織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
抜け穴
1
夢遊らが柏原の砦で織田軍を相手に戦っていた頃、安土城下に珍しい男がやって来た。
山奥から迷い出て来た熊のような男が鉄砲をかついで、狼のようにウーウー唸りながら、天主をジッと見つめている。
秋晴れの青空の下、天主は神々しく輝いていた。
「すげえモンじゃのう、え?」と連れの者たちに振り返ると吠えた。
連れは三人の若い男と一人の若い娘だった。若い男はノッポとデブとチビの奇妙な組み合わせで、三人とも鉄砲だけでなく、太い竹竿(タケザオ)を束ねてかついでいた。毛皮を着込み、目を点にして、口をポカンと開けたまま、馬鹿面をして天主を見上げていた。
若い娘も毛皮を着込み、髪に青いリボンを結び、丈の短い着物を着て、腰に刀を差している。娘だけが天主を見ても驚くわけでもなく、キョロキョロと辺りを見回していた。
「眩しいのう」とノッポは目の上に手をかざしながら言った。
「本願寺の極楽より、信長の極楽の方が綺麗じゃのう」とチビは背伸びしながら言った。
「勝てるわけねえわ」とデブはつぶやいた。
「あの城の中に黄金が一万枚もあんのか?」と熊のような男は青いリボンの娘に聞いた。
「噂ではネ」と娘はうなづいた。
その娘はマリアそっくりだった。
熊のような男の名は鈴木孫一、通称、雑賀(サイカ)の孫一で知られた本願寺の鉄砲大将だった。マリアそっくりなのは当然、ジュリアである。
雑賀の騒ぎが一段落し、ジュリアから聞いた抜け穴の事を下調べするために、孫一は安土にやって来た。黄金一万枚を盗み取ってやろうと意気込んでやって来たが、琵琶湖上の船の上から天主を見ると、「すげえ! すげえ!」と連発し、これが信長の城かとただ感心するばかりだった。
孫一は信長の岐阜の城下は見た事があった。岐阜にも天主があったが、これ程、華麗なものではなかった。信長が新しい城下を安土に作ったという噂は聞いていたが大した事はないと決めつけていた。ところが、実際に天主を間近に見て、ハッキリ言って、腰を抜かしてしまう程、驚いた。
石山本願寺も華麗な建物だったが、信長の天主に比べたら、地味で古臭い感じがした。この天主は今、この世で一番新しく、一番素晴らしい建物だと孫一は思い、それを建てた信長という男の偉大さを認め始めていた。
今まで、信長は本願寺の敵だった。本願寺の門徒である孫一は、『打倒!信長』に命を懸けて来た。しかし、本願寺は信長に敗れてしまった。今の本願寺は大いなる敵を失い、不満や愚痴の飛び交う内部抗争に終始していた。孫一はそんな本願寺に愛想を尽かし始めていた。そんな時、信長の天主を見たのだった。その衝撃は大きかった。孫一は黄金を盗む事など忘れて、ただ、その美しさに見とれていた。
「ネエ、あそこのお団子、スッゴク、おいしいのよ。ネ、食べましょ」とジュリアが団子屋を指さして言った。
「ほんとか?」とデブが涎(ヨダレ)を拭きながら、孫一を見た。
「そういや、腹減ったのう。名物の団子でも食って行くか」
一行は団子屋の暖簾をくぐった。
孫一とジュリアが安土に現れた事は、ジュリアをずっと見張っていた伝吉によって我落多屋の藤兵衛に知らされた。藤兵衛はジュリアを孫一から奪い返せと銀次に命じた。
孫一は玉木町にある紀州屋という旅籠屋に入り、夜になるとノッポとチビの若者を連れて密かに抜け出し、天主へと向かった。
ジュリアが持っていた抜け穴の図面には抜け穴の入り口が書いてあった。半分で切られてあって出口は分からないが、天主の中だという見当は付いていた。
入り口は二の丸下、黒鉄(クロガネ)門の奥にある長谷川藤五郎の屋敷内にあった。図面には『ウラニワノコヤ』と書いてある。
孫一らは摠見寺の裏から山中に入り、長谷川屋敷の裏手の石垣をよじ登り、裏庭に侵入した。うまい具合に長谷川藤五郎は信長の供をして伊賀に行っていて留守だった。留守を守る者は当然いるが裏庭の警固は薄かった。
裏庭の隅に小さな小屋があった。それに違いないと孫一は調べてみたが、ただの物置で、抜け穴は見つからなかった。庭の中程に茶室があるだけで、他に小屋らしいものはない。
孫一は茶室の軒下を調べてみる事にした。軒下に入ろうとしたが、ふさがっていて入れない。こいつはおかしい、とよく調べてみた。茶室の畳を上げるとその下に直系三尺(約九十センチ)近くもある大きな穴が口を開いていた。
図面によれば、二間(ケン)半(約五メートル)程、下に降りると水平の穴がしばらく続き、二の丸の下辺りで、穴は真上に四間(約八メートル)程上がり、穴は水平になるが、そこから先は破れていて分からなかった。
穴には梯子(ハシゴ)が付いていて、簡単に下に降りる事ができた。降りた所は以外に広く、立ったまま歩ける程だった。孫一は松明(タイマツ)に火を点け、穴の中を照らした。
しばらく進むと水を溜めた池が五間程、続いていた。よく見ると足場があり、うまく、足場の上を飛んで行けば、向こうまで行く事ができるが、足場を踏み外すと池の中に落ちてしまう。池の中には尖った竹槍が並んでいるのが、かすかに見える。落ちれば間違いなく串刺しだった。図面にも池の事は描いてあったので、孫一はあらかじめ四尺に切った太い竹竿を十二本用意していた。
孫一は竹竿をつなぎ合わせると池の上に渡らせた。
チビで身の軽い与吉が松明を持って、竹竿の上をヒョイヒョイと渡って向こう側に行った。図面によれば、池の向こうにもう一つ、池があるはずだった。
「お頭、こっちの池には足場がありませんぜ」と与吉が言った。
「図面によるとな、そっちの池はこっちよりも短けえはずじゃ。竹竿を渡してみろ」
「へい」と与吉は竹竿を引っ張った。
「落ちるなよ。落ちたら、そのまま置いてくぞ」と喜六というノッポの若者が言った。
「こんな穴ん中で死にたかアねえわ。俺が死んだら、ジュリアが悲しむ」
「馬鹿言ってんじゃねえ。ジュリアがおめえなんか相手にするか。ジュリアは俺が貰う」
「おめえこそ、相手にされるか。馬面は嫌えだとよ」
「なんだと?」
「下らねえ事言ってねえで、さっさとしねえか」と孫一が怒鳴った。
「へい」与吉は竹竿を第二の池に渡した。
「お頭、届きましたぜ」
「よし、気を付けて行け」
足場がないため、竹竿はかなりしなって揺れたが、与吉は無事に渡り切った。
「なんとか、渡りました」
「よーし、次は仕掛けがあるぞ。横から弓矢が飛び出すはずじゃ。気を付けろよ」
「へーい」と与吉は松明で壁を照らしてみた。
「足元をよーく見ろ。紐か何か、張ってねえか?」
「アッ、あった、あった。細い紐が張ってあります」
「よーし。いいか、紐から離れて、刀の鐺(コジリ)でその紐を押してみろ」
「へーい」
与吉は池のすぐ側まで身を引いて、刀の鐺で紐を押してみた。ちょっと触れば、矢が飛んで来ると思ったが、少しぐらい押しても何も起こらなかった。何となく危険を感じた与吉は刀を腰に戻すと、竹竿を引っ張り、竹竿の先を紐に引っかけて思いきり押してみた。
ヒュッと風を切る鋭い音がして、与吉の目の前を矢が飛んで行き、ドスッと壁に突き刺さった。与吉は胸を撫で下ろして、壁を照らしてみると五本の矢が深く突き刺さっていた。
「おーい、大丈夫か?」と孫一が叫んだ。
「大丈夫でさア」と与吉は起き上がった。
「まだ、罠があるかもしれんぞ。気を付けて行け」
「へーい」
与吉は足元から頭上まで松明で照らしながら、少しづつ進んだ。他に罠はなかった。
「おーい、大丈夫か?」
「へーい、大丈夫です」
「おーい、その辺に長え板か何か置いてねえか? 信長が池を渡るために板切れがあるはずじゃが」
「へーい、ありました。頑丈そうなのが」
「よーし、そいつを持って来い」
与吉は長い板を池の所まで運び、第二の池をその板を使って渡ると最初の池に渡した。
孫一と喜六は、その板を使って二つの池を渡った。
壁に刺さっている矢を見ながら、孫一らは抜け穴を進んだ。しばらく進むと真上に穴が空いていた。
「真っすぐ行くと、どこに行くんですか?」と与吉が聞いた。
「さあな。図面が破れていて分からん」
「もしかしたら、こっちかもしれませんよ」と喜六が言った。
「かもしれん。じゃが、天主は上じゃ。とにかく、上に行くしかあるめえ。この先に落とし穴があるかもしれんからな」
孫一はさっき使った竹竿を一度ばらして、つなげながら真上の穴に差し入れた。七本つないだ所で上の天井にぶつかった。ここでまた、身の軽い与吉の出番だった。
与吉は竹竿をスイスイと登って行った。
上まで登ると松明に火を点け、辺りを照らし、「穴がふさがっていて、先には行けません」と言った。
「そうか、やっぱりな。図面もふさがってるように描いてあるわ。それより、そこに縄か何かねえか?」
「へい、あります。今、下ろします」
穴の中から縄梯子が落ちて来て、喜六の肩に当たった。
「痛えな、馬鹿野郎が!」喜六は怒鳴ったが、上から返事はなかった。
孫一と喜六は縄梯子を登って上に出た。与吉は天主と反対の方に行っていた。
「おめえ、方向音痴か。そっちじゃねえぞ」と孫一が言った。
「分かってますよ。ただ、光りが見えたんで調べてたんです」
「そいつは空気穴じゃ」
天主に行く方は頑丈な鉄の扉でふさがれてあった。押しても引いてもビクともしない。せっかく、ここまで来たのに、どうしようもなかった。内側からしっかりと鍵が掛けてあるに違いない。火薬を使えば簡単に開ける事はできるだろうが、穴が崩れるのも確実だった。
「お頭、どうします?」と喜六か聞いた。
「仕方ねえな。こいつが開けられなけりゃ、どうしょうもねえ‥‥‥成程、分かったぞ」
孫一は顎ひげを撫でながら鉄の扉を睨んだ。
「開け方が分かったんですか?」
「そうじゃねえ。どうして、図面の半ぺたを五右衛門の所に持って行ったかじゃ。五右衛門は一流の盗っ人じゃ。奴なら、この扉を開けられるのかもしれねえ。殺されたジュリアの親父はわしと五右衛門が協力して、黄金を盗むように細工したのかもしれねえな」
「成程、そうだったのか‥‥‥」と喜六は鉄の扉を見ながら、うなづいた。
「とりあえず、五右衛門に会うしかねえな」
「しかし、五右衛門と組んだら黄金を山分けにしなけりゃなんねえですよ」
「ナニ、利用するだけ利用して後は何とかなるさ」
「五右衛門を殺(ヤ)るんですか?」と与吉が二人の間に顔を出して聞いた。
「まあ、先の事は分からんが、この孫一はヘマな事はせん」
孫一らは抜け穴から出た。
信長に気付かれないように、縄梯子も壁から飛び出した弓矢も元に戻し、池を渡った板も元の位置に戻した。
旅籠屋に帰るとジュリアがいなかった。
デブの助丸が気絶したまま、ブザマに転がっていた。
喜六と与吉はジュリアを捜し出そうとしたが、孫一は放っておけと気にしなかった。
「もう、ジュリアに用ねえわ。ジュリアがいれば分け前をやらなきゃなんなかったが、消えてくれれば、その分助かる」
「ジュリアはいい女子(オナゴ)だったのに」と目を覚ました助丸は頭の後ろを撫でながら言った。
「誰かに襲われたなどと言いやがって、ほんとは、おめえ、ジュリアに襲い掛かって、反対にやられたんじゃねえのか?」与吉は助丸の胸倉をつかんだ。
「違いますよ。ジュリアに抱き着こうとしたら、後ろから誰かに殴られたんだ」
「この野郎が、抜け駆けなんかするからバチが当たったんだ」
与吉は助丸の顔を思いきり殴った。
「いてえ!」と叫びながら助丸は転がった。
「そうだ、この馬鹿野郎が」と喜六も助丸を蹴飛ばした。
「いてっ、兄貴、やめて下さいよ」助丸は頭を抱えて丸くなっていた。
「ジュリアの事はもう諦めろ。おめえらには悪いが、ジュリアは小太郎に惚れてるわ」
「あんなオヤジのどこがいいんだ?」と与吉は言って、助丸を蹴飛ばした。
「おめえらよりは頼りになる。まあ、せっかく、新しい都に来たんじゃからのう、都の女子でも抱いてみるか?」
「エッ、ほんとですか?」
喜六と与吉は顔を見合わせて喜んだ。助丸も目に涙を溜めながら喜んでいた。
「ああ。天主みてえな、凄え別嬪(ベッピン)がいるに違えねえ。ジュリアよりもいい女子がいるに違えねえぞ」
孫一らは威勢よく、池田町の遊女屋に繰り出して行った。
孫一の言う天主のような別嬪は『祇園(ギオン)』という遊女屋にいた唐糸(カライト)という名の十七の娘だった。目のクリッとしたあどけない顔の唐糸は雑賀辺りでは見られない、アカ抜けた上品な娘だった。孫一は熊のような顔を思いきり和らげ、馬鹿な事を言っては唐糸を喜ばせた。
三人の若者たちもそれぞれジュリアに代わる娘を見つけて、鼻の下を伸ばしてニヤけていた。
夢のような楽しい一夜を過ごした孫一らは上機嫌で我落多屋へと向かっていた。三人の若者たちはジュリアの事など忘れて、昨夜の遊女の事を語り合っていた。
「磯野のあの笑顔、たまんねえなア」と喜六は目をトロンとして言った。
「いやいや、伊勢の可愛さは誰にも負けねえわ。最高の女子だぜ」と与吉は夢見るように言った。
「初雪のおソソ(女陰)はよかったなア。もう一度、シャブリ付きてえなア」と助丸が言うと、喜六と与吉の平手が飛んで来た。
「おめえはマトモな事が言えねえのか。おめえみてえのがいるから、わしらが田舎モンだと馬鹿にされるんだ。アホッたれが」
「だって、兄貴だって、磯野のオッパイにシャブリ付きてえって言ったじゃないすか」
「オッパイはいいんだ」
「そんな‥‥‥」
孫一は三人の話を背中で聞きながら、唐糸の可愛い仕草を思い出してはニヤニヤしていた。
「ジュリアが言ってた我落多屋ってえのはアレですよ」と喜六が指差した。
孫一はうなづくと、我落多屋の暖簾をくぐった。
店内に山積みされたガラクタに驚き、こんな店に五右衛門がいるのかと怪しんだ。
帳場から番頭の久六が顔を出し、「いらっしゃいませ」と愛想笑いをして腰を屈めた。
「なんじゃ、この店は? このガラクタが売り物なのか?」
「はい。お気に入りの物がございましたら、どうぞ、お譲りいたします」
「馬鹿言うな。こんな物、買ってどうする」
孫一はガラクタを眺め回してから、フンと鼻を鳴らした。
「さようですか‥‥‥というと、何かお持ちになられたのですね?」
「は?」
「なかなか、素晴らしい鉄砲をお持ちで。よろしかったら、その鉄砲を買い取らせていただきますが」
「何を言う? こいつは売らんわ」
「というと、そのおめしになってる毛皮ですか?」
「違うわ。物を売りに来たんじゃねえ。人を捜しに来たんじゃ」
「は? 人捜しでしたら、奉行所の方へ」
「ここに行けば分かると聞いたんじゃ。石川五右衛門を捜しておる」
「石川五右衛門? あの盗賊の?」
「そうじゃ」
「困りますな。この前も若い娘がそう言ってやってまいりましたが、わたしどもは石川五右衛門の居場所など存じません。一体、誰がそんな噂を流してるんでしょう?」
「その若い娘というのはどうしたんじゃ?」
「はい。京都の方へ参りました。あそこにはうちの本店がございまして、そこに行けば分かるかもしれないと言っておきましたが」
「京都か‥‥‥京都に行けば、五右衛門の事が分かるのか?」
孫一はガラクタの中から古ぼけた小物入れを見つけて、手に取って眺めた。
「京都の店は古いですから、五右衛門が暴れていた頃の事は分かりますが、最近の事はどうでしょう。五右衛門が最近、京都にいるとは思えません」
「まあ、いいわ。その娘は京都におるんじゃな?」
「京都の店にしばらく、いたようですが、その後、堺の方に行ったようです」
「堺? 堺にも我落多屋があるのか?」
「はい」
孫一は小物入れを放り投げると、京都と堺の我落多屋の場所を聞いて帰って行った。
京都でも堺でもマリアと会えず、五右衛門の居場所も分からなかったが、孫一は気落ちする事なく、浮き浮きしながら雑賀に帰って行った。
孫一は玉木町にある紀州屋という旅籠屋に入り、夜になるとノッポとチビの若者を連れて密かに抜け出し、天主へと向かった。
ジュリアが持っていた抜け穴の図面には抜け穴の入り口が書いてあった。半分で切られてあって出口は分からないが、天主の中だという見当は付いていた。
入り口は二の丸下、黒鉄(クロガネ)門の奥にある長谷川藤五郎の屋敷内にあった。図面には『ウラニワノコヤ』と書いてある。
孫一らは摠見寺の裏から山中に入り、長谷川屋敷の裏手の石垣をよじ登り、裏庭に侵入した。うまい具合に長谷川藤五郎は信長の供をして伊賀に行っていて留守だった。留守を守る者は当然いるが裏庭の警固は薄かった。
裏庭の隅に小さな小屋があった。それに違いないと孫一は調べてみたが、ただの物置で、抜け穴は見つからなかった。庭の中程に茶室があるだけで、他に小屋らしいものはない。
孫一は茶室の軒下を調べてみる事にした。軒下に入ろうとしたが、ふさがっていて入れない。こいつはおかしい、とよく調べてみた。茶室の畳を上げるとその下に直系三尺(約九十センチ)近くもある大きな穴が口を開いていた。
図面によれば、二間(ケン)半(約五メートル)程、下に降りると水平の穴がしばらく続き、二の丸の下辺りで、穴は真上に四間(約八メートル)程上がり、穴は水平になるが、そこから先は破れていて分からなかった。
穴には梯子(ハシゴ)が付いていて、簡単に下に降りる事ができた。降りた所は以外に広く、立ったまま歩ける程だった。孫一は松明(タイマツ)に火を点け、穴の中を照らした。
しばらく進むと水を溜めた池が五間程、続いていた。よく見ると足場があり、うまく、足場の上を飛んで行けば、向こうまで行く事ができるが、足場を踏み外すと池の中に落ちてしまう。池の中には尖った竹槍が並んでいるのが、かすかに見える。落ちれば間違いなく串刺しだった。図面にも池の事は描いてあったので、孫一はあらかじめ四尺に切った太い竹竿を十二本用意していた。
孫一は竹竿をつなぎ合わせると池の上に渡らせた。
チビで身の軽い与吉が松明を持って、竹竿の上をヒョイヒョイと渡って向こう側に行った。図面によれば、池の向こうにもう一つ、池があるはずだった。
「お頭、こっちの池には足場がありませんぜ」と与吉が言った。
「図面によるとな、そっちの池はこっちよりも短けえはずじゃ。竹竿を渡してみろ」
「へい」と与吉は竹竿を引っ張った。
「落ちるなよ。落ちたら、そのまま置いてくぞ」と喜六というノッポの若者が言った。
「こんな穴ん中で死にたかアねえわ。俺が死んだら、ジュリアが悲しむ」
「馬鹿言ってんじゃねえ。ジュリアがおめえなんか相手にするか。ジュリアは俺が貰う」
「おめえこそ、相手にされるか。馬面は嫌えだとよ」
「なんだと?」
「下らねえ事言ってねえで、さっさとしねえか」と孫一が怒鳴った。
「へい」与吉は竹竿を第二の池に渡した。
「お頭、届きましたぜ」
「よし、気を付けて行け」
足場がないため、竹竿はかなりしなって揺れたが、与吉は無事に渡り切った。
「なんとか、渡りました」
「よーし、次は仕掛けがあるぞ。横から弓矢が飛び出すはずじゃ。気を付けろよ」
「へーい」と与吉は松明で壁を照らしてみた。
「足元をよーく見ろ。紐か何か、張ってねえか?」
「アッ、あった、あった。細い紐が張ってあります」
「よーし。いいか、紐から離れて、刀の鐺(コジリ)でその紐を押してみろ」
「へーい」
与吉は池のすぐ側まで身を引いて、刀の鐺で紐を押してみた。ちょっと触れば、矢が飛んで来ると思ったが、少しぐらい押しても何も起こらなかった。何となく危険を感じた与吉は刀を腰に戻すと、竹竿を引っ張り、竹竿の先を紐に引っかけて思いきり押してみた。
ヒュッと風を切る鋭い音がして、与吉の目の前を矢が飛んで行き、ドスッと壁に突き刺さった。与吉は胸を撫で下ろして、壁を照らしてみると五本の矢が深く突き刺さっていた。
「おーい、大丈夫か?」と孫一が叫んだ。
「大丈夫でさア」と与吉は起き上がった。
「まだ、罠があるかもしれんぞ。気を付けて行け」
「へーい」
与吉は足元から頭上まで松明で照らしながら、少しづつ進んだ。他に罠はなかった。
「おーい、大丈夫か?」
「へーい、大丈夫です」
「おーい、その辺に長え板か何か置いてねえか? 信長が池を渡るために板切れがあるはずじゃが」
「へーい、ありました。頑丈そうなのが」
「よーし、そいつを持って来い」
与吉は長い板を池の所まで運び、第二の池をその板を使って渡ると最初の池に渡した。
孫一と喜六は、その板を使って二つの池を渡った。
壁に刺さっている矢を見ながら、孫一らは抜け穴を進んだ。しばらく進むと真上に穴が空いていた。
「真っすぐ行くと、どこに行くんですか?」と与吉が聞いた。
「さあな。図面が破れていて分からん」
「もしかしたら、こっちかもしれませんよ」と喜六が言った。
「かもしれん。じゃが、天主は上じゃ。とにかく、上に行くしかあるめえ。この先に落とし穴があるかもしれんからな」
孫一はさっき使った竹竿を一度ばらして、つなげながら真上の穴に差し入れた。七本つないだ所で上の天井にぶつかった。ここでまた、身の軽い与吉の出番だった。
与吉は竹竿をスイスイと登って行った。
上まで登ると松明に火を点け、辺りを照らし、「穴がふさがっていて、先には行けません」と言った。
「そうか、やっぱりな。図面もふさがってるように描いてあるわ。それより、そこに縄か何かねえか?」
「へい、あります。今、下ろします」
穴の中から縄梯子が落ちて来て、喜六の肩に当たった。
「痛えな、馬鹿野郎が!」喜六は怒鳴ったが、上から返事はなかった。
孫一と喜六は縄梯子を登って上に出た。与吉は天主と反対の方に行っていた。
「おめえ、方向音痴か。そっちじゃねえぞ」と孫一が言った。
「分かってますよ。ただ、光りが見えたんで調べてたんです」
「そいつは空気穴じゃ」
天主に行く方は頑丈な鉄の扉でふさがれてあった。押しても引いてもビクともしない。せっかく、ここまで来たのに、どうしようもなかった。内側からしっかりと鍵が掛けてあるに違いない。火薬を使えば簡単に開ける事はできるだろうが、穴が崩れるのも確実だった。
「お頭、どうします?」と喜六か聞いた。
「仕方ねえな。こいつが開けられなけりゃ、どうしょうもねえ‥‥‥成程、分かったぞ」
孫一は顎ひげを撫でながら鉄の扉を睨んだ。
「開け方が分かったんですか?」
「そうじゃねえ。どうして、図面の半ぺたを五右衛門の所に持って行ったかじゃ。五右衛門は一流の盗っ人じゃ。奴なら、この扉を開けられるのかもしれねえ。殺されたジュリアの親父はわしと五右衛門が協力して、黄金を盗むように細工したのかもしれねえな」
「成程、そうだったのか‥‥‥」と喜六は鉄の扉を見ながら、うなづいた。
「とりあえず、五右衛門に会うしかねえな」
「しかし、五右衛門と組んだら黄金を山分けにしなけりゃなんねえですよ」
「ナニ、利用するだけ利用して後は何とかなるさ」
「五右衛門を殺(ヤ)るんですか?」と与吉が二人の間に顔を出して聞いた。
「まあ、先の事は分からんが、この孫一はヘマな事はせん」
孫一らは抜け穴から出た。
信長に気付かれないように、縄梯子も壁から飛び出した弓矢も元に戻し、池を渡った板も元の位置に戻した。
旅籠屋に帰るとジュリアがいなかった。
デブの助丸が気絶したまま、ブザマに転がっていた。
喜六と与吉はジュリアを捜し出そうとしたが、孫一は放っておけと気にしなかった。
「もう、ジュリアに用ねえわ。ジュリアがいれば分け前をやらなきゃなんなかったが、消えてくれれば、その分助かる」
「ジュリアはいい女子(オナゴ)だったのに」と目を覚ました助丸は頭の後ろを撫でながら言った。
「誰かに襲われたなどと言いやがって、ほんとは、おめえ、ジュリアに襲い掛かって、反対にやられたんじゃねえのか?」与吉は助丸の胸倉をつかんだ。
「違いますよ。ジュリアに抱き着こうとしたら、後ろから誰かに殴られたんだ」
「この野郎が、抜け駆けなんかするからバチが当たったんだ」
与吉は助丸の顔を思いきり殴った。
「いてえ!」と叫びながら助丸は転がった。
「そうだ、この馬鹿野郎が」と喜六も助丸を蹴飛ばした。
「いてっ、兄貴、やめて下さいよ」助丸は頭を抱えて丸くなっていた。
「ジュリアの事はもう諦めろ。おめえらには悪いが、ジュリアは小太郎に惚れてるわ」
「あんなオヤジのどこがいいんだ?」と与吉は言って、助丸を蹴飛ばした。
「おめえらよりは頼りになる。まあ、せっかく、新しい都に来たんじゃからのう、都の女子でも抱いてみるか?」
「エッ、ほんとですか?」
喜六と与吉は顔を見合わせて喜んだ。助丸も目に涙を溜めながら喜んでいた。
「ああ。天主みてえな、凄え別嬪(ベッピン)がいるに違えねえ。ジュリアよりもいい女子がいるに違えねえぞ」
孫一らは威勢よく、池田町の遊女屋に繰り出して行った。
孫一の言う天主のような別嬪は『祇園(ギオン)』という遊女屋にいた唐糸(カライト)という名の十七の娘だった。目のクリッとしたあどけない顔の唐糸は雑賀辺りでは見られない、アカ抜けた上品な娘だった。孫一は熊のような顔を思いきり和らげ、馬鹿な事を言っては唐糸を喜ばせた。
三人の若者たちもそれぞれジュリアに代わる娘を見つけて、鼻の下を伸ばしてニヤけていた。
夢のような楽しい一夜を過ごした孫一らは上機嫌で我落多屋へと向かっていた。三人の若者たちはジュリアの事など忘れて、昨夜の遊女の事を語り合っていた。
「磯野のあの笑顔、たまんねえなア」と喜六は目をトロンとして言った。
「いやいや、伊勢の可愛さは誰にも負けねえわ。最高の女子だぜ」と与吉は夢見るように言った。
「初雪のおソソ(女陰)はよかったなア。もう一度、シャブリ付きてえなア」と助丸が言うと、喜六と与吉の平手が飛んで来た。
「おめえはマトモな事が言えねえのか。おめえみてえのがいるから、わしらが田舎モンだと馬鹿にされるんだ。アホッたれが」
「だって、兄貴だって、磯野のオッパイにシャブリ付きてえって言ったじゃないすか」
「オッパイはいいんだ」
「そんな‥‥‥」
孫一は三人の話を背中で聞きながら、唐糸の可愛い仕草を思い出してはニヤニヤしていた。
「ジュリアが言ってた我落多屋ってえのはアレですよ」と喜六が指差した。
孫一はうなづくと、我落多屋の暖簾をくぐった。
店内に山積みされたガラクタに驚き、こんな店に五右衛門がいるのかと怪しんだ。
帳場から番頭の久六が顔を出し、「いらっしゃいませ」と愛想笑いをして腰を屈めた。
「なんじゃ、この店は? このガラクタが売り物なのか?」
「はい。お気に入りの物がございましたら、どうぞ、お譲りいたします」
「馬鹿言うな。こんな物、買ってどうする」
孫一はガラクタを眺め回してから、フンと鼻を鳴らした。
「さようですか‥‥‥というと、何かお持ちになられたのですね?」
「は?」
「なかなか、素晴らしい鉄砲をお持ちで。よろしかったら、その鉄砲を買い取らせていただきますが」
「何を言う? こいつは売らんわ」
「というと、そのおめしになってる毛皮ですか?」
「違うわ。物を売りに来たんじゃねえ。人を捜しに来たんじゃ」
「は? 人捜しでしたら、奉行所の方へ」
「ここに行けば分かると聞いたんじゃ。石川五右衛門を捜しておる」
「石川五右衛門? あの盗賊の?」
「そうじゃ」
「困りますな。この前も若い娘がそう言ってやってまいりましたが、わたしどもは石川五右衛門の居場所など存じません。一体、誰がそんな噂を流してるんでしょう?」
「その若い娘というのはどうしたんじゃ?」
「はい。京都の方へ参りました。あそこにはうちの本店がございまして、そこに行けば分かるかもしれないと言っておきましたが」
「京都か‥‥‥京都に行けば、五右衛門の事が分かるのか?」
孫一はガラクタの中から古ぼけた小物入れを見つけて、手に取って眺めた。
「京都の店は古いですから、五右衛門が暴れていた頃の事は分かりますが、最近の事はどうでしょう。五右衛門が最近、京都にいるとは思えません」
「まあ、いいわ。その娘は京都におるんじゃな?」
「京都の店にしばらく、いたようですが、その後、堺の方に行ったようです」
「堺? 堺にも我落多屋があるのか?」
「はい」
孫一は小物入れを放り投げると、京都と堺の我落多屋の場所を聞いて帰って行った。
京都でも堺でもマリアと会えず、五右衛門の居場所も分からなかったが、孫一は気落ちする事なく、浮き浮きしながら雑賀に帰って行った。
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目次
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