、お澪に夢中になって行った。
「いつも、ありがとうございます」とお澪は丁寧に頭を下げた。
その流れるような黒髪から覗く、白いうなじが色っぽかった。
「いやいや、お澪殿に喜んでいただければ、わしはもう嬉しくてしょうがないんじゃ。それにしても、会いたかったわ」
夢遊はデレッとしながら、お澪に見とれていた。
「まあまあ、夢遊様、今度はどちらの方へ行かれたんですか?」
お澪は観音様のような笑みをたたえ、首をかしげて夢遊を見ていた。涼し気な千鳥模様の単衣がよく似合っていた。
「ナニ、ちょっと、播磨の方にな。この前、姫路に新しい店を出したんで、様子を見に行って来たんじゃ」
「姫路ですか。姫路というと羽柴(ハシバ)様(秀吉)のお城下ですよネ。夢遊様は羽柴様と仲がおよろしいようですわネ」
「まあな。何となく、奴とは気が合うんじゃ」
「もう長いんですか、お付き合いは?」
「いやいや、お付き合いという程じゃない。奴とはたまたま、京都の遊女屋で会って気が合ってのう‥‥‥ずっと、昔の事じゃ」
「まあ。今度、紹介して下さいな」
「おう、そんな事ならお易い御用じゃ」と夢遊は笑いながら言ったが、急に真顔になると、慌てて手を振り、「いや、ダメじゃ。絶対、ダメじゃ」と強い口調で言った。
「エッ、どうしてですの?」お澪は驚いて、身を引いた。
「女子(オナゴ)好きなんじゃ、奴は。そなたのようなベルダーデ(美人)を紹介するわけにはいかんわ」
「アラまあ、夢遊様だってお好きでしょうに」
「いやいや、そんな事はないぞ。わしは堅い事で通っておる」
「アラ、そうかしら? 池田町の祇園(ギオン、遊女屋)を買い切って大騒ぎしたっていう噂、ちゃんと聞いてますわよ」
「こいつはまいった。しかし、そんな馬鹿騒ぎをしたのは、とうの昔の事じゃ」
「いいえ、今年のお正月でしょ?」とお澪は睨んだ。
「あっ、そうだったか? とにかく、お澪殿が安土に来る前の事じゃ。お澪殿に会ってから、わしは心をすっかり入れ替えたんじゃ」
「そうなの? あたしのために無理なさらなくてもいいのに」
「無理などしてはおらん。わしはいつも自然体じゃ」
「そうネ、飄々(ヒョウヒョウ)としてるものネ」
「ところで、明日、出掛けるとか?」
「はい。ちょっと、伊勢のお店の方で問題が起きまして」
「そうか‥‥‥それで、いつ頃、お帰りに?」
「分かりません。なるべく早く、帰って来ようとは思ってますけど」
「ぜひ、早く帰って来て下され。お澪殿のいない安土なんて、天主のなくなった安土のようなもんじゃ。寂しすぎる」
「夢遊様、大袈裟すぎますわよ」
「いや、ほんとの事じゃ。ようやく、わしが帰って来たのに、今度は、お澪殿が出掛けてしまうとはの、運命のいたずらじゃな。デウス(神)様もけしからん事をするのう。そうじゃ、お澪殿、今晩、うちにお越し下され。精一杯、御馳走しますぞ」
お澪は笑いながら、首を振った。「いいえ。今晩はこちらで御用意いたしております」
「は?」
「夢遊様が今日、お帰りになる事は分かっておりましたので、お帰りをお待ちしていたのですよ」
「わしを待っていたと申すのか?」
「はい。しばらく、お会いできなくなりますものネ。今晩は、夢遊様の面白いお話をお聞きしたいと思いまして」
「おう、そうか、そいつはありがたい事じゃ」
夢遊はお澪の側まで近づいた。
「羽柴様の事などお聞かせ下さいませ」とお澪は夢遊の膝に手を置いた。
「奴の話などつまらん。もっと、面白い話をしよう」
「アラ、どんな?」
「そうじゃな。旅で聞いた面白い話が色々とあるんじゃ。色っぽいのがな」と夢遊は膝の上のお澪の手を取って握った。
「まあ、楽しみですわ。お膳の用意をさせますわネ」
「オブリガード(ありがとう)」
「デ・ナーダ(どういたしまして)」
「おや、お澪殿も南蛮の言葉を御存じか?」
「堺のお店にいた時、少し、覚えました。お客様に南蛮人がおりましたので」
「そうか。そいつは頼もしい」
「ほんのちょっとですよ」
「わしだって、ほんのちょっとじゃ。一度、南蛮人の女子を口説いてやろうと思って覚えたんじゃがの、南蛮人の女子はやって来んのじゃよ。でもな、南蛮の言葉をしゃべると若い女子にもてるんじゃ。ナニ、今はそんな事は全然しとらん。お澪殿一筋じゃ」
「まあまあ、夢遊様ったら、女子を口説くために覚えたんですか。あたしはまた、商売のためかと思ってましたわ」
「そいつは建前というものじゃ」
「面白い人ですネ、ほんとに。ところで、夢遊様、お食事の前に、お湯に入って汗を流した方がいいですわよ」
「おう、そうじゃった。お澪殿の顔を見たくて、旅支度のままじゃったわ。失礼いたした」
「旅支度も普段も、あまり、変わらないみたいですけど」
「まあ、そうじゃな。あまり、変わらんのう。変わった所と言えば、ひげが伸びたくらいかの」と夢遊は無精ひげを撫でた。
お澪は急に笑い出した。
「おかしいか?」
「おかしいわよ。すぐにお風呂の用意をさせますわ」
「いやいや、お澪殿にそこまでさせるわけにはいかん。遠くに帰るわけじゃなし、すぐ前じゃ。とにかく、着替えてから出直して来るわ」
「お待ちしております」
夢遊がニヤニヤしながら、我落多屋に戻ると藤兵衛がニヤニヤしながら待っていた。
「善次郎の事、分かりましたよ」と藤兵衛は小声で言った。
「ナニ、もう分かったのか? 早えのう」
「新五が待ってます」と藤兵衛は二階を示した。
「おう。そうだ、おさやに湯を沸かすように言ってくれ」
「風呂ですか?」
「まあな。夕飯を招待されたからな」
「お澪様に?」
「勿論じゃ、頼むぞ‥‥‥どうした、やけに嬉しそうじゃのう。何かあったのか?」
「いえ。このわしにも、春が来たようで」
「何を寝ぼけておる。今は真夏じゃ」
二階に行くと、職人の格好をした新五が欄干から身を乗り出して、遠眼鏡(トオメガネ)を覗いていた。
「面白え物が何か見えるのか?」と夢遊が言うと、新五は驚いて振り返った。
「あっ、大旦那様、どうも」
「ちょっと、貸してみろ」
夢遊は新五から遠眼鏡を受け取り、覗いて見た。小野屋の店がよく見えたが、店の裏にあるお澪のいる離れは見えなかった。
「そっちじゃないですよ」と新五は言った。
「どっちじゃ?」
「こっちです」
新五の言う方を覗くと、若い女が庭で行水をしている所が見えた。
「おおっ!」と夢遊は身を乗り出した。
庭は垣根に囲まれて、回りから見えないようになっているが、上からは丸見えだった。顔はよく見えないが、豊満な乳房がまるで目の前にあるかのようによく見えた。
「扇屋の後家(ゴケ)のおくにですよ」と新五が言った。
「ほう、扇屋の後家か‥‥‥なかなか、いい女子じゃねえか‥‥‥おめえ、どうして、名前まで知ってるんだ?」
「はい、ちょっと。後家にしておくのは勿体ねえと思いまして」
「うむ、でっけえオッパイじゃ。チョッカイ出してるのか?」
「まだまだ、これからです。やっと、この前、名前を聞いたばかりで‥‥‥」
「惚れたのか?」
「あの体を見たら、もう、たまりませんよ」
「そうじゃの、いい体じゃ‥‥‥まあ、頑張れや」
夢遊は遠眼鏡を新五に返した。
新五が遠眼鏡を覗くと、すでに後家の姿はなかった。新五は舌を鳴らすと、夢遊を見た。
夢遊は座敷に座って、ニヤッと笑い、「善次郎の事、何が分かった?」と聞いた。
「はい」と新五は夢遊の前にかしこまった。
「善次郎が殺されたのは十三日の夜です。一緒に鳴海(ナルミ)屋(遊女屋)の八嶋が殺されていました」
「八嶋が一緒に?」
「はい。善次郎は八嶋を妻にするために身請けしたそうです。ところが、身請けされて三日後に殺されてしまった。八嶋にすれば、遊女屋にいた方がよかったでしょうに」
「八嶋が死んだのか‥‥‥気立てのいい女子じゃったのにな‥‥‥可哀想な事をした」
夢遊はボーッとして、天主の方を眺めていた。
「大旦那様は八嶋と?」
「ああ、何度かな」
「今度、俺も連れてって下さいよ」
「そのうちな。一体、何者の仕業なんじゃ?」
「待って下さい。順を追って話します。まず、善次郎が殿様に呼ばれて、城内に入ったのは先月の半ばです。城内で仕事をしてましたが、今月の八日に仕事を終え、報酬を貰って家に帰って来てます」
「善次郎はずっと城内にいたのか?」
「はい。ずっと、城内に泊まり込んでいたようです」
「何をしてたのかは分からんのじゃな?」
「詳しい事は分かりませんが、近所の者たちの話では南蛮風な飾り付けをやっていたとか」
「飾り付けか、奴は彫り物もできるからの。南蛮風な彫り物を彫っていたのかもしれんな」
「ええ」
「八日に帰って来てから殺される十三日まで、何をしてたんじゃ?」
「帰って来たのは八日の夕方ですから、その日はそのまま寝てしまったようです。九日も疲れたと言って、家でゴロゴロしていたようですが、夜になると池田町に繰り出して、鳴海屋に泊まってます。次の日、八嶋を身請けして、八嶋を連れて孤児院に行き、娘と会ってます。その後、セミナリオに顔を出してから家に帰ってます。次の日、十一日にも善次郎はセミナリオに行ってます。新しく建てるオスピタルの事でパードレと相談していたようです」
「何じゃ、そのオスピタルと言うんは?」
「日本語に直すと病院とか。重い病(ヤマイ)の者たちを収容して、治す施設だそうです」
「ほう、オスピタルか‥‥‥」
「十二日と十三日は家に籠もったままです。オスピタルの図面を書いていたようです。そして、十三日の夜、何者かに殺されました」
「眠ってる所をやられたのか?」
「そのようです。善次郎も八嶋も一瞬のうちに首を斬られて即死。悲鳴も上げなかったようです」
「そうか‥‥‥それで、取られたのは金貨だけなのか?」
「家捜ししたようですが、他に金目の物はなかったようですね」
「やはり、物取りの仕業か‥‥‥」
「その可能性が高いです。善次郎が金貨を貰ったという事は近所中でも評判でしたから」
夢遊は無精ひげを撫でながら、小刻みにうなづいていた。
「オスピタルはどこに建てるんじゃ?」
「セミナリオの近くじゃないですか」
「そのオスピタルの事で殺されたわけじゃあるめえ。となるとやはり物取りか‥‥‥」
「城内で何か極秘の事をやっていて、口封じされたとも考えられますが、それなら、その仕事が終わった時点で殺されますよ。八日に城を出て、十三日の夜、殺されるまで、好き勝手にしてますからね」
「うむ、そうじゃの。だが、一応、奴が城内で何をやっていたのか調べてくれ。それと、もう一人の娘の方はどうなった?」
「ああ、ジュリアとかいう娘ですね。マリアがこの店に来た十六日に旅に出ました。行き先は今、調べてますが、まだ、分かりません」
「そうか‥‥‥とにかく、一度、マリアに会ってみるか」
「噂ではなかなかの別嬪らしいですよ」
「らしいの」
「あっ、忘れてました。そのマリアですが、勘八と一緒に京都に向かう途中、山伏に襲われたそうです。その後、その山伏は姿を現さないので、単なる物取りかもしれませんが、京都の方で調べてます」
「マリアが襲われたのか‥‥‥その山伏の目当てがマリアだとすれば、ジュリアの方も危険じゃな」
「そうなりますね」
「新五、すぐにジュリアを追ってくれ。娘まで殺させるわけにはいかん」
「はい、分かりました」と新五は遠眼鏡を持って立ち上がった。
部屋から出て行こうとして振り返り、「大旦那様、おくにに手を出さないで下さいよ」と言った。
「何を言ってるんじゃ、馬鹿たれが。わしにはお澪殿がおるわ。後家など興味ねえ」
「お願いしますよ」と新五は念を押すと出て行った。
夢遊は立ち上がると縁側に出て、扇屋を覗いた。おくにが尻をこちらに向けて、髪を洗っていた。
「おおっ!」と夢遊は身を乗り出して眺めた。
おくにが気づいて、振り返った。おくにと目が合い、夢遊は手を上げると、「セニョーラ、暑いのう」ととぼけた。
おくには慌てて、隠れてしまった。
夢遊は天主を見上げ、「さて、わしも湯に入るか」と二階から降りて行った。
「うむ、その可能性はある」と夢遊はうなづいた。「最近の信長は気分次第で何をしでかすか分からねえからの。しかし、勿体ねえ事じゃな。あれだけの腕を持った大工はざらにはいねえ」
「善次郎が何をしてたのか調べてみますか?」
「そうじゃな。それで、娘は今、京都にいるのか?」
「はい。勘八の奴がついてます」
よしと言うように夢遊はうなづいた。「安土に来たのは知ってたが、まだ、会ってはおらん。いい年頃になったじゃろうの?」
「はい、十七になったとか。ちょっと変わってますが、綺麗なお嬢様でした」
「十七か‥‥‥綺麗になったか‥‥‥」
夢遊はニヤニヤしながら、何度もうなづいていた。
「何を考えてるんです?」と藤兵衛が横目で睨んだ。
「ナニ、善次郎の死んだかみさんを思い出したんじゃ。ベルダーデ(美人)じゃった」
「みっともないから、娘には手を出さないで下さいよ」
「何を言う。わしにはお澪(ミオ)殿がおる。十七の小娘なんかに手を出すか」
「どうだか」と言って、藤兵衛は首を振った。
「わしが若い娘が苦手なのは知っておろう」
「大旦那様が苦手なのは、おかみさんと二人の娘さんだけでしょ。後は女子(オナゴ)とみれば、まったく、見境なんかありゃしない」
「人聞きの悪い事を言うな。ところで、話は変わるがの」と夢遊は顔を和らげ、「お澪殿は今、おられるか?」と照れ臭そうに聞いた。
「はい、おられます。ただ、明日、伊勢の方に行くとか聞いておりますが」
藤兵衛は急に不機嫌そうな顔をした。
「ナニ、明日、出掛けるのか? そいつは大変じゃ。わしはちょっと、行って来るわ」
藤兵衛の顔色など、まったく気にもせず、夢遊はニヤけた顔をして、かたわらの風呂敷包みをぶら下げると部屋から出て行った。
「まったく、困ったもんじゃ」と藤兵衛はつぶやいた。
夢遊はすぐに戻って来て、藤兵衛を見ると、「何か言ったか?」と聞いた。
「いえ、何も。お澪様によろしくお伝え下さい」
「おう、分かっておる。善次郎の事じゃがな、奴には娘が二人いたはずじゃ、双子の娘がのう。もう一人はどこ行ったんじゃ?」
「さあ、ここに来たのはマリアという娘だけでしたが」
「その事も調べてくれ」
「分かりました」
「アデウス(それじゃあ)、アミーゴ(友よ)」と手を振ると、いそいそしながら出掛けて行った。
お茶を持って来たおさやは、「アレ、大旦那様はもう、お出掛けですか?」と不思議そうに藤兵衛に聞いた。
「小野屋さんに飛んで行ったわ」
藤兵衛はチラッとおさやの足を見た。
「アレまあ、さっそくですか?」
おさやは座るとお盆を藤兵衛の前に置いた。
「困ったもんじゃ」
「お澪様は別嬪(ベッピン)ですもの、大旦那様が熱を上げるのも仕方ありませんわ」
「いい年してみっともないわ。お澪様は娘と言ってもいい年頃じゃ」
「それだけ、大旦那様はお若いんですよ。町の娘たちにも人気あるんですよ。みんな、大旦那様を見るとキャーキャー騒いでます」
「『セニョリータ、アマベル(可愛い)ね。お茶、飲まない?』いい年して、よくそんな事が言えるわ」
「フフフ、その言葉、今、流行ってるみたいですよ。あたしも、さっき、そう声掛けられました。大旦那様かと思ったら、若い男の子が三人だった。大旦那様みたいに派手な格好をしてネ。サマになってなかったけど、あれで、カッコいいと思ってるんですよ。うちの大旦那様は流行の最先端を行ってるのよ」
「確かにな。若い娘と遊ぶのは構わんがの、あれはどうも本気じゃ。しかも、相手が悪い」
「お澪様って、小野屋さんの跡取り娘なんでしょ。大旦那様と一緒になれば、お店が大きくなっていいんじゃないですか」
「馬鹿言うな。大旦那には、ちゃんと、おかみさんがいるわ。それに、小野屋というのは我落多屋なんか比べものにならん程、大きいんじゃ」
「小野屋さんって京都にも堺にもお店があるんでしょ?」
「ある。しかし、それだけじゃない。本拠地は小田原にあって、北条氏の御用商人じゃ。出店は各地にあって、その数は三十は下らないという」
「出店が三十もあるんですか?」
「らしいな。小野屋の主人は代々、女子でな、尼僧になって生涯、所帯を持たないという。お澪様は五代目を継ぐ事になってるそうじゃ」
「お澪様が尼さんに‥‥‥勿体ないわ」
「勿体ないが仕方ない。うちの大旦那様が惚れてもどうにもならんわ」
「大旦那様もお可哀想に‥‥‥」
「まあ、明日、お澪様は伊勢の方に出掛けるらしいから、しばらくは安心じゃな」
藤兵衛はおさやの持って来たお茶を飲み、「おや、こいつは上物じゃな」と唸った。
「大旦那様のお土産です。お澪様に差し上げるとか言ってました。味見をするから、点(タ)ててくれって言ったのに、味見もなさらずに行ってしまったわ」
「お澪様へのお土産か‥‥‥結構な事じゃな」
「あたしも味見していいですか?」
「どうぞ」
おさやはうまそうにお茶を飲んだ。
「ところで、なんじゃな、その着物、短かすぎなくはないか?」
藤兵衛は丸出しのおさやの膝を見ながら言った。
「アラ、そうかしら? みんな、こんなモンですよ」
「立ってる時はいいがの、座ると膝が丸出しじゃ。覗かれるぞ」
「いやネエ。そんなの一々、覗く人なんていませんよ」
「いないかもしれんが、刺激が強すぎる。そんな格好で店に出てはいかん」藤兵衛は真面目くさった顔して言った。
「藤兵衛様は遅れてますよ。大旦那様は似合うって褒めてくれましたわ」
「大旦那様はスケベじゃ。ケツを丸出しにしても褒めるじゃろう」
「いやだわ。藤兵衛様の方がスケベですよ、ケツだなんて。そういうの、むっつりスケベって言うんです。たまには若い娘でも口説いた方がいいですよ」
「何を言う。わしには家庭というものがある」
「家庭は家庭、恋は恋ですよ。あたし、藤兵衛様なら口説かれてもいいと思ってるのに」
おさやはそう言うとお盆を持って、わざと片膝を立てて立ち上がった。藤兵衛の目に、着物の奥の茂みがハッキリと見えた。ポカンとしている藤兵衛を見ながら、おさやはケツを振り振り去って行った。
その頃、夢遊は小野屋の離れに上がり込んで、憧れのお澪と二人きりで会っていた。
小野屋は我落多屋の向かい側の店だった。店を建てる時、夢遊はお澪の事を知らなかったが、小野屋が小田原北条氏とつながりがあるという事は知っていた。向かいに小野屋があれば、関東の情報も得られるだろうと喜んで店を建てた。
安土の小野屋は相模(神奈川県)の漆器(シッキ)を中心に関東の様々な品を扱っている店だった。店の規模もそれ程大きくなく、主人の与兵衛もあまり目立つ男ではなかった。夢遊としても近所付き合いをする程度で、特に付き合いがあるわけでもなかった。
ところが、今年の三月、お澪がやって来ると夢遊はお澪に一目惚れしてしまった。毎日のように小野屋に出掛けて行き、お澪と会い、口説いていたが、そう簡単に落ちる娘ではなかった。小野屋の跡を継ぐだけあって、若いわりにはしっかりしていて、頭もよく、一筋縄では行かなかった。相手が手ごわいとなると夢遊はますます燃え、お澪に夢中になって行った。
「いつも、ありがとうございます」とお澪は丁寧に頭を下げた。
その流れるような黒髪から覗く、白いうなじが色っぽかった。
「いやいや、お澪殿に喜んでいただければ、わしはもう嬉しくてしょうがないんじゃ。それにしても、会いたかったわ」
夢遊はデレッとしながら、お澪に見とれていた。
「まあまあ、夢遊様、今度はどちらの方へ行かれたんですか?」
お澪は観音様のような笑みをたたえ、首をかしげて夢遊を見ていた。涼し気な千鳥模様の単衣がよく似合っていた。
「ナニ、ちょっと、播磨の方にな。この前、姫路に新しい店を出したんで、様子を見に行って来たんじゃ」
「姫路ですか。姫路というと羽柴(ハシバ)様(秀吉)のお城下ですよネ。夢遊様は羽柴様と仲がおよろしいようですわネ」
「まあな。何となく、奴とは気が合うんじゃ」
「もう長いんですか、お付き合いは?」
「いやいや、お付き合いという程じゃない。奴とはたまたま、京都の遊女屋で会って気が合ってのう‥‥‥ずっと、昔の事じゃ」
「まあ。今度、紹介して下さいな」
「おう、そんな事ならお易い御用じゃ」と夢遊は笑いながら言ったが、急に真顔になると、慌てて手を振り、「いや、ダメじゃ。絶対、ダメじゃ」と強い口調で言った。
「エッ、どうしてですの?」お澪は驚いて、身を引いた。
「女子(オナゴ)好きなんじゃ、奴は。そなたのようなベルダーデ(美人)を紹介するわけにはいかんわ」
「アラまあ、夢遊様だってお好きでしょうに」
「いやいや、そんな事はないぞ。わしは堅い事で通っておる」
「アラ、そうかしら? 池田町の祇園(ギオン、遊女屋)を買い切って大騒ぎしたっていう噂、ちゃんと聞いてますわよ」
「こいつはまいった。しかし、そんな馬鹿騒ぎをしたのは、とうの昔の事じゃ」
「いいえ、今年のお正月でしょ?」とお澪は睨んだ。
「あっ、そうだったか? とにかく、お澪殿が安土に来る前の事じゃ。お澪殿に会ってから、わしは心をすっかり入れ替えたんじゃ」
「そうなの? あたしのために無理なさらなくてもいいのに」
「無理などしてはおらん。わしはいつも自然体じゃ」
「そうネ、飄々(ヒョウヒョウ)としてるものネ」
「ところで、明日、出掛けるとか?」
「はい。ちょっと、伊勢のお店の方で問題が起きまして」
「そうか‥‥‥それで、いつ頃、お帰りに?」
「分かりません。なるべく早く、帰って来ようとは思ってますけど」
「ぜひ、早く帰って来て下され。お澪殿のいない安土なんて、天主のなくなった安土のようなもんじゃ。寂しすぎる」
「夢遊様、大袈裟すぎますわよ」
「いや、ほんとの事じゃ。ようやく、わしが帰って来たのに、今度は、お澪殿が出掛けてしまうとはの、運命のいたずらじゃな。デウス(神)様もけしからん事をするのう。そうじゃ、お澪殿、今晩、うちにお越し下され。精一杯、御馳走しますぞ」
お澪は笑いながら、首を振った。「いいえ。今晩はこちらで御用意いたしております」
「は?」
「夢遊様が今日、お帰りになる事は分かっておりましたので、お帰りをお待ちしていたのですよ」
「わしを待っていたと申すのか?」
「はい。しばらく、お会いできなくなりますものネ。今晩は、夢遊様の面白いお話をお聞きしたいと思いまして」
「おう、そうか、そいつはありがたい事じゃ」
夢遊はお澪の側まで近づいた。
「羽柴様の事などお聞かせ下さいませ」とお澪は夢遊の膝に手を置いた。
「奴の話などつまらん。もっと、面白い話をしよう」
「アラ、どんな?」
「そうじゃな。旅で聞いた面白い話が色々とあるんじゃ。色っぽいのがな」と夢遊は膝の上のお澪の手を取って握った。
「まあ、楽しみですわ。お膳の用意をさせますわネ」
「オブリガード(ありがとう)」
「デ・ナーダ(どういたしまして)」
「おや、お澪殿も南蛮の言葉を御存じか?」
「堺のお店にいた時、少し、覚えました。お客様に南蛮人がおりましたので」
「そうか。そいつは頼もしい」
「ほんのちょっとですよ」
「わしだって、ほんのちょっとじゃ。一度、南蛮人の女子を口説いてやろうと思って覚えたんじゃがの、南蛮人の女子はやって来んのじゃよ。でもな、南蛮の言葉をしゃべると若い女子にもてるんじゃ。ナニ、今はそんな事は全然しとらん。お澪殿一筋じゃ」
「まあまあ、夢遊様ったら、女子を口説くために覚えたんですか。あたしはまた、商売のためかと思ってましたわ」
「そいつは建前というものじゃ」
「面白い人ですネ、ほんとに。ところで、夢遊様、お食事の前に、お湯に入って汗を流した方がいいですわよ」
「おう、そうじゃった。お澪殿の顔を見たくて、旅支度のままじゃったわ。失礼いたした」
「旅支度も普段も、あまり、変わらないみたいですけど」
「まあ、そうじゃな。あまり、変わらんのう。変わった所と言えば、ひげが伸びたくらいかの」と夢遊は無精ひげを撫でた。
お澪は急に笑い出した。
「おかしいか?」
「おかしいわよ。すぐにお風呂の用意をさせますわ」
「いやいや、お澪殿にそこまでさせるわけにはいかん。遠くに帰るわけじゃなし、すぐ前じゃ。とにかく、着替えてから出直して来るわ」
「お待ちしております」
夢遊がニヤニヤしながら、我落多屋に戻ると藤兵衛がニヤニヤしながら待っていた。
「善次郎の事、分かりましたよ」と藤兵衛は小声で言った。
「ナニ、もう分かったのか? 早えのう」
「新五が待ってます」と藤兵衛は二階を示した。
「おう。そうだ、おさやに湯を沸かすように言ってくれ」
「風呂ですか?」
「まあな。夕飯を招待されたからな」
「お澪様に?」
「勿論じゃ、頼むぞ‥‥‥どうした、やけに嬉しそうじゃのう。何かあったのか?」
「いえ。このわしにも、春が来たようで」
「何を寝ぼけておる。今は真夏じゃ」
二階に行くと、職人の格好をした新五が欄干から身を乗り出して、遠眼鏡(トオメガネ)を覗いていた。
「面白え物が何か見えるのか?」と夢遊が言うと、新五は驚いて振り返った。
「あっ、大旦那様、どうも」
「ちょっと、貸してみろ」
夢遊は新五から遠眼鏡を受け取り、覗いて見た。小野屋の店がよく見えたが、店の裏にあるお澪のいる離れは見えなかった。
「そっちじゃないですよ」と新五は言った。
「どっちじゃ?」
「こっちです」
新五の言う方を覗くと、若い女が庭で行水をしている所が見えた。
「おおっ!」と夢遊は身を乗り出した。
庭は垣根に囲まれて、回りから見えないようになっているが、上からは丸見えだった。顔はよく見えないが、豊満な乳房がまるで目の前にあるかのようによく見えた。
「扇屋の後家(ゴケ)のおくにですよ」と新五が言った。
「ほう、扇屋の後家か‥‥‥なかなか、いい女子じゃねえか‥‥‥おめえ、どうして、名前まで知ってるんだ?」
「はい、ちょっと。後家にしておくのは勿体ねえと思いまして」
「うむ、でっけえオッパイじゃ。チョッカイ出してるのか?」
「まだまだ、これからです。やっと、この前、名前を聞いたばかりで‥‥‥」
「惚れたのか?」
「あの体を見たら、もう、たまりませんよ」
「そうじゃの、いい体じゃ‥‥‥まあ、頑張れや」
夢遊は遠眼鏡を新五に返した。
新五が遠眼鏡を覗くと、すでに後家の姿はなかった。新五は舌を鳴らすと、夢遊を見た。
夢遊は座敷に座って、ニヤッと笑い、「善次郎の事、何が分かった?」と聞いた。
「はい」と新五は夢遊の前にかしこまった。
「善次郎が殺されたのは十三日の夜です。一緒に鳴海(ナルミ)屋(遊女屋)の八嶋が殺されていました」
「八嶋が一緒に?」
「はい。善次郎は八嶋を妻にするために身請けしたそうです。ところが、身請けされて三日後に殺されてしまった。八嶋にすれば、遊女屋にいた方がよかったでしょうに」
「八嶋が死んだのか‥‥‥気立てのいい女子じゃったのにな‥‥‥可哀想な事をした」
夢遊はボーッとして、天主の方を眺めていた。
「大旦那様は八嶋と?」
「ああ、何度かな」
「今度、俺も連れてって下さいよ」
「そのうちな。一体、何者の仕業なんじゃ?」
「待って下さい。順を追って話します。まず、善次郎が殿様に呼ばれて、城内に入ったのは先月の半ばです。城内で仕事をしてましたが、今月の八日に仕事を終え、報酬を貰って家に帰って来てます」
「善次郎はずっと城内にいたのか?」
「はい。ずっと、城内に泊まり込んでいたようです」
「何をしてたのかは分からんのじゃな?」
「詳しい事は分かりませんが、近所の者たちの話では南蛮風な飾り付けをやっていたとか」
「飾り付けか、奴は彫り物もできるからの。南蛮風な彫り物を彫っていたのかもしれんな」
「ええ」
「八日に帰って来てから殺される十三日まで、何をしてたんじゃ?」
「帰って来たのは八日の夕方ですから、その日はそのまま寝てしまったようです。九日も疲れたと言って、家でゴロゴロしていたようですが、夜になると池田町に繰り出して、鳴海屋に泊まってます。次の日、八嶋を身請けして、八嶋を連れて孤児院に行き、娘と会ってます。その後、セミナリオに顔を出してから家に帰ってます。次の日、十一日にも善次郎はセミナリオに行ってます。新しく建てるオスピタルの事でパードレと相談していたようです」
「何じゃ、そのオスピタルと言うんは?」
「日本語に直すと病院とか。重い病(ヤマイ)の者たちを収容して、治す施設だそうです」
「ほう、オスピタルか‥‥‥」
「十二日と十三日は家に籠もったままです。オスピタルの図面を書いていたようです。そして、十三日の夜、何者かに殺されました」
「眠ってる所をやられたのか?」
「そのようです。善次郎も八嶋も一瞬のうちに首を斬られて即死。悲鳴も上げなかったようです」
「そうか‥‥‥それで、取られたのは金貨だけなのか?」
「家捜ししたようですが、他に金目の物はなかったようですね」
「やはり、物取りの仕業か‥‥‥」
「その可能性が高いです。善次郎が金貨を貰ったという事は近所中でも評判でしたから」
夢遊は無精ひげを撫でながら、小刻みにうなづいていた。
「オスピタルはどこに建てるんじゃ?」
「セミナリオの近くじゃないですか」
「そのオスピタルの事で殺されたわけじゃあるめえ。となるとやはり物取りか‥‥‥」
「城内で何か極秘の事をやっていて、口封じされたとも考えられますが、それなら、その仕事が終わった時点で殺されますよ。八日に城を出て、十三日の夜、殺されるまで、好き勝手にしてますからね」
「うむ、そうじゃの。だが、一応、奴が城内で何をやっていたのか調べてくれ。それと、もう一人の娘の方はどうなった?」
「ああ、ジュリアとかいう娘ですね。マリアがこの店に来た十六日に旅に出ました。行き先は今、調べてますが、まだ、分かりません」
「そうか‥‥‥とにかく、一度、マリアに会ってみるか」
「噂ではなかなかの別嬪らしいですよ」
「らしいの」
「あっ、忘れてました。そのマリアですが、勘八と一緒に京都に向かう途中、山伏に襲われたそうです。その後、その山伏は姿を現さないので、単なる物取りかもしれませんが、京都の方で調べてます」
「マリアが襲われたのか‥‥‥その山伏の目当てがマリアだとすれば、ジュリアの方も危険じゃな」
「そうなりますね」
「新五、すぐにジュリアを追ってくれ。娘まで殺させるわけにはいかん」
「はい、分かりました」と新五は遠眼鏡を持って立ち上がった。
部屋から出て行こうとして振り返り、「大旦那様、おくにに手を出さないで下さいよ」と言った。
「何を言ってるんじゃ、馬鹿たれが。わしにはお澪殿がおるわ。後家など興味ねえ」
「お願いしますよ」と新五は念を押すと出て行った。
夢遊は立ち上がると縁側に出て、扇屋を覗いた。おくにが尻をこちらに向けて、髪を洗っていた。
「おおっ!」と夢遊は身を乗り出して眺めた。
おくにが気づいて、振り返った。おくにと目が合い、夢遊は手を上げると、「セニョーラ、暑いのう」ととぼけた。
おくには慌てて、隠れてしまった。
夢遊は天主を見上げ、「さて、わしも湯に入るか」と二階から降りて行った。
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