織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
地獄絵
2
九月下旬、上野の西にある比自(ヒジ)山の砦に北伊賀の忍びが集まり、織田の大軍に対して最後の抵抗を始めた。砦には十一人の中忍(チュウニン)と呼ばれる旗頭と四十九(シジュウク)院の山伏たちを中心に、千人近くの忍びや武士と三千近くの女子供が立て籠もっていた。
対する織田方は丹羽軍、蒲生軍、堀軍の二万三千余りの兵が砦を完璧に包囲していた。
夢遊はその情報を聞くと仲間を集めて意見を聞いた。
「どう思う?」
「全滅じゃな」と使い番衆の頭、半兵衛が寝そべったまま言った。
半兵衛は新五や勘八の頭だった。半兵衛も伊賀にいた兄弟を失っていた。
「じゃろうな、クソッ」と孫兵衛が刀の柄をたたいた。
「しかし、黙って見てはいられません。せめて、女子供だけでも助けてやりたい」と彦一が皆の顔を見回した。
「敵に完全に包囲されてる中、女子供を助け出す事など不可能じゃ」と孫兵衛は吐き捨てた。
「しかし、何もせずに見ているわけにもいくめえ」と半兵衛が起き上がった。「身内の仇を討ってやらなくてはの」
「どうなるか分からんが、とにかく、比自山に行ってみるか?」と夢遊が言うと皆、力強くうなづいた。
負けると分かっていても、ジッとして状況を見守っているわけにはいかなかった。
「新五、おめえはここに残れ。もしもの事があったら京都に行って、宗仁に知らせろ」
「そんな、俺も連れて行って下さい。俺は伊賀者じゃないけど、あんな残酷なやり方を見て黙っていられません」
「よし、おめえも来い」
夢遊は忍び装束に身を固めて、伊賀出身の十一人の配下と新五を引き連れて、長田郷の比自山砦に向かった。
東と北を木津川に囲まれ、南側を平野川の流れる小高い山の上にある比自山砦は敵の大軍に囲まれ、容易に近づく事もできなかった。しかし、敵は夜になると伊賀者の奇襲を恐れて陣を後方に移動した。包囲網は広がり、あちこちに隙が現れた。
夢遊らは敵の隙間を通り抜け、山中に入った。あちこちに罠が仕掛けてあったが、一流の忍びばかりの夢遊たちには通じなかった。
砦は逆茂木(サカモギ)と土塁に囲まれ、あちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、四方にある櫓(ヤグラ)には弓と鉄砲を持った見張りが寝ずの番をしていた。
「お頭、どうする?」と半兵衛が小声で聞いた。
「忍び込めねえ事もねえが、騒ぎになるとまずい」と孫兵衛は言った。
「わしが名乗り出るわ」と夢遊は言った。
「お頭、それはまずい。相手は気が立ってる。話の分かる奴が出て来る前に殺されるかもしれん」
「落雷を使ったらどうでしょう?」と郷右衛門が言った。
「うむ。それで行くか」
郷右衛門は一人、闇の中に消えて行った。
他の者たちは砦の裏手へと回った。
しばらくして、地が裂けるかと思える程の轟音が響き渡り、砦の中は騒然となった。女たちは悲鳴を上げて逃げ回り、男たちは『何事じゃ?』と騒ぎながら、音のした方に駈け寄った。その隙に夢遊らは砦内に忍び込み、砦の本丸に入った。
本丸の屋敷内には主立った者が顔を揃えていた。
夢遊は悠々とその中に入って行くと、「脅かしてすまなかったのう。おぬしらと話がしたかったもんでのう」とよく通る声で言った。
「貴様、石川の五右衛門じゃな」と小具足(コグソク)姿の長田の源左衛門が太刀を抜いて怒鳴った。
「何の用じゃ? まさか、敵を手引きして来たんじゃあるめえの?」
源左衛門を初めとして、皆が夢遊を睨み、武器に手をやった。
夢遊は平気な顔して、皆の顔を眺め回した。
「違う。おぬしらと同じ、伊賀者として来た」
「わしらと共に戦うと言うのか? 信じられんわ」
「おぬしらはわしが盗っ人じゃと言って嫌ってるようじゃが、わしはおぬしらと敵対した事はねえはずじゃ。わしの仲間にも伊賀者はおる。今回の戦で身内を亡くし、信長の思い通りにされてたまるかと、こうしてやって来たんじゃ」
「信長の手先じゃねえんじゃな?」楯岡の道順がドングリ眼(マナコ)を見開いて言った。
「くどい」
源左衛門は夢遊の目をジッと睨んでいたが、「よし、信じよう」と太刀を納めた。
「今、伊賀はバラバラじゃ。盗っ人だのどうのと言ってる暇はねえ。ここが落ちれば、北伊賀は全滅じゃ。すでに、何万人もの人間が殺された。織田軍は虫ケラでも殺すつもりで人間を殺し、焚き火でもするつもりで家々を燃やしやがった。絶対に許せんのじゃ」
「これから、どうするつもりなんじゃ? 作戦を聞こう」
夢遊は源左衛門の前に座り込んだ。
「作戦も何もねえわ。敵は二万余り、味方は女子供を入れても三千五百じゃ。なるべく大勢の敵を道連れにして華々しく死ぬまでよ」
「なるべく大勢の敵を倒すのはいいがの、死んでは何にもならんわ。伊賀の国は焦土と化したとはいえ、なくなる事はねえ。生きてれば、また、戻って来られるんじゃ。それに、生き残った者たちがやらなけりゃならねえ事があるはずじゃ」
「やらなけりゃならん事? 何じゃそれは?」
「そこにいる小太郎が知っていよう」
源左衛門は新堂の小太郎を見た。
「信長の暗殺じゃ」と小太郎は吐き捨てるように答えた。
「そうじゃ。一流の忍びが皆、死んじまったら、誰が殺された者たちの仇を討つんじゃ? 潔く死ぬのは武士に任せておけばいい。わしらは忍びじゃ。忍びらしく戦って、忍びらしく消えるんじゃ。敵に屍(シカバネ)をさらす事などねえんじゃねえのか?」
「うーむ。確かにその通りじゃ」
源左衛門だけでなく、他の者たちも唸りながら、夢遊の意見に賛成した。
「そうじゃ、わしらは忍びじゃ。忍びは死ぬ時も忍びとして死ぬんが道理じゃ」と楯岡の道順が力強く、うなづいた。
「見渡した所、藤林長門の顔が見えんが」と夢遊は聞いた。
「湯舟の砦が落ちた後、長門守殿はどこかに消えちまったわ」と音羽の城戸が言った。
「逃げたのか?」
「そうは思いたくねえが、ここにいねえという事はそうなんじゃろう。裏切り者が多すぎるわ。以前、甲賀と伊賀は国境を挟んでいたが自由に行き来して、共に忍びの術の修行に励み、まるで兄弟のように付き合って来た。ところが、甲賀が信長の支配下に入ると伊賀は甲賀と敵対し、信長に逆らってばかり来た。信長に逆らうという点で伊賀者は団結していたが、信長の大軍が攻めて来るとその団結はどこに行ったのか、みんな、バラバラになっちまったわ。わしらは長門守殿を頭に仰いで信長と戦って来たというのに、長門守殿はいねえ。情けねえ事じゃ」
夢遊らが加わって活気づいた砦は昼夜を問わず、神出鬼没な奇襲攻撃を仕掛けて敵を悩ませた。そして、夜になると女や子供たちを少しづつ脱出させた。
九月二十九日に敵の総攻撃が行なわれたが、その頃には女子供を無事に逃がし、男たちは敵兵の後ろに回って奇襲を掛けていた。
織田軍は後ろの敵を追い払いながらジワジワと砦に攻め寄せ、数々の罠にはまって多くの兵を失いながら砦にたどり着いた。不気味に静まり返った砦を睨みながら鉄砲を撃ち、弓矢を放ち、掛け声と共に突撃すると砦の中には誰もいなかった。
丹羽五郎左衛門は歯噛みしながら悔しがり、蒲生忠三郎、堀久太郎に向かって、「いいか。上様には敵を皆殺しにして、この砦を落としたと告げるんじゃぞ」と怒鳴った。
蒲生も堀も、「かしこまりました」と力強くうなづいた。
比自山の砦を燃やした織田軍は名張に向かって南下して行った。名張の南の柏原の砦に南伊賀の忍びが籠もって戦っていた。伊賀、最後の砦であった。
夢遊らは比自山の砦が落ちると最後の砦、柏原へと向かった。家族を皆殺しにされた新堂の小太郎と楯岡の道順と四十九院の山伏、角之坊らが配下の者を率いて、夢遊に従ったが、半数以上の者たちは、やるだけの事はやったと言って大和の国へ落ちて行った。
柏原砦は北畠信雄を大将として、滝川左近、筒井順慶、羽柴藤吉郎より派遣された浅野弥兵衛らに率いられた二万三千の兵に囲まれていた。
角之坊の案内で険しい山中を通り、砦に入ると、やはり、ここにも大勢の女子供が籠もっていた。
比自山の砦には北伊賀の上忍、藤林長門守はいなかったが、ここには南伊賀の上忍(ジョウニン)、百地丹波守はいた。丹波守を中心に女子供を含めて五千人近くが籠もっていた。
丹波守は夢遊を見ると睨み、「何しに来た? 盗っ人に用はねえわ」と低い声で言った。
「ナニ、ちょっと遊びに来ただけじゃ」と夢遊はニヤリと笑った。
「そうか‥‥‥本来なら、さっさと帰れと怒鳴る所じゃが、見ての通り、この砦は大勢の見物人に囲まれておる。せっかく来たんじゃから、思う存分、遊んで行くがいい」
丹波守は白髪頭を撫でた。
「随分と物分かりがよくなったもんじゃな」
夢遊は意外な顔をして丹波守を見ていた。
「もう、伊賀も終わりよ。今更、おめえの事をどうのこうの言っても始まらねえわ。わしらがおめえの事を悪く言ったのは、伊賀の忍びを一つにまとめるのに、どうしても必要だったからじゃ。若え者たちをまとめるには、おめえに悪人になってもらわなけりゃならなかったんじゃ。おめえも伊賀者なら信長の兵を充分に楽しませてやる事じゃ」
丹波守は不敵に笑った。
比自山砦の攻撃軍も加わり、五万近くに膨れ上がった織田軍は柏原砦のある山の回りを埋め尽くした。しかし、砦の西から南にかけて低いが険しい山々が続き、完全に包囲するのは不可能だった。
夢遊らは山中に入り込んで来た織田軍を奇襲して混乱させ、山中から追い払った。そして、夜になると比自山の砦の時と同じように女子供を次々に逃がした。
織田軍も無理をしなかった。無理をして忍びにやられるよりは、遠巻きに包囲して兵糧(ヒョウロウ)攻めにする作戦に切り換えた。すでに伊賀の村々はすべて焼き尽くし、住民の半数以上を殺し、数百人の忍びが生き残ったとしても、かつての脅威は消え去った。今更、最後の砦を無理押しして損害を増やしたくはなかった。また、兵士たちも無残な殺戮に嫌気がさしていた。
初めの頃は『皆殺しにしろ!』の掛け声に兵士たちも意気込んでいたが、抵抗する事もできず、泣き叫びながら逃げ惑う人々を次々に殺して行く事に疑問を持って来た。これが戦なのか、武士のする事なのかと疑問を持って来た。それは、兵士たちを指揮する武将たちも同じ思いだった。一つの村を焼き払うと、また、次の村で同じ事をやる。毎日毎日、人殺しの繰り返しだった。口に出してこそ言わないが、皆、早く、伊賀の国から引き上げたいと思っていた。
女子供を無事に逃がした後、砦に残った伊賀者たちは織田軍相手に最後の花を咲かせて、散って行った。
信長が検分に来るとの情報を聞き、慌てて信雄が総攻撃を命じ、四方から砦に攻め寄せたが、砦はモヌケの殻だった。
夢遊らは一旦、飯道山の旅籠屋に戻った。
安土の我落多屋の手代、庄助と堺の我落多屋の手代、源太が戦死してしまい、長浜の我落多屋の主人、孫兵衛が左腕を失った。他の者たちは大した傷を負わなかったが、心の中には深い傷が残っていた。
どんなに大きな戦でも、あれ程、多くの死体が転がっている事はないだろう。わずか、一月の間に一つの国が消滅した。言葉では言い表せない程、残酷な殺戮を見て来た者たちの心の傷は深く、皆、無言のままだった。
夢遊らは敵の隙間を通り抜け、山中に入った。あちこちに罠が仕掛けてあったが、一流の忍びばかりの夢遊たちには通じなかった。
砦は逆茂木(サカモギ)と土塁に囲まれ、あちこちに篝火(カガリビ)が焚かれ、四方にある櫓(ヤグラ)には弓と鉄砲を持った見張りが寝ずの番をしていた。
「お頭、どうする?」と半兵衛が小声で聞いた。
「忍び込めねえ事もねえが、騒ぎになるとまずい」と孫兵衛は言った。
「わしが名乗り出るわ」と夢遊は言った。
「お頭、それはまずい。相手は気が立ってる。話の分かる奴が出て来る前に殺されるかもしれん」
「落雷を使ったらどうでしょう?」と郷右衛門が言った。
「うむ。それで行くか」
郷右衛門は一人、闇の中に消えて行った。
他の者たちは砦の裏手へと回った。
しばらくして、地が裂けるかと思える程の轟音が響き渡り、砦の中は騒然となった。女たちは悲鳴を上げて逃げ回り、男たちは『何事じゃ?』と騒ぎながら、音のした方に駈け寄った。その隙に夢遊らは砦内に忍び込み、砦の本丸に入った。
本丸の屋敷内には主立った者が顔を揃えていた。
夢遊は悠々とその中に入って行くと、「脅かしてすまなかったのう。おぬしらと話がしたかったもんでのう」とよく通る声で言った。
「貴様、石川の五右衛門じゃな」と小具足(コグソク)姿の長田の源左衛門が太刀を抜いて怒鳴った。
「何の用じゃ? まさか、敵を手引きして来たんじゃあるめえの?」
源左衛門を初めとして、皆が夢遊を睨み、武器に手をやった。
夢遊は平気な顔して、皆の顔を眺め回した。
「違う。おぬしらと同じ、伊賀者として来た」
「わしらと共に戦うと言うのか? 信じられんわ」
「おぬしらはわしが盗っ人じゃと言って嫌ってるようじゃが、わしはおぬしらと敵対した事はねえはずじゃ。わしの仲間にも伊賀者はおる。今回の戦で身内を亡くし、信長の思い通りにされてたまるかと、こうしてやって来たんじゃ」
「信長の手先じゃねえんじゃな?」楯岡の道順がドングリ眼(マナコ)を見開いて言った。
「くどい」
源左衛門は夢遊の目をジッと睨んでいたが、「よし、信じよう」と太刀を納めた。
「今、伊賀はバラバラじゃ。盗っ人だのどうのと言ってる暇はねえ。ここが落ちれば、北伊賀は全滅じゃ。すでに、何万人もの人間が殺された。織田軍は虫ケラでも殺すつもりで人間を殺し、焚き火でもするつもりで家々を燃やしやがった。絶対に許せんのじゃ」
「これから、どうするつもりなんじゃ? 作戦を聞こう」
夢遊は源左衛門の前に座り込んだ。
「作戦も何もねえわ。敵は二万余り、味方は女子供を入れても三千五百じゃ。なるべく大勢の敵を道連れにして華々しく死ぬまでよ」
「なるべく大勢の敵を倒すのはいいがの、死んでは何にもならんわ。伊賀の国は焦土と化したとはいえ、なくなる事はねえ。生きてれば、また、戻って来られるんじゃ。それに、生き残った者たちがやらなけりゃならねえ事があるはずじゃ」
「やらなけりゃならん事? 何じゃそれは?」
「そこにいる小太郎が知っていよう」
源左衛門は新堂の小太郎を見た。
「信長の暗殺じゃ」と小太郎は吐き捨てるように答えた。
「そうじゃ。一流の忍びが皆、死んじまったら、誰が殺された者たちの仇を討つんじゃ? 潔く死ぬのは武士に任せておけばいい。わしらは忍びじゃ。忍びらしく戦って、忍びらしく消えるんじゃ。敵に屍(シカバネ)をさらす事などねえんじゃねえのか?」
「うーむ。確かにその通りじゃ」
源左衛門だけでなく、他の者たちも唸りながら、夢遊の意見に賛成した。
「そうじゃ、わしらは忍びじゃ。忍びは死ぬ時も忍びとして死ぬんが道理じゃ」と楯岡の道順が力強く、うなづいた。
「見渡した所、藤林長門の顔が見えんが」と夢遊は聞いた。
「湯舟の砦が落ちた後、長門守殿はどこかに消えちまったわ」と音羽の城戸が言った。
「逃げたのか?」
「そうは思いたくねえが、ここにいねえという事はそうなんじゃろう。裏切り者が多すぎるわ。以前、甲賀と伊賀は国境を挟んでいたが自由に行き来して、共に忍びの術の修行に励み、まるで兄弟のように付き合って来た。ところが、甲賀が信長の支配下に入ると伊賀は甲賀と敵対し、信長に逆らってばかり来た。信長に逆らうという点で伊賀者は団結していたが、信長の大軍が攻めて来るとその団結はどこに行ったのか、みんな、バラバラになっちまったわ。わしらは長門守殿を頭に仰いで信長と戦って来たというのに、長門守殿はいねえ。情けねえ事じゃ」
夢遊らが加わって活気づいた砦は昼夜を問わず、神出鬼没な奇襲攻撃を仕掛けて敵を悩ませた。そして、夜になると女や子供たちを少しづつ脱出させた。
九月二十九日に敵の総攻撃が行なわれたが、その頃には女子供を無事に逃がし、男たちは敵兵の後ろに回って奇襲を掛けていた。
織田軍は後ろの敵を追い払いながらジワジワと砦に攻め寄せ、数々の罠にはまって多くの兵を失いながら砦にたどり着いた。不気味に静まり返った砦を睨みながら鉄砲を撃ち、弓矢を放ち、掛け声と共に突撃すると砦の中には誰もいなかった。
丹羽五郎左衛門は歯噛みしながら悔しがり、蒲生忠三郎、堀久太郎に向かって、「いいか。上様には敵を皆殺しにして、この砦を落としたと告げるんじゃぞ」と怒鳴った。
蒲生も堀も、「かしこまりました」と力強くうなづいた。
比自山の砦を燃やした織田軍は名張に向かって南下して行った。名張の南の柏原の砦に南伊賀の忍びが籠もって戦っていた。伊賀、最後の砦であった。
夢遊らは比自山の砦が落ちると最後の砦、柏原へと向かった。家族を皆殺しにされた新堂の小太郎と楯岡の道順と四十九院の山伏、角之坊らが配下の者を率いて、夢遊に従ったが、半数以上の者たちは、やるだけの事はやったと言って大和の国へ落ちて行った。
柏原砦は北畠信雄を大将として、滝川左近、筒井順慶、羽柴藤吉郎より派遣された浅野弥兵衛らに率いられた二万三千の兵に囲まれていた。
角之坊の案内で険しい山中を通り、砦に入ると、やはり、ここにも大勢の女子供が籠もっていた。
比自山の砦には北伊賀の上忍、藤林長門守はいなかったが、ここには南伊賀の上忍(ジョウニン)、百地丹波守はいた。丹波守を中心に女子供を含めて五千人近くが籠もっていた。
丹波守は夢遊を見ると睨み、「何しに来た? 盗っ人に用はねえわ」と低い声で言った。
「ナニ、ちょっと遊びに来ただけじゃ」と夢遊はニヤリと笑った。
「そうか‥‥‥本来なら、さっさと帰れと怒鳴る所じゃが、見ての通り、この砦は大勢の見物人に囲まれておる。せっかく来たんじゃから、思う存分、遊んで行くがいい」
丹波守は白髪頭を撫でた。
「随分と物分かりがよくなったもんじゃな」
夢遊は意外な顔をして丹波守を見ていた。
「もう、伊賀も終わりよ。今更、おめえの事をどうのこうの言っても始まらねえわ。わしらがおめえの事を悪く言ったのは、伊賀の忍びを一つにまとめるのに、どうしても必要だったからじゃ。若え者たちをまとめるには、おめえに悪人になってもらわなけりゃならなかったんじゃ。おめえも伊賀者なら信長の兵を充分に楽しませてやる事じゃ」
丹波守は不敵に笑った。
比自山砦の攻撃軍も加わり、五万近くに膨れ上がった織田軍は柏原砦のある山の回りを埋め尽くした。しかし、砦の西から南にかけて低いが険しい山々が続き、完全に包囲するのは不可能だった。
夢遊らは山中に入り込んで来た織田軍を奇襲して混乱させ、山中から追い払った。そして、夜になると比自山の砦の時と同じように女子供を次々に逃がした。
織田軍も無理をしなかった。無理をして忍びにやられるよりは、遠巻きに包囲して兵糧(ヒョウロウ)攻めにする作戦に切り換えた。すでに伊賀の村々はすべて焼き尽くし、住民の半数以上を殺し、数百人の忍びが生き残ったとしても、かつての脅威は消え去った。今更、最後の砦を無理押しして損害を増やしたくはなかった。また、兵士たちも無残な殺戮に嫌気がさしていた。
初めの頃は『皆殺しにしろ!』の掛け声に兵士たちも意気込んでいたが、抵抗する事もできず、泣き叫びながら逃げ惑う人々を次々に殺して行く事に疑問を持って来た。これが戦なのか、武士のする事なのかと疑問を持って来た。それは、兵士たちを指揮する武将たちも同じ思いだった。一つの村を焼き払うと、また、次の村で同じ事をやる。毎日毎日、人殺しの繰り返しだった。口に出してこそ言わないが、皆、早く、伊賀の国から引き上げたいと思っていた。
女子供を無事に逃がした後、砦に残った伊賀者たちは織田軍相手に最後の花を咲かせて、散って行った。
信長が検分に来るとの情報を聞き、慌てて信雄が総攻撃を命じ、四方から砦に攻め寄せたが、砦はモヌケの殻だった。
夢遊らは一旦、飯道山の旅籠屋に戻った。
安土の我落多屋の手代、庄助と堺の我落多屋の手代、源太が戦死してしまい、長浜の我落多屋の主人、孫兵衛が左腕を失った。他の者たちは大した傷を負わなかったが、心の中には深い傷が残っていた。
どんなに大きな戦でも、あれ程、多くの死体が転がっている事はないだろう。わずか、一月の間に一つの国が消滅した。言葉では言い表せない程、残酷な殺戮を見て来た者たちの心の傷は深く、皆、無言のままだった。
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