織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
山の砦
1
おつたに連れられて、マリアと勘八は安土の北東にある霊仙山(リョウセンザン)の山中へと入って行った。
「ネエ、どこ、行くの?」と薄暗い山道を見上げながら、マリアが聞いた。
「お頭の所に決まってるでしょ」とおつたはサッサと山道を登って行った。
「どうして、五右衛門様はこんな山の中にいるの?」
「盗っ人が町中にいるわけないでしょ」
おつたの言う事はもっともだが、マリアは何となく不安になっていた。
「奴に捕まったら、終わりじゃ、ヒッヒッヒ」と言った夢遊の言葉が思い出された。
盗賊一味の荒くれ男どもに囲まれて、乱暴されるのではないかと恐ろしくなった。
マリアは急に足を止めると、後ろから来る勘八を振り返った。
「大丈夫だよ」と勘八は自信ありげに言ったが、勘八一人で盗賊を相手に逃げられるとは思えなかった。
「お前の事は俺が命懸けで守る。それに、石川五右衛門はお前の親父さんの事を知ってるんだろ。大丈夫だよ」
「そうネ、大丈夫よネ」とマリアは自分に言い聞かせた。
勘八はマリアの手を引くと、おつたの後を追って行った。
道がなくなっても、おつたは草をかき分けて、どんどん登って行った。
ここまで来たら、もうどこまでも付いて行ってやるとマリアは覚悟を決め、汗を拭きながら後を追った。
途中、危険な岩場があった。おつたは身が軽く、ヒョイヒョイと岩をよじ登って行った。マリアは負けるものかと必死になって岩にしがみついた。
「あんた、なかなか、やるじゃない」とおつたは笑った。
「五右衛門様に会うためなら、こんな事くらい‥‥‥」マリアは額の汗を拭うと岩壁を見上げた。
「もうすぐよ」
岩場を抜けると後は比較的平坦な道が続いた。しばらく行くと鬱蒼(ウッソウ)とした木立の中に、空堀と土塁に囲まれた砦が現れた。まさに、大盗賊、石川五右衛門の砦を思わせる不気味さが漂っていた。
「この中に、五右衛門様がいるのネ」とマリアはポツリとつぶやいた。
おつたが門の前で、「ピピッピ、ピーピー」と口笛を鳴らすと、土塁の上に若い男が顔を出し、「おつたか?」と聞いてきた。
「お土産、持って来たわ」とおつたは言った。
「よくやった」と若い男はマリアをチラッと見てから消えた。
しばらくして、分厚い門扉(モンピ)が開いた。
土塁に囲まれた中は以外に広く、若者たちが武術の稽古に励んでいた。
土塁から顔を出した男が、「おつた、お頭が待ってる」と言って、右側にある屋敷を顎(アゴ)で示した。
その男は猟師の格好をして鉄砲を持ち、ニヤニヤしながら、マリアを眺めていた。
おつたはうなづき、マリアと勘八を屋敷に案内した。
屋敷の中は薄暗く、奥の部屋に人影が見えた。
おつたはマリアと勘八を手前の部屋に座らせると、奥の人影に声を掛けた。
「あれが五右衛門様なの?」とマリアは人影をジッと見つめた。
黒っぽい帷子(カタビラ)を着て、文机(フヅクエ)に向かっているようだった。後ろ姿は逞しく、マリアが想像していた通りの五右衛門だった。
「おう、無事じゃったか?」と低い声で言うと五右衛門はゆっくりと振り返った。
期待と不安に揺れながら、マリアは五右衛門の顔を見つめた。その顔を見て、今にも悲鳴を上げそうになる程、驚いた。
目の前のいるのは、我落多屋の大旦那、夢遊に間違いなかった。
マリアは気を落ち着けると、「どうして、夢遊様がこんな所に?」と聞いた。
「わしがお前の捜していた石川五右衛門じゃ」と夢遊はハッキリと言って、こっちの部屋に入って来た。
マリアの前に座り込むと、「しばらくじゃったな」と笑った。
「なによ、これ。信じられない」とマリアは勘八を見た。
勘八はマリアに向かって、うなづいた。
「あなた、あたしを騙してたのネ? みんなして、あたしを騙してたんだ、モウ。みんな、信じられない」
「別に騙していたわけじゃないのよ」とおつたが言った。「あなたを盗っ人の世界に引き込みたくなかっただけよ。あなたが思っている以上に、この世界は残酷なの」
「わしは夢遊のままでいるつもりじゃった」と夢遊こと五右衛門は言った。「五右衛門捜しなど諦めてもらうつもりでいた。親父の仇討ちの事もな」
「いいえ。あたしは諦めないモン、絶対に諦めないモン」マリアは強い口調で言った。
「その事は後で考えるとして、お前をここに連れて来たのはお前の身を守るためじゃ」
「あたしの身を?」
「うむ。あれから、わしもお前の親父の死を調べてみた。初めは単なる物取りの仕業じゃと思ってたが、どうやら、そんな生易しいもんではなさそうじゃ。お前の親父を殺したのは何者かに雇われた浪人者じゃった」
「浪人者? 何者って誰なの?」
「まだ、分からん。その何者かはお前の親父を殺しただけでは飽き足らず、お前ら姉妹まで殺そうとした」
「エッ、あたしたちを?」
「高槻でジュリアは殺された」
「まさか‥‥‥そんな‥‥‥」マリアは口を手で押さえて、五右衛門をジッと見つめた。
「幸い、人違いで済んだ。それも雇われた山伏の仕業じゃ。そいつらはジュリアの顔を知らなかったんじゃろう。同じ名前の若い娘が手籠めにされた上で殺され、河原に捨てられた。一歩間違ってれば、それはお前の妹、ジュリアじゃったかもしれん。その後、お前が高槻に行った時も奴らはお前を狙っていたが、わしの手下に捕まった」
「あたしが来るのを待ってたの? 高槻で」
五右衛門はうなづいた。
「その山伏たちも編み笠を被った侍に雇われたというだけで、何も知らん。お前らの命を狙ってるのが何者かは分からんが、お前らがまだ、生きてる事を知れば、必ず、命を狙うじゃろう。その何者かを突き止めるまでは、お前にはここにいてもらう事にする」
「そんな‥‥‥」
「まだ、死にたくはあるまい」
「でも‥‥‥こんな山の中で、あたしに何をしろって言うのよ」
「しばらくは辛抱せい。ジュリアはどこに行ったんじゃ?」
マリアは首を振った。
「ジュリアも危険なんじゃぞ」
「だって、ほんとに知らないんだモン。高槻に帰ってるはずなのよ。自分が狙われてる事を知って、どこかに隠れてるんじゃないの」
「どこに?」
「知らないったら」
「まあ、いいじゃろ。ところで、お前の親父は安土の天主の図面を書いたそうじゃの?」
マリアはうつむいてから、顔を上げると、「五右衛門様、お父様の仇を討ってくれると約束してくれたら、みんな、話すよ」と言って、口を堅く結んだ。
「うむ、約束しよう」
「ほんと?」
「ああ。やり方が汚な過ぎるからな。仇は必ず、討ってやる」
「さすが、五右衛門様。お父様が言ってた通りの人だった」
マリアは喜んで、勘八の方を見た。
勘八も嬉しそうに笑っていたが、マリアは、「嘘つき!」と言って、フンと鼻を鳴らした。
「善次郎は何と言っていた?」と五右衛門が聞いた。
「五右衛門様はただの盗っ人じゃない。やり方は手荒いけど世直しをしてるんだって」
「まあ、そういう事じゃ。善次郎は、わしの事を理解してくれておったわ。さあ、全部、隠さず話してくれ」
マリアは荷物をほどくと中から紙包みの束を出し、五右衛門に渡した。
「お父様は殺される三日前、もしも、わしに何かあったら、それを持って五右衛門様の所に行けって言ったの。その人どこにいるのって聞くと、我落多屋さんで聞けば分かるって言ったのよ。その時、我落多屋さんの大旦那様が五右衛門様だって言ってくれれば、こんな苦労しなかったのに。お父様も一言足りないよ」
五右衛門は紙束をほどいて広げて眺めた。安土城の天主の図面は一番上にあった。
「それが殺された原因でしょ?」と勘八が身を乗り出した。
「いや」と五右衛門は首を振った。「こんな図面を書いたからといって、殺されるとは思えんな」
「どうしてです? 安土城の天主の図面ですよ」
「信長はな、気にいった客が来ると自慢気に天主を見せて歩くんが好きなんじゃ。現に、わしも天王寺屋の旦那と一緒に、隅から隅まで見せてもらったわ。この四階にある黄金の山も拝ませてもらった。多分、善次郎も信長の案内で天主の中を見て歩いたんじゃろう。あの天主は素晴らしい建物じゃ。大工の善次郎なら、見取り図を書くのは当然の事じゃ。見取り図を書いたからといって、まさか、殺すような事はあるまい」
「そうですか‥‥‥でも、これがもし、敵に渡ったら大変な事になりますよ」
「いや。この図面を見たからといって、あの天主には簡単に忍び込めはせん。守りは厳重じゃ。それとな、あの安土の城はな、今までの城とは全然、違うんじゃよ。本来、城というものは戦をするために作る。敵が攻めて来た場合、守り易く、攻め易いように作るもんじゃ。ところがあの城は違う。大手門から二の丸まで広い道がずうっと続いておる。二の丸の下には今、立派な寺を建てている。もうすぐ、完成するらしいが、信長はその寺に一般の者たちが大勢、参拝に来る事を願ってるんじゃ。という事は二の丸の下まで、誰でもが自由に行き来できるという事なんじゃ。もし、敵の大軍が攻めて来たら、あんな城はすぐに落ちてしまうじゃろう。信長はな、安土の城に敵が攻めて来る事はあるまいとの絶対の自信を持って、あの城を建てたんじゃよ。実際に、今の信長の敵は遥か彼方にいるからな。信長があの城を建てたのは自分の力というものを世間に見せつけるためなんじゃ。あの華麗な天主を見れば、田舎の大名たちは腰を抜かしてしまうじゃろう。信長は安土城の素晴らしさを宣伝してもらうために、京や堺の商人たちに城内を見せびらかしているんじゃ。商人たちはあっちこっちに行って、天主の中がどうなっているのかを話す事じゃろう。山のようにある黄金の事もな。信長にとって天主の内部がどうなってるかなんて、秘密にしておくべきものでもなんでもねえんじゃ。あの城の役目は敵の攻撃から守るのではなく、ただ、信長自身の命を守るために作られたといってもいい」
「信長自身の命を守るため?」とマリアがよく分からないという顔をして聞いた。
「そうじゃ。大軍を率いて安土まで攻めて来る者などおらん。安土にたどり着く前に信長の家臣たちにやられてしまうからの。しかし、信長に滅ぼされた残党どもはひそかに信長の命を狙っている。それは信長自身が一番知っている。何度も暗殺されかかったからな。信長が恐れているのは忍びじゃ。忍びから身を守るために、あの天主に隠れているんじゃよ。信長は忍びが絶対に忍び込めねえように、あの天主を作ったんじゃ」
「天主には絶対に忍び込めないんですか?」とおつたが聞いた。
「うむ、難しい。わしも案内された時、色々と考えてみたが不可能じゃと思ったわ」
「そうなんですか‥‥‥」
「五右衛門様でも、安土の天主には忍び込めないの?」とマリアが聞いた。
「残念じゃがな‥‥‥そういう事じゃ。善次郎が殺された原因はこの図面じゃねえ」
「さすがネ」とマリアが手を上げた。
「まだ、何か隠しておるな?」と五右衛門はマリアの目を見つめた。
マリアは帯の中から布切れにくるまれた紙切れを出して、五右衛門に渡した。
「本当はそれなの。お父様が五右衛門様に見せろと言ったのは」
紙切れを広げて見ると道のようなものが書いてあったが、左半分が切られていた。
「安土の天主の抜け穴よ」とマリアは言った。
「ナニ、抜け穴‥‥‥」五右衛門は紙切れをジッと見つめた。
「成程、天主の下に穴を掘ったのか‥‥‥二の丸の下を通ってるようじゃが、左側の図がなければ、どこに通じてるのか分からんな。こっち側はどうしたんじゃ?」
「ジュリアが持ってるよ」
「なんじゃと? ジュリアはどこじゃ?」
マリアは首を振った。
勘八が紙切れを覗き込んでいたので、五右衛門は勘八に渡した。
「知ってるはずじゃ。全部、話すんじゃなかったのか?」
「お父様は殺される前、その紙切れをあたしとジュリアに半分づつ渡して、もしもの事があったら、五右衛門様にその紙を見せろと言ったの。でも、ジュリアは盗賊なんか信じられないって高槻に帰っちゃったのよ」
「善次郎は城内で抜け穴を掘っていたのか?」
「違うよ。お父様は最後の仕上げをしただけだって言ってた」
「最後の仕上げ?」
「そう言っただけ。何をしてたのか教えてくれなかったの」
「お前の親父さんは、この抜け穴を使って、お頭に天主に忍び込めって言ったのか?」と勘八が聞いた。
マリアはうなづいた。
「わしに黄金を盗ませる気じゃったのか?」
「お父様はお殿様から仕事を頼まれた時、何かイヤな予感がするって言ってた。行きたくなかったけど、自分の腕を認めてくれたのに断る事はできないって、お城に行ったの。お父様がいつまでも帰って来ないんで、あたし、心配だった。もしかしたら、殺されてしまったんじゃないかって思ったよ。でも、お父様は無事に仕事を終えて戻って来たの。あたし、ほんとにホッとしたよ。お父様は遊女を身受けして、妻にすると言っていい気になってたけど、ほんとは、お殿様の事を恐れてたの。抜け穴の仕事に関わってしまったため、いつか、お殿様に殺されるかもしれないって恐れてたのよ。お殿様は恐ろしいお人よ。有岡城(伊丹市)のお殿様(荒木村重)が謀叛した時、あたしたちキリシタンはみんな捕まって、もう少しで殺される所だったの。あたしたちは助かったけど、有岡城のお殿様の奥方様や御家来衆の奥方様や子供たちまでみんな、殺されちゃった。恐ろしい事よ」
「そうか、あの時、お前らは高槻にいたんじゃったな。あの事件に巻き込まれたのか‥‥‥確かに、あれはひどかった。信長は六百人余りもの女子供を平気で殺してしまった。しかも、残酷なやり方でのう。あれを見たら、信長を恐れるのも無理はねえな」
「はい」とマリアは神妙な顔をしてうなづいた。「お父様はとても恐れてたの。もし、殺されちゃったら、五右衛門様に抜け穴を使って、お城に忍び込んでもらって、黄金を盗んでもらおうと思ったんだと思うよ」
「なぜ、そう思うんじゃ? わしに仇を討ってもらうというのなら話は分かるが、どうして、黄金を盗むんじゃ?」
「お父様はお城の中にある黄金の山を見て、その黄金を世の中のために使うべきだと思ったのよ。オスピタルを建てて、貧しい病人たちを救ってやりたいと思ったのよ」
「あの黄金で貧しい者たちを救うのか‥‥‥確かに、善次郎の考えそうな事じゃ」
「やってくれますか?」
「善次郎の気持ちは分かるが無理じゃ」
「どうして?」
「城の中には一万枚以上の金の小判がある。お前はそれが、どの位の重さだか分かるか?」
「いいえ。そんなの見た事ないモン」
「一枚の小判の重さが四十四匁(約百六十五グラム)じゃ。一万枚じゃと‥‥‥」
「四百四十貫(約千六百五十キログラム)」とおつたが答えた。
「うむ、四百四十貫じゃ。一人で二十貫を運んだとしても、二十二人も必要じゃ。たとえ、抜け穴を通って城内に忍び込んだとしても、二十二人もゾロゾロと入って行ったら、すぐに見つかってしまうわ」
「なにも一度に全部取らなくても、少しづつ取ればいいんじゃないの?」
「いや。抜け穴は一度しか使えん。五、六枚ならなくなっても分からんが、一遍に二、三百もなくなれば、すぐに分かる。抜け穴はすぐに塞がれてしまうわ。それにな、五右衛門としては、そんなセコイ仕事はせんのじゃ。やると決めれば、すべてをいただく」
「何か、うまい方法を考えて下さい」とマリアは言ったが、五右衛門は首を振って、「ジュリアはどこに行ったんじゃ?」と聞いて来た。
今度は、マリアが首を振った。
「教えない。五右衛門様が黄金を盗むと言ってくれるまで、絶対に教えない」
「ジュリアの身も危険なんじゃぞ」
「仕方ないよ。お父様が殺された時から、そんなの覚悟してるモン」
マリアは勘八から抜け穴の描いてある紙切れを奪うとまた、帯の中にしまった。
「五右衛門様がやってくれないなら、あたし、一人でも黄金を奪い取る」
「それもいいじゃろう。だがな、しばらくはここに隠れていろ。お前の死に顔を見たくはねえからな」
マリアはプイとふくれながら、荷物をまとめ部屋から出て行った。
五右衛門が勘八に合図をすると、勘八はマリアの後を追って行った。
「安土の天主に抜け穴があったとは驚きだわ」とおつたは信じられないという顔をした。
「あの信長が抜け穴など掘ったとは以外じゃな。前に進む事ばかり考えてる男じゃと思っておったが、逃げ道もちゃんと用意しておく男じゃったのか‥‥‥」
「それで、お頭、ジュリアの事はどうします? マリアに吐かせますか?」
「いや。マリアの事は勘八に任せておこう」
「安土の黄金は?」
「今はまだ、時期が早え。信長を敵に回すより、信長の敵を相手にしていた方が稼げるからの」
「そうですネ。でも、ジュリアはどこに行ったんでしょう? 抜け穴の図の半分を持ってるとしたら、黄金を盗んでもらうために、どこかの盗賊の所に行ったのかしら?」
「じゃろうの‥‥‥ただ、何らかの形で善次郎とつながりのある奴に違えねえ」
「善次郎はキリシタンの大工さんでしょ。お頭以外の盗賊とも付き合っていたのかしら?」
「さあな。高槻に行ってからの奴の事はあまり知らんからのう」
「ジュリアは京都から高槻を通って堺に行って、そこから行方不明なんでしょ?」
「らしいな」
「堺まで行ったという事は、船に乗って、どこかに行ったのかしら?」
「分からん。ただ、一緒にいる薬売りはジュリアの敵じゃねえようじゃ、誰だか分からんがの。ジュリアの命を狙ってた山伏の一人が、その男にやられてる。それに、マリアの後を付けてた山伏を消したのも薬売りの仲間らしいな」
「その薬売りですけど、堺からずっと、マリアの後を追って来ました。安土に寄った時、藤兵衛様に頼みましたから、今頃は捕まってると思います」
「そうか。そのうち、知らせが来るじゃろう‥‥‥後は、新五の奴がジュリアをうまく見つけてくれるといいがのう」
「新五さんなら大丈夫でしょ、うまくやりますよ。ところで、お頭、今度はいつ、西の方に行くんです?」
「しばらくは休養じゃ。怪我人も出たしな、戦力の補強をしなければならん。今度の獲物は淡路島じゃ。来月になったら、一足先に、おめえたちに行ってもらう事になろう」
「淡路島ですか‥‥‥それじゃア、あたしはひとまず、安土に帰ります」
「御苦労じゃった」
おつたが消えると五右衛門は文机の所に戻り、因幡(イナバ)の国(鳥取県)で奪い取った戦利品の中でも一番値打ちのある虚堂(コドウ)の墨蹟(ボクセキ)を眺めながら、誰に売ろうかと考えた。
マリアは話に乗ってくれない五右衛門に腹を立て、砦から早く出ようとしていた。ところが、勘八に案内されて、砦の中を見て歩くうちに考えは変わった。
入って来た時から、砦内で若者たちが武術の稽古をやっている事は分かっていた。しかし、その中にマリアと同じ位の娘たちがいる事は知らなかった。娘たちは揃いの稽古着を着て、汗と泥にまみれて真剣に武術の稽古に励んでいた。
マリアは娘たちの稽古振りを見て驚き、足を止めて、ジッと見入った。
「お前にだってできるさ」とすかさず、勘八は言った。
「ほんと?」マリアは興味深そうに聞いて来た。
「ほんとさ。あいつらだって、半年前は何も知らない素人だった。半年であれだけの腕になったんだ。お前は身が軽いから、素質は充分にある」
「そうなの‥‥‥でも、あの娘たちは何なの? 何のために武術を身に付けてるの?」
「あいつらはみんな、盗賊の卵だ。修行を積んで強くなったら、各地に飛んで、盗賊働きをするんだ」
「女の子が?」
「女子(オナゴ)には女子の仕事がある」
「どんな?」
「盗みをするには、まず、獲物を選ばなければならねえんだ。どこにどんな高価な物があるかをな。獲物が見つかったら、今度は、忍び込むために色々な事を調べなければならねえ。俺たちが狙うのはあくどい事をして儲けている商人とか、民衆の事も考えずに贅沢な暮らしをしている武士たちだ。奴らは豪勢な屋敷に住んでいて警備も厳重だ。そんな所に忍び込むんだから、敵の兵力とか、敵の弱点とか、色々と調べなければならねえんだよ」
「へえ、盗っ人も大変なのネ」
「戦と変わらねえ。失敗すれば全滅する事もあるからな。女子の仕事っていうのは、獲物に近づいて、敵の情報を探る事なんだよ。時には体を武器にして情報を得る事もある。だから、みんな、いい女子だろ?」
「そういえば、みんな、綺麗な娘ばかりネ‥‥‥もしかしたら、おつたさんもここで修行したの?」
「勿論さ。俺だってそうだし、我落多屋にいる者たちはみんな、そうだ」
「エッ、そうだったの?」
「そうさ。商人の振りをしているだけで、皆、武術の腕は一流なのさ」
「京都の宗仁様も?」
「宗仁様とか、安土の藤兵衛様とか、我落多屋の主人になってる人たちは皆、二十年前にお頭が京都で暴れ回っていた頃の猛者(モサ)たちだよ。今は皆、商人に成り切ったような顔をしてるけど、怒らせたら、そりゃもうおっかねえ人たちだ」
「へえ、そうだったの‥‥‥という事は藤兵衛様も宗仁様も堺の宗雪様もみんな、あたしのお父様を古くから知ってたのネ?」
「まあ、そういう事だな」
「うまく、騙されちゃった‥‥‥ネエ、あたしも武術、習いたい。五右衛門様に頼んでくれる?」
「俺たちの仲間に入るのか?」
「それはまだ、分かんないけど‥‥‥五右衛門様が安土の天主に忍び込むんなら、仲間になってもいいよ」
「黄金をどうしても盗む気か?」
「そりゃそうよ。オスピタルを建てるんだモン。安土だけでなく、あっちこっちにネ」
「頼んでやるよ」
マリアの修行は五右衛門に許された。
マリアは修行している八人の娘たちと一緒に長屋に入って、朝から晩まで、汗びっしょりになって稽古に励んだ。
勘八はマリアを見張るために砦に残り、師範代として男の修行者たちを鍛えていた。
この砦で修行している者たちは男も女も皆、十六、七歳の若さだったが、一人だけ変わった男がいた。年は二十五歳前後で、みんなから黒助と呼ばれている大柄の黒人だった。片言の日本語しか話せないが、陽気な性格で熱心に修行に励んでいた。
黒助は堺の我落多屋に売られて来たのだった。南蛮人の商人の奴隷(ドレイ)として日本に来たが、その商人が博奕(バクチ)に負けて、銭を得るために黒助を売り飛ばした。我落多屋では人間までは買い取らないと言ったが、その商人は聞かなかった。黒人は人間ではなく、物と同じだと主張した。仕方なく、宗雪はその黒人を買い取った。後で、宣教師の所に連れて行くつもりだったが、黒人は片言の日本語でサムライになりたいと言う。五右衛門に相談すると、わしらの仲間に黒人がいるのも面白えと言って、砦に連れて来たのだった。砦に来て、まだ三ケ月だったが日本人以上に体力もあり、勘も鋭いので上達は速かった。
「お土産、持って来たわ」とおつたは言った。
「よくやった」と若い男はマリアをチラッと見てから消えた。
しばらくして、分厚い門扉(モンピ)が開いた。
土塁に囲まれた中は以外に広く、若者たちが武術の稽古に励んでいた。
土塁から顔を出した男が、「おつた、お頭が待ってる」と言って、右側にある屋敷を顎(アゴ)で示した。
その男は猟師の格好をして鉄砲を持ち、ニヤニヤしながら、マリアを眺めていた。
おつたはうなづき、マリアと勘八を屋敷に案内した。
屋敷の中は薄暗く、奥の部屋に人影が見えた。
おつたはマリアと勘八を手前の部屋に座らせると、奥の人影に声を掛けた。
「あれが五右衛門様なの?」とマリアは人影をジッと見つめた。
黒っぽい帷子(カタビラ)を着て、文机(フヅクエ)に向かっているようだった。後ろ姿は逞しく、マリアが想像していた通りの五右衛門だった。
「おう、無事じゃったか?」と低い声で言うと五右衛門はゆっくりと振り返った。
期待と不安に揺れながら、マリアは五右衛門の顔を見つめた。その顔を見て、今にも悲鳴を上げそうになる程、驚いた。
目の前のいるのは、我落多屋の大旦那、夢遊に間違いなかった。
マリアは気を落ち着けると、「どうして、夢遊様がこんな所に?」と聞いた。
「わしがお前の捜していた石川五右衛門じゃ」と夢遊はハッキリと言って、こっちの部屋に入って来た。
マリアの前に座り込むと、「しばらくじゃったな」と笑った。
「なによ、これ。信じられない」とマリアは勘八を見た。
勘八はマリアに向かって、うなづいた。
「あなた、あたしを騙してたのネ? みんなして、あたしを騙してたんだ、モウ。みんな、信じられない」
「別に騙していたわけじゃないのよ」とおつたが言った。「あなたを盗っ人の世界に引き込みたくなかっただけよ。あなたが思っている以上に、この世界は残酷なの」
「わしは夢遊のままでいるつもりじゃった」と夢遊こと五右衛門は言った。「五右衛門捜しなど諦めてもらうつもりでいた。親父の仇討ちの事もな」
「いいえ。あたしは諦めないモン、絶対に諦めないモン」マリアは強い口調で言った。
「その事は後で考えるとして、お前をここに連れて来たのはお前の身を守るためじゃ」
「あたしの身を?」
「うむ。あれから、わしもお前の親父の死を調べてみた。初めは単なる物取りの仕業じゃと思ってたが、どうやら、そんな生易しいもんではなさそうじゃ。お前の親父を殺したのは何者かに雇われた浪人者じゃった」
「浪人者? 何者って誰なの?」
「まだ、分からん。その何者かはお前の親父を殺しただけでは飽き足らず、お前ら姉妹まで殺そうとした」
「エッ、あたしたちを?」
「高槻でジュリアは殺された」
「まさか‥‥‥そんな‥‥‥」マリアは口を手で押さえて、五右衛門をジッと見つめた。
「幸い、人違いで済んだ。それも雇われた山伏の仕業じゃ。そいつらはジュリアの顔を知らなかったんじゃろう。同じ名前の若い娘が手籠めにされた上で殺され、河原に捨てられた。一歩間違ってれば、それはお前の妹、ジュリアじゃったかもしれん。その後、お前が高槻に行った時も奴らはお前を狙っていたが、わしの手下に捕まった」
「あたしが来るのを待ってたの? 高槻で」
五右衛門はうなづいた。
「その山伏たちも編み笠を被った侍に雇われたというだけで、何も知らん。お前らの命を狙ってるのが何者かは分からんが、お前らがまだ、生きてる事を知れば、必ず、命を狙うじゃろう。その何者かを突き止めるまでは、お前にはここにいてもらう事にする」
「そんな‥‥‥」
「まだ、死にたくはあるまい」
「でも‥‥‥こんな山の中で、あたしに何をしろって言うのよ」
「しばらくは辛抱せい。ジュリアはどこに行ったんじゃ?」
マリアは首を振った。
「ジュリアも危険なんじゃぞ」
「だって、ほんとに知らないんだモン。高槻に帰ってるはずなのよ。自分が狙われてる事を知って、どこかに隠れてるんじゃないの」
「どこに?」
「知らないったら」
「まあ、いいじゃろ。ところで、お前の親父は安土の天主の図面を書いたそうじゃの?」
マリアはうつむいてから、顔を上げると、「五右衛門様、お父様の仇を討ってくれると約束してくれたら、みんな、話すよ」と言って、口を堅く結んだ。
「うむ、約束しよう」
「ほんと?」
「ああ。やり方が汚な過ぎるからな。仇は必ず、討ってやる」
「さすが、五右衛門様。お父様が言ってた通りの人だった」
マリアは喜んで、勘八の方を見た。
勘八も嬉しそうに笑っていたが、マリアは、「嘘つき!」と言って、フンと鼻を鳴らした。
「善次郎は何と言っていた?」と五右衛門が聞いた。
「五右衛門様はただの盗っ人じゃない。やり方は手荒いけど世直しをしてるんだって」
「まあ、そういう事じゃ。善次郎は、わしの事を理解してくれておったわ。さあ、全部、隠さず話してくれ」
マリアは荷物をほどくと中から紙包みの束を出し、五右衛門に渡した。
「お父様は殺される三日前、もしも、わしに何かあったら、それを持って五右衛門様の所に行けって言ったの。その人どこにいるのって聞くと、我落多屋さんで聞けば分かるって言ったのよ。その時、我落多屋さんの大旦那様が五右衛門様だって言ってくれれば、こんな苦労しなかったのに。お父様も一言足りないよ」
五右衛門は紙束をほどいて広げて眺めた。安土城の天主の図面は一番上にあった。
「それが殺された原因でしょ?」と勘八が身を乗り出した。
「いや」と五右衛門は首を振った。「こんな図面を書いたからといって、殺されるとは思えんな」
「どうしてです? 安土城の天主の図面ですよ」
「信長はな、気にいった客が来ると自慢気に天主を見せて歩くんが好きなんじゃ。現に、わしも天王寺屋の旦那と一緒に、隅から隅まで見せてもらったわ。この四階にある黄金の山も拝ませてもらった。多分、善次郎も信長の案内で天主の中を見て歩いたんじゃろう。あの天主は素晴らしい建物じゃ。大工の善次郎なら、見取り図を書くのは当然の事じゃ。見取り図を書いたからといって、まさか、殺すような事はあるまい」
「そうですか‥‥‥でも、これがもし、敵に渡ったら大変な事になりますよ」
「いや。この図面を見たからといって、あの天主には簡単に忍び込めはせん。守りは厳重じゃ。それとな、あの安土の城はな、今までの城とは全然、違うんじゃよ。本来、城というものは戦をするために作る。敵が攻めて来た場合、守り易く、攻め易いように作るもんじゃ。ところがあの城は違う。大手門から二の丸まで広い道がずうっと続いておる。二の丸の下には今、立派な寺を建てている。もうすぐ、完成するらしいが、信長はその寺に一般の者たちが大勢、参拝に来る事を願ってるんじゃ。という事は二の丸の下まで、誰でもが自由に行き来できるという事なんじゃ。もし、敵の大軍が攻めて来たら、あんな城はすぐに落ちてしまうじゃろう。信長はな、安土の城に敵が攻めて来る事はあるまいとの絶対の自信を持って、あの城を建てたんじゃよ。実際に、今の信長の敵は遥か彼方にいるからな。信長があの城を建てたのは自分の力というものを世間に見せつけるためなんじゃ。あの華麗な天主を見れば、田舎の大名たちは腰を抜かしてしまうじゃろう。信長は安土城の素晴らしさを宣伝してもらうために、京や堺の商人たちに城内を見せびらかしているんじゃ。商人たちはあっちこっちに行って、天主の中がどうなっているのかを話す事じゃろう。山のようにある黄金の事もな。信長にとって天主の内部がどうなってるかなんて、秘密にしておくべきものでもなんでもねえんじゃ。あの城の役目は敵の攻撃から守るのではなく、ただ、信長自身の命を守るために作られたといってもいい」
「信長自身の命を守るため?」とマリアがよく分からないという顔をして聞いた。
「そうじゃ。大軍を率いて安土まで攻めて来る者などおらん。安土にたどり着く前に信長の家臣たちにやられてしまうからの。しかし、信長に滅ぼされた残党どもはひそかに信長の命を狙っている。それは信長自身が一番知っている。何度も暗殺されかかったからな。信長が恐れているのは忍びじゃ。忍びから身を守るために、あの天主に隠れているんじゃよ。信長は忍びが絶対に忍び込めねえように、あの天主を作ったんじゃ」
「天主には絶対に忍び込めないんですか?」とおつたが聞いた。
「うむ、難しい。わしも案内された時、色々と考えてみたが不可能じゃと思ったわ」
「そうなんですか‥‥‥」
「五右衛門様でも、安土の天主には忍び込めないの?」とマリアが聞いた。
「残念じゃがな‥‥‥そういう事じゃ。善次郎が殺された原因はこの図面じゃねえ」
「さすがネ」とマリアが手を上げた。
「まだ、何か隠しておるな?」と五右衛門はマリアの目を見つめた。
マリアは帯の中から布切れにくるまれた紙切れを出して、五右衛門に渡した。
「本当はそれなの。お父様が五右衛門様に見せろと言ったのは」
紙切れを広げて見ると道のようなものが書いてあったが、左半分が切られていた。
「安土の天主の抜け穴よ」とマリアは言った。
「ナニ、抜け穴‥‥‥」五右衛門は紙切れをジッと見つめた。
「成程、天主の下に穴を掘ったのか‥‥‥二の丸の下を通ってるようじゃが、左側の図がなければ、どこに通じてるのか分からんな。こっち側はどうしたんじゃ?」
「ジュリアが持ってるよ」
「なんじゃと? ジュリアはどこじゃ?」
マリアは首を振った。
勘八が紙切れを覗き込んでいたので、五右衛門は勘八に渡した。
「知ってるはずじゃ。全部、話すんじゃなかったのか?」
「お父様は殺される前、その紙切れをあたしとジュリアに半分づつ渡して、もしもの事があったら、五右衛門様にその紙を見せろと言ったの。でも、ジュリアは盗賊なんか信じられないって高槻に帰っちゃったのよ」
「善次郎は城内で抜け穴を掘っていたのか?」
「違うよ。お父様は最後の仕上げをしただけだって言ってた」
「最後の仕上げ?」
「そう言っただけ。何をしてたのか教えてくれなかったの」
「お前の親父さんは、この抜け穴を使って、お頭に天主に忍び込めって言ったのか?」と勘八が聞いた。
マリアはうなづいた。
「わしに黄金を盗ませる気じゃったのか?」
「お父様はお殿様から仕事を頼まれた時、何かイヤな予感がするって言ってた。行きたくなかったけど、自分の腕を認めてくれたのに断る事はできないって、お城に行ったの。お父様がいつまでも帰って来ないんで、あたし、心配だった。もしかしたら、殺されてしまったんじゃないかって思ったよ。でも、お父様は無事に仕事を終えて戻って来たの。あたし、ほんとにホッとしたよ。お父様は遊女を身受けして、妻にすると言っていい気になってたけど、ほんとは、お殿様の事を恐れてたの。抜け穴の仕事に関わってしまったため、いつか、お殿様に殺されるかもしれないって恐れてたのよ。お殿様は恐ろしいお人よ。有岡城(伊丹市)のお殿様(荒木村重)が謀叛した時、あたしたちキリシタンはみんな捕まって、もう少しで殺される所だったの。あたしたちは助かったけど、有岡城のお殿様の奥方様や御家来衆の奥方様や子供たちまでみんな、殺されちゃった。恐ろしい事よ」
「そうか、あの時、お前らは高槻にいたんじゃったな。あの事件に巻き込まれたのか‥‥‥確かに、あれはひどかった。信長は六百人余りもの女子供を平気で殺してしまった。しかも、残酷なやり方でのう。あれを見たら、信長を恐れるのも無理はねえな」
「はい」とマリアは神妙な顔をしてうなづいた。「お父様はとても恐れてたの。もし、殺されちゃったら、五右衛門様に抜け穴を使って、お城に忍び込んでもらって、黄金を盗んでもらおうと思ったんだと思うよ」
「なぜ、そう思うんじゃ? わしに仇を討ってもらうというのなら話は分かるが、どうして、黄金を盗むんじゃ?」
「お父様はお城の中にある黄金の山を見て、その黄金を世の中のために使うべきだと思ったのよ。オスピタルを建てて、貧しい病人たちを救ってやりたいと思ったのよ」
「あの黄金で貧しい者たちを救うのか‥‥‥確かに、善次郎の考えそうな事じゃ」
「やってくれますか?」
「善次郎の気持ちは分かるが無理じゃ」
「どうして?」
「城の中には一万枚以上の金の小判がある。お前はそれが、どの位の重さだか分かるか?」
「いいえ。そんなの見た事ないモン」
「一枚の小判の重さが四十四匁(約百六十五グラム)じゃ。一万枚じゃと‥‥‥」
「四百四十貫(約千六百五十キログラム)」とおつたが答えた。
「うむ、四百四十貫じゃ。一人で二十貫を運んだとしても、二十二人も必要じゃ。たとえ、抜け穴を通って城内に忍び込んだとしても、二十二人もゾロゾロと入って行ったら、すぐに見つかってしまうわ」
「なにも一度に全部取らなくても、少しづつ取ればいいんじゃないの?」
「いや。抜け穴は一度しか使えん。五、六枚ならなくなっても分からんが、一遍に二、三百もなくなれば、すぐに分かる。抜け穴はすぐに塞がれてしまうわ。それにな、五右衛門としては、そんなセコイ仕事はせんのじゃ。やると決めれば、すべてをいただく」
「何か、うまい方法を考えて下さい」とマリアは言ったが、五右衛門は首を振って、「ジュリアはどこに行ったんじゃ?」と聞いて来た。
今度は、マリアが首を振った。
「教えない。五右衛門様が黄金を盗むと言ってくれるまで、絶対に教えない」
「ジュリアの身も危険なんじゃぞ」
「仕方ないよ。お父様が殺された時から、そんなの覚悟してるモン」
マリアは勘八から抜け穴の描いてある紙切れを奪うとまた、帯の中にしまった。
「五右衛門様がやってくれないなら、あたし、一人でも黄金を奪い取る」
「それもいいじゃろう。だがな、しばらくはここに隠れていろ。お前の死に顔を見たくはねえからな」
マリアはプイとふくれながら、荷物をまとめ部屋から出て行った。
五右衛門が勘八に合図をすると、勘八はマリアの後を追って行った。
「安土の天主に抜け穴があったとは驚きだわ」とおつたは信じられないという顔をした。
「あの信長が抜け穴など掘ったとは以外じゃな。前に進む事ばかり考えてる男じゃと思っておったが、逃げ道もちゃんと用意しておく男じゃったのか‥‥‥」
「それで、お頭、ジュリアの事はどうします? マリアに吐かせますか?」
「いや。マリアの事は勘八に任せておこう」
「安土の黄金は?」
「今はまだ、時期が早え。信長を敵に回すより、信長の敵を相手にしていた方が稼げるからの」
「そうですネ。でも、ジュリアはどこに行ったんでしょう? 抜け穴の図の半分を持ってるとしたら、黄金を盗んでもらうために、どこかの盗賊の所に行ったのかしら?」
「じゃろうの‥‥‥ただ、何らかの形で善次郎とつながりのある奴に違えねえ」
「善次郎はキリシタンの大工さんでしょ。お頭以外の盗賊とも付き合っていたのかしら?」
「さあな。高槻に行ってからの奴の事はあまり知らんからのう」
「ジュリアは京都から高槻を通って堺に行って、そこから行方不明なんでしょ?」
「らしいな」
「堺まで行ったという事は、船に乗って、どこかに行ったのかしら?」
「分からん。ただ、一緒にいる薬売りはジュリアの敵じゃねえようじゃ、誰だか分からんがの。ジュリアの命を狙ってた山伏の一人が、その男にやられてる。それに、マリアの後を付けてた山伏を消したのも薬売りの仲間らしいな」
「その薬売りですけど、堺からずっと、マリアの後を追って来ました。安土に寄った時、藤兵衛様に頼みましたから、今頃は捕まってると思います」
「そうか。そのうち、知らせが来るじゃろう‥‥‥後は、新五の奴がジュリアをうまく見つけてくれるといいがのう」
「新五さんなら大丈夫でしょ、うまくやりますよ。ところで、お頭、今度はいつ、西の方に行くんです?」
「しばらくは休養じゃ。怪我人も出たしな、戦力の補強をしなければならん。今度の獲物は淡路島じゃ。来月になったら、一足先に、おめえたちに行ってもらう事になろう」
「淡路島ですか‥‥‥それじゃア、あたしはひとまず、安土に帰ります」
「御苦労じゃった」
おつたが消えると五右衛門は文机の所に戻り、因幡(イナバ)の国(鳥取県)で奪い取った戦利品の中でも一番値打ちのある虚堂(コドウ)の墨蹟(ボクセキ)を眺めながら、誰に売ろうかと考えた。
マリアは話に乗ってくれない五右衛門に腹を立て、砦から早く出ようとしていた。ところが、勘八に案内されて、砦の中を見て歩くうちに考えは変わった。
入って来た時から、砦内で若者たちが武術の稽古をやっている事は分かっていた。しかし、その中にマリアと同じ位の娘たちがいる事は知らなかった。娘たちは揃いの稽古着を着て、汗と泥にまみれて真剣に武術の稽古に励んでいた。
マリアは娘たちの稽古振りを見て驚き、足を止めて、ジッと見入った。
「お前にだってできるさ」とすかさず、勘八は言った。
「ほんと?」マリアは興味深そうに聞いて来た。
「ほんとさ。あいつらだって、半年前は何も知らない素人だった。半年であれだけの腕になったんだ。お前は身が軽いから、素質は充分にある」
「そうなの‥‥‥でも、あの娘たちは何なの? 何のために武術を身に付けてるの?」
「あいつらはみんな、盗賊の卵だ。修行を積んで強くなったら、各地に飛んで、盗賊働きをするんだ」
「女の子が?」
「女子(オナゴ)には女子の仕事がある」
「どんな?」
「盗みをするには、まず、獲物を選ばなければならねえんだ。どこにどんな高価な物があるかをな。獲物が見つかったら、今度は、忍び込むために色々な事を調べなければならねえ。俺たちが狙うのはあくどい事をして儲けている商人とか、民衆の事も考えずに贅沢な暮らしをしている武士たちだ。奴らは豪勢な屋敷に住んでいて警備も厳重だ。そんな所に忍び込むんだから、敵の兵力とか、敵の弱点とか、色々と調べなければならねえんだよ」
「へえ、盗っ人も大変なのネ」
「戦と変わらねえ。失敗すれば全滅する事もあるからな。女子の仕事っていうのは、獲物に近づいて、敵の情報を探る事なんだよ。時には体を武器にして情報を得る事もある。だから、みんな、いい女子だろ?」
「そういえば、みんな、綺麗な娘ばかりネ‥‥‥もしかしたら、おつたさんもここで修行したの?」
「勿論さ。俺だってそうだし、我落多屋にいる者たちはみんな、そうだ」
「エッ、そうだったの?」
「そうさ。商人の振りをしているだけで、皆、武術の腕は一流なのさ」
「京都の宗仁様も?」
「宗仁様とか、安土の藤兵衛様とか、我落多屋の主人になってる人たちは皆、二十年前にお頭が京都で暴れ回っていた頃の猛者(モサ)たちだよ。今は皆、商人に成り切ったような顔をしてるけど、怒らせたら、そりゃもうおっかねえ人たちだ」
「へえ、そうだったの‥‥‥という事は藤兵衛様も宗仁様も堺の宗雪様もみんな、あたしのお父様を古くから知ってたのネ?」
「まあ、そういう事だな」
「うまく、騙されちゃった‥‥‥ネエ、あたしも武術、習いたい。五右衛門様に頼んでくれる?」
「俺たちの仲間に入るのか?」
「それはまだ、分かんないけど‥‥‥五右衛門様が安土の天主に忍び込むんなら、仲間になってもいいよ」
「黄金をどうしても盗む気か?」
「そりゃそうよ。オスピタルを建てるんだモン。安土だけでなく、あっちこっちにネ」
「頼んでやるよ」
マリアの修行は五右衛門に許された。
マリアは修行している八人の娘たちと一緒に長屋に入って、朝から晩まで、汗びっしょりになって稽古に励んだ。
勘八はマリアを見張るために砦に残り、師範代として男の修行者たちを鍛えていた。
この砦で修行している者たちは男も女も皆、十六、七歳の若さだったが、一人だけ変わった男がいた。年は二十五歳前後で、みんなから黒助と呼ばれている大柄の黒人だった。片言の日本語しか話せないが、陽気な性格で熱心に修行に励んでいた。
黒助は堺の我落多屋に売られて来たのだった。南蛮人の商人の奴隷(ドレイ)として日本に来たが、その商人が博奕(バクチ)に負けて、銭を得るために黒助を売り飛ばした。我落多屋では人間までは買い取らないと言ったが、その商人は聞かなかった。黒人は人間ではなく、物と同じだと主張した。仕方なく、宗雪はその黒人を買い取った。後で、宣教師の所に連れて行くつもりだったが、黒人は片言の日本語でサムライになりたいと言う。五右衛門に相談すると、わしらの仲間に黒人がいるのも面白えと言って、砦に連れて来たのだった。砦に来て、まだ三ケ月だったが日本人以上に体力もあり、勘も鋭いので上達は速かった。
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