織田信長が殺された本能寺の変を盗賊の石川五右衛門を主役にして書いてみました。「藤吉郎伝」の続編としてお楽しみ下さい
トンビ
1
六月三日、夜が明けると同時に安土城から、きらびやかに着飾った女たちが大勢、武装した兵に守られながら、日野城へと向かって行った。
同じ頃、琵琶湖に停泊していた船から、武装した男たちが次々に上陸し、ほとんど無人と化した城下を荒らし始めていた。
城から女たちが逃げて行くのに気づき、追い討ちをかけたが、日野から迎えに来ていた蒲生忠三郎の兵の鉄砲に撃たれて引き下がって行った。
湖賊らは女たちを諦め、城へと向かった。大手門を打ち破り、城内へ潜入し、重臣たちの屋敷へとなだれ込んだ。すでに、それらの屋敷も数人の者が守っているだけだった。必死に抵抗したが、湖賊たちの襲撃に敗れ、屋敷は荒らされた。
我落多屋の二階から、マリアとジュリアは遠眼鏡で城を見ていた。
摠見寺の参道を湖賊たちが登り下りしているのが見える。時々、鉄砲の音が鳴り響き、寺の財宝を抱えた男たちが得意顔して階段を下りていた。
番頭の久六が薄汚れた腹巻き(鎧)を持って二階に来た。
「ひでえもんじゃ。湖賊どもはやりてえ放題をやっておる。まもなく、ここにも来るじゃろう。お前らも、こいつを付けて草履(ワラジ)をはいていろ」
「戦うのネ?」とマリアは刀を抜く構えを見せた。
「馬鹿言え。戦って勝てる相手じゃねえわ」
「じゃア、逃げるの?」
「違う。奴らに化けて、ここを占拠した振りをするんじゃ。奴らが来たら、部屋の中をメチャメチャにして目ぼしい物を捜してる振りをしろ」
「成程、それは名案ネ」とジュリアは手を打った。
「いくら、仲間の振りをしても、奴らは女に飢えている。その綺麗な顔は汚しておいた方がいいぞ。着物もな。ついでに部屋の中も汚しておけ」
マリアとジュリアは庭に飛び出し、井戸水を撒いた土の上をキャーキャー言いながら転がり回り、泥だらけになって、土足のまま二階に上がった。腹巻きを身に付けると面白がって部屋の中を荒らし回った。
一階でも山から下りて来た修行者たちが武装して、部屋の中を荒らし回っていた。
ガラクタが積んであった店の中は足場もない程、メチャクチャになった。
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トンビ
2
夢遊が命懸けで、毛利の軍勢を眺めていた頃、安土に明智十兵衛の軍勢がやって来た。
荒れ果てた城下を眺め、十兵衛は顔をしかめながら城へと向かった。
暴れ回っていた湖賊たちは慌てて船へと逃げて行ったが、船は去る事なく、成り行きをじっと見守っていた。
十兵衛は引き連れて来た兵を展開して、城攻めの態勢に入った。摠見寺を本陣とし、二の丸と天主のある本丸を囲むように兵を配置した。
城を守っている木村次郎左衛門に城を明け渡すように使いを送ったが、次郎左衛門は断って来た。十兵衛は仕方なく、総攻撃を命じた。半時(一時間)余りの猛攻のすえ、次郎左衛門他、城内にいた兵は皆、討ち死にして果てた。
十兵衛は天主に登り、最上階から四方を眺め回し、天下を我が物にした事を実感していた。飛び上がって、大声で叫びたい心境だったが、家臣たちの見守る中、それはできなかった。
ふと、夢遊のとぼけた顔が浮かび、夢遊だったら、こんな時、どんな態度を取るのだろうかと考えてみたが、十兵衛には見当もつかなかった。難しい顔をしたまま、キラキラと輝く琵琶湖の景色を楽しむと満足そうにうなづいて、最上階から降りて行った。
四階の屋根裏部屋にある一万枚の黄金を見て、無事だった事を喜び、気前よく家臣たちに分け与えた。
黄金は地下蔵だけでなく、四階の屋根裏部屋にも一万枚置いてあった。信長に案内されて天主内を見物した者は皆、その黄金を目にしていた。夢遊もそれを見ていたが、地下蔵に三万枚余りもあるのを目にして、四階の一万枚もここに移したのだろうと思っていた。
黄金の蓄えられていた地下蔵の扉も打ち壊されたが、そこに黄金があった事を知っている者はいないし、抜け穴も発見されなかった。
湖賊は消えたが、今度は明智の軍勢が城下にあふれた。十兵衛の命令が徹底しているため、城下を荒らし回る事はなかったが、兵たちは空いている屋敷に入り込んでは、思い思いに休息していた。
登場人物一覧
あ
愛洲澪 小野屋の若女将 1558-
秋葉郷右衛門 石川五右衛門配下の忍びの頭 1548-
明智十兵衛光秀 織田信長の家臣、坂本城主 1530-82
芥川彦左衛門 石川五右衛門配下の武術師範 1542-
い
伊賀崎道順 伊賀の中忍 1537-81
石川五右衛門 我落多屋の主人、夢遊 1537-94.8.23
石川村の長老 1513-
伊勢 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1565-
磯野 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1564-
イルマン惣助 キリシタンの修道士 1550-
う
浮舟 石川五右衛門配下のくノ一 1558-
お
大沢弥三郎 信長の側近 1557-81
長田源左衛門 伊賀の中忍 1534-
織田信長 安土城主 1534-82
お祢 羽柴藤吉郎の妻 1548-
か
角之坊 伊賀四十九院の先達山伏 1540-
葛城 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1564-
神山藤兵衛 我落多屋安土店の主人 1541-
蒲生右兵衛大夫 織田信長の家臣、日野城主 1534-
唐糸 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1565-
勘八 石川五右衛門の配下、使い番衆 1560-
き
城戸弥左衛門 伊賀の中忍 1538-
木村次郎左衛門 信長の家臣、安土町奉行
喜六 雑賀孫一の配下 1561-
銀次 石川五右衛門配下の忍び 1557-
く
くに 安土、扇屋の後家 1559-
黒助 石川五右衛門配下の黒人 1557-
さ
薩摩屋宗二 堺の茶人 1544-90
里村紹巴 連歌師 1525-
さや 我落多屋安土店の奉公娘 1564-
し
ジュリア 双子のキリシタン娘 1565-
新五 石川五右衛門の配下、使い番衆 1556-
浄楽坊 甲賀飯道山の先達山伏 1539-
神保宗雪 我落多屋堺店の主人 1539-
新堂の小太郎 伊賀の忍び 1539-
す
助丸 雑賀孫一の配下 1563-
鈴鹿 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1562-
ススキ 安土の遊女屋「紅葉亭」の遊女 1565-
鈴木孫一 雑賀の孫一、紀伊雑賀党の頭 1540-89
せ
善次郎 南蛮大工 1538-81
つ
柘植孫兵衛 我落多屋長浜店の主人 1540-
つた 石川五右衛門配下のくノ一 1564-
て
寺田半兵衛 石川五右衛門配下の使い番衆頭 1539-
天王寺屋宗及 堺の茶人、商人 1526-92
天王寺屋了雲 堺の茶人 1510-86
と
とき 石川五右衛門配下のくノ一 1563-
鳥居角右衛門 石川五右衛門配下の忍びの頭 1548-
な
納屋宗久 堺の茶人、商人 1520-93
に
西之坊行祐 愛宕山の先達山伏 1513-
の
野菊 安土の遊女屋「紅葉亭」の遊女 1564-
は
羽柴藤吉郎秀吉 織田信長の家臣、長浜城主 1537-98
長谷川宗仁 我落多屋京都店の主人 1539-1606
長谷川藤五郎 織田信長の側近衆 1555-94.2
蜂須賀小六 羽柴秀吉の家臣 1526-86.5
初雪 安土の遊女屋「祇園」の遊女 1565-
はる 我落多屋京都店の奉公娘 1565-
ひ
彦一 我落多屋京都店の番頭 1546-
久六 我落多屋安土店の番頭 1545-
日比屋了慶 堺、日々屋主人、キリシタン 1520-
ふ
風摩小太郎 北条家の忍び、風摩党の頭 1530-87
風摩太郎 風摩小太郎の長男 1554-1625
ま
マリア 双子のキリシタン娘 1565-
も
百地丹波守 南伊賀の上忍 1524-
や
山路 石川五右衛門配下のくノ一の頭 1558-
山中権右衛門 石川五右衛門配下の忍びの頭 1548-
やや 浅野長政の妻 1551-
よ
与吉 雑賀孫一の配下 1561-
与兵衛 小野屋安土店の主人 1542-
れ
れん 石川五右衛門の妻 1547-
1537年 | 五助、伊賀国石川村に生まれる。 | 1歳 | |
1551年 | 10月 | 五助、駿府にて藤吉郎と出会う。 | 15歳 |
11月 | 五助、藤吉郎と共に松下佐右衛門に仕える。 | ||
1552年 | 10月半ば | 五助、おトラと共に松下屋敷を出奔する。 | 16歳 |
11月 | 五助、百地三大夫の元で忍びの修行に励む。 | ||
1554年 | 5月 | 五助、おナツを連れて松下屋敷に来る。 | 18歳 |
6月 | 五助、おナツ、藤吉郎を連れて、松下屋敷を去る。 | ||
7月 | 五助、おナツ、藤吉郎と共に生駒屋敷に行く。 | ||
五助、石川五右衛門と改名する。 | |||
8月 | 五右衛門、おナツ、藤吉郎と共に京都に生き、盗っ人稼業を始める。 | ||
1555年 | 5月 | 藤吉郎、京都を去り尾張に帰る。 | 19歳 |
11月 | 五右衛門、仕事に失敗し、おナツを殺される。 | ||
12月 | 五右衛門、藤吉郎のもとに行くが、伊賀に戻る。 | ||
幕府を倒す事が五右衛門の生きる目標となる。 | |||
1556年 | 1月 | 五右衛門、甲賀の飯道山にて修行する。 | 20歳 |
1557年 | 1月 | 五右衛門、寺田半次郎(19)、神保新七郎(19)、池田市助(19)を連れて京都に行き、盗っ人稼業を再開する。 | 21歳 |
1558年 | 1月 | 柘植孫三郎、五右衛門一味に加わる。 | 22歳 |
1559年 | 1月 | 田代又五郎、五右衛門一味に加わる。 | 23歳 |
1560年 | 1月 | 神山藤八、五右衛門一味に加わる。 | 24歳 |
1561年 | 1月 | 芥川彦四郎、五右衛門一味に加わる。 | 25歳 |
五右衛門、京都に『我落多屋』を開き、貧しい民衆から我落多を買い取る。 | |||
1562年 | 五右衛門、不住庵梅雪(60)より茶の湯を習う。 | 26歳 | |
1564年 | 五右衛門、おれん(18)と一緒になる。 | 28歳 | |
1565年 | 5月 | 将軍義輝、松永久秀に殺される。 | 29歳 |
1566年 | 五右衛門、堺に『我落多屋』を開いて、銭貸しと盗品販売を始める。 | 30歳 | |
1567年 | 9月 | 信長、稲葉山城を攻略して、岐阜城と改め移る。 | 31歳 |
1568年 | 2月 | 信長、北伊勢を攻略する。五右衛門、北畠城下を荒らす。 | 32歳 |
9月 | 信長、足利義昭を奉じて上洛する。 | ||
1569年 | 8月 | 信長、伊勢北畠氏を攻略する。 | 33歳 |
1570年 | 4月 | 信長、朝倉攻めに着手。五右衛門、朝倉城下を荒らす。 | 34歳 |
この頃より、夢遊と号す。 | |||
1571年 | 9月 | 信長、比叡山を焼き払う。五右衛門、比叡山を荒らす。 | 35歳 |
1572年 | 3月 | 信長、浅井攻略を始める。五右衛門、浅井城下を荒らす。 | 36歳 |
1573年 | 7月 | 信長、義昭を追放し、室町幕府滅亡する。 | 37歳 |
8月 | 信長、朝倉氏を滅ぼす。 | ||
9月 | 信長、浅井氏を滅ぼす。羽柴藤吉郎、小谷城主になる。 | ||
1574年 | 6月 | 藤吉郎、今浜に新城を築く。 五右衛門、山の砦を築く。 | 38歳 |
五右衛門、長浜城下に『我落多屋』を開く。五右衛門、藤吉郎の陰となる。 | |||
1575年 | 末 | 藤吉郎、今浜改め長浜城に移る。 | 39歳 |
1577年 | 2月 | 信長、雑賀を攻める。五右衛門、雑賀を荒らす。 | 41歳 |
10月 | 藤吉郎、播磨に出陣。五右衛門、上月城下を荒らす。 | ||
11月 | 藤吉郎、上月城を陥す。 | ||
1578年 | 五右衛門、安土に『我落多屋』を開く。 | 42歳 | |
1579年 | 5月 | 安土城天主完成。 | 43歳 |
9月 | 信雄、伊賀を攻めるが敗れる。五右衛門、伊賀に返り信雄と敵対。 | ||
1580年 | 4月 | 信長、石山本願寺と和睦。顕如、大坂を出る。 | 44歳 |
7月 | 教如、大坂を出る。五右衛門、石山本願寺の財宝を盗み、放火する。 | ||
8月 | 藤吉郎、播磨、但馬を平定する。 | ||
1581年 | 3月 | 藤吉郎、姫路城を完成させて移る。 | 45歳 |
五右衛門、姫路に『我落多屋』を開く。 | |||
6月 | 藤吉郎、因幡に出陣し、直ちに鳥取城を包囲する。 | ||
9月 | 信長、伊賀を平定。五右衛門、信長を恨む。 | ||
10月 | 藤吉郎、因幡鳥取城を陥し、因幡を平定する。 | ||
11月 | 藤吉郎、淡路を平定する。 | ||
1582年 | 3月 | 信長、甲斐の武田氏を滅ぼす | 46歳 |
5月 | 藤吉郎、備中高松城を水攻めにする。 | ||
6月2日 | 本能寺の変。五右衛門、安土の財宝(ぼんさん)を奪う。 | ||
6月13日 | 藤吉郎、明智光秀を倒す。 | ||
7月 | 藤吉郎、山崎に城を築き居城とする。 | ||
10月 | 藤吉郎、大徳寺にて信長の葬儀を行なう。 | ||
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